第二百五十四話 グレヴィリウス家の夜会(1)
帝都のグレヴィリウス公爵邸で催された年末の夜会は、家門の一族と家臣団だけの内輪のみというものであったが、その規模は周辺で行われていた諸々の貴族家の
帝都のあちこちから公爵邸に向かった馬車の列、あるいは運河を渡ってくる舟も列をなし、訳知り顔の帝都っ子たちは「またグレヴィリウスの大行列か」と噂した。毎年のことで、もはや名物になっているのだ。
一方、公爵邸内においては、公爵が姿を現して挨拶をするまでのひととき、多くの者達がワイン片手に雑談に興じた。
一年ぶりに再会した旧友との会話を楽しむ者、帝都での今旬の流行について話し合う者、どこの誰から聞いたのかもわからぬ噂話をまことしやかに囁く者。
集まった者はそれぞれに夜会の雰囲気に酔いしれる。
アドリアンもまた父である公爵が姿を見せるまで、いつものように壁際のすみっこで、おとなしくライム水を飲みながら待つだけのつもりだったのだが、今年は勝手が違った。
アドリアンを目ざとく見つけた一人が挨拶を始めると、次から次へとやって来る。
「お初にお目にかかります、小公爵様。私は…」
「初めまして、小公爵様。一段と大きくなられましたわね…」
怪訝に思いつつも、アドリアンは一応、形式通りの挨拶を返した。
彼らも公爵に嫌われていると噂される小公爵と、心底から仲良くなりたいわけではないのだろう。長話することもなく早々に立ち去っていく。
個別には短い時間であったが、何十人と相手せねばならないアドリアンには苦痛でしかなかった。
一旦、途切れたときに溜息が出る。
「なかなか大変なご様子ですね」
聞き慣れた声に、アドリアンはホッとして振り返った。
「あぁ、ヴァルナル…」
「まだ宴も始まっておらぬうちから、疲れたような顔をなさっておいでだ。近侍たちはどうしました? 彼らに適当にあしらってもらえばよろしいでしょうに」
「ずっと家族と離れ離れに暮らしていたから、今日くらいは一緒に過ごしてもらおうと思って……でも確かに、マティには残っておいてもらえばよかったな。彼だったら、うまくさばいてくれたろうから」
「ほぅ。優秀なご令息がおられるようですな」
ヴァルナルは感心したように言って、安堵の息をもらす。
オヅマ以外にも、アドリアンを補佐する少年がいてくれるのは心強い。やはり同世代の繋がりというのは、大人相手とはまた違った経験を与えてくれるものだ。
ヴァルナルの朗らかな声と眼差しに、アドリアンはようやく力を抜いて、ウーンと伸びをした。
「去年までは、こんなに声をかけられることもなかったっていうのに、今年は皆どうしたんだろう? やけに挨拶してくる」
「それはこの一年ほどで、随分と小公爵様が成長なさったからですよ。近侍もつくようになって、
アドリアンはヴァルナルの言葉に軽く肩をすくめた。
貴族はそんな曖昧な理由で動きはしない。しかしヴァルナルに
「どうかなぁ…」
首をかしげるアドリアンに、ヴァルナルはニヤリと笑った。
「そのように気弱なことを申されて…噂はお聞きしておりますよ、弓試合のことなど」
「あれはオヅマとエーリクが頑張ったんだよ」
「ご謙遜ですな。小公爵様も見事、
ヴァルナルの称賛が面映ゆくて、アドリアンはあわてて話を変えた。
「そういえばオヅマから手紙が来たんだ」
「ほぅ! それは珍しい。私どもには、とんと送ってきません。一度だけもらったのも、たったの二行でして」
「あぁ…」
アドリアンが苦く笑うと、ヴァルナルが「まさか…」とつぶやく。
「そう。時候の挨拶とサインを除いて二行だよ。なんでも、帰ったら僕に
「ハハハ。まぁ、きちんと学んでいるのであれば、何よりです」
少しばかり嬉しそうなヴァルナルに、アドリアンは不満げに口をとがらせた。
「僕は焦ってるんだよ、ヴァルナル。剣術においてはオヅマと同等でいたかったのに、これでもう確実に追い越されちゃった…」
「オヅマは小公爵様をお守りするのが役目ですから、同等であっても困るのですが…しかし、そうおっしゃるのであれば、少しばかりお教えしましょうか?」
「えっ? できるの?」
「『確実にできる』とは、申せません。しかし精神集中を行うための呼吸法などは、伝授できます。あくまで伝えるだけで、何度も稽古して身につけられるかは、小公爵様の素養と努力によります」
言いながらも、ヴァルナルは難しいだろうと思っていた。
この先、小公爵であるアドリアンには公爵家後継者として、今まで以上に多く、細かい教育がなされていくだろう。騎士らとの剣術や馬術の訓練は続くとしても、そこに稀能を修得するための稽古の時間などとれようはずもない。
まして再来年には最高学府であるキエル=ヤーヴェ研究学術府(通称:帝都アカデミー)に入学する予定なのだから、その勉強でますます忙しくなるに違いない。
だが、あえてヴァルナルが教えると言ったのは、アドリアンにも目標を持ってもらいたかったからだ。勉強でも訓練でも、当たり前のように与えられた課題をこなすのではなく、自らの意志で選択したものを学び、身につけることの喜びを味わってほしい。
呼吸による精神集中は稀能に限らず、種々のことで役に立つ。アドリアンであれば、応用させることはできるだろう。
「ぜひ、頼む!」
アドリアンは嬉しくて、少しばかり声が大きくなった。周囲にいた数人が、振り返る。眉をひそめる者もいたが、アドリアンは見ていなかった。
「もし、これで僕の方が早くに修得できたら、オヅマもびっくりするだろうな」
想像して思わず笑みが浮かぶ。しかし、ふと気付いた。
「待って。ヴァルナルが教えることができるなら、どうしてわざわざオヅマをズァーデンになんて行かせたの? ヴァルナルが教えてあげればいいじゃないか」
急に尋ねられ、ヴァルナルの顔が固まる。
どう言えばいいのか…と言葉を探していると、なんとも絶妙なタイミングで現れたルーカスが、すかさず助け舟を出した。
「それはもちろん、師匠であられるルミア=デルゼ老師のほうが、ヴァルナルよりも優れた指導者であられるからです」
「ルーカス…」
あきらかにホッとした顔になって、ヴァルナルはルーカスを見る。
ルーカスはヴァルナルをチラと横目で見てから、
「それにクランツ男爵はこう見えてお忙しい。領主としての仕事、レーゲンブルト騎士団の団長としての仕事、それに帝都においては公爵閣下の騎士としての仕事もあります。オヅマの指導だけをするというわけにはいきません。短期間で十分な成果を出すには、専門の指導者の教えを仰ぐのは当然でしょう」
アドリアンはルーカスの説明に納得はしたものの、顔はまだ不満気だった。
「僕もオヅマと行きたかったな…」
ポツリと本音が出る。
こんなところで、心のこもらない上辺だけの挨拶に首を振るだけなら、いっそオヅマと二人で汗を流して、へたばりそうなくらい走り回っているほうがいい。
しかし現実はアドリアンの想像を冷たく裏切った。
「まぁ、アドリアン。すっかり大きくなったこと」
いかにも親しげに、やさしく呼びかけてきた声。
アドリアンは強張った顔で、声の主を見た。
「叔母上…」
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