第二百二十五話 公爵が天秤にかけたもの(2)

「エレオノーレ様の死が、大公によって捏造されたものであるとお考えですか?」


 ルーカスが問いかけると、公爵は煙を吐いてから無表情に語る。 


「もし姉がミーナを追い出し、大公が怒り狂ったとしても、大公妃は皇帝の詔勅しょうちょくを受けて降嫁こうかしてきたのだ。そう簡単に離縁もできぬし、公爵家に帰すこともできぬ。非を言い立てられて、あらぬ噂を流されることも避けたかったのであろう。誇り高き姉の心も名誉も無残に傷つけて自死させ、加えて公爵家われらからエン=グラウザを手に入れる……ガルデンティア(*大公家の居城)の狡猾なる老爺の考えそうなことではないか」


 ルーカスの脳裏に、いつも大公のそばに付き従う不気味な老人の姿が思い浮かんだ。


「オヅマを差し出して、大公家に過去の偽証を認めさせ、エン=グラウザを取り戻すおつもりですか?」


 ルーカスの問いかけに公爵はすぐに答えなかった。葉巻から、ゆらめき上る煙を眺めていた。


「少なくとも…見極める材料にはなるであろう」


 固まった顔のまま、冷たく公爵は言った。


 オヅマという存在そのものが、場合によっては大公側の急所となる。

 身分の低い愛妾への偏愛が過ぎて、正妻である大公妃 ――― しかも皇帝の媒酌なかだちで輿入れした、パルスナ帝国累代の家臣であるグレヴィリウス公爵家の公女を蔑ろにした挙句、あらぬ汚名を着せて、名誉も含め完膚なきまでに抹殺するなど、たとえ大公であろうと簡単に許されることではない。


 もし大公側が、オヅマやミーナを元大公妃エレオノーレの死亡捏造に繋がる重要人物であると考えるならば、放っておくわけがない。彼らの存在を抹消しようと動き出すだろう。

 そうなればオヅマには、としての価値があるということになる。

 反対にオヅマを大公子として認めて、引き取りたいと言うのであれば、それはそれでとして、せいぜい高く売りつけてやるまでだ。


「無論、あちらもそう簡単に認めぬであろう。『影』を送って、再度綿密に調べさせる必要がある」

「それは…」


 ルーカスは眉をひそめた。


 グレヴィリウス公爵直属の隠密部隊 ―――― 『鹿の影』。

 彼らの詳細についてはルーカスも把握できていない。

 彼らは公爵当人とだけ契約し、その全容は公爵しか知らないからだ。


 しかし以前に、それこそエレオノーレの死亡について調査するために、間者としてガルデンティアに送り込んだ者達は、すべて消息を絶ったと聞く。

 だからこそ今に至るもこの件については、詳細がわからないままだったのだ。……


「大丈夫でしょうか…」

「ふ。ベントソン卿に心配されるとは、『影』もずいぶん侮られたものよ。そうは思わぬか?」


 公爵はいきなり誰に言うともなく、やや大きな声で呼びかける。

 ルーカスは急に背中がもぞもぞして、辺りを見回した。

 当然、部屋には公爵と自分以外誰もいないのだが、どこかの物陰から見られているような気がして落ち着かなかった。

 それこそ今この時にも『影』はその名の通り、鹿(*グレヴィリウス公爵家の象徴であり、公爵当人を指す言葉)の影として、息をひそめているのかもしれない。


 ルーカスは軽く咳払いしてから、公爵に言った。


「調査についてはお任せしますが、ヴァルナルがオヅマを渡すとは思えませんね」

「あぁ…」


 公爵は眉間を押さえ、フゥと煙を吐きながら溜息をつく。


「……まったく、真面目な男に貞淑な妻というのは厄介なものだな。夫人がもっと俗物で、辺境の一領主の妻などよりも、大公の愛妾あいしょうの方に興味を示すような人間であるなら、簡単に別れたであろうに」

「そのような女であれば、ヴァルナルが好きになるわけがありませんよ」

「……だから面倒なのだ。あの二人が別れて、息子共々大公のもとに送り出し、こちらへのエン=グラウザを返還するのであれば、問題は簡単に済む。ヴァルナルも安全であろう」

「大公が嫉妬して、ヴァルナルにまで危害を与えると?」


 ルーカスは意外そうに肩をすくめて言ったが、公爵の顔は暗く沈んでいた。

 最後に一口吸った葉巻を銀の皿の上に置くと、灰になっていくさまをじっと見つめている。


「お前たちは知らぬのだ。貴き方々のおぞましさを…」


 つぶやいた公爵の声は冷え切っていた。

 その場にいたルーカスに言ったというよりも、自らに言い聞かせるかのようだった。それに、本当にこれは微々たるものであったが、いつも傲然とした公爵には有り得べからざるが、垣間見えた気もした。


 ルーカスはゴホンと咳払いすると、恭しく頭を下げた。


「クソ真面目で面倒な家臣のために、色々と苦心なさる公爵閣下であればこそ、我らが主君。永遠なる忠誠を尽くすことを、ヴァルナルの分まで誓います」

「……相変わらず、口が達者だな」


 公爵はフゥと息を吐いて、背もたれに倒れるように身を委ねた。


「お前達を離してはならぬと…言われたからな」


 誰に? と聞く必要もなかった。

 本来、家臣のことなどに頓着もしない冷徹な小公爵であったエリアスを変えたのは、唯一人、妻であったリーディエだけだ。彼女は様々なものを公爵に与えてくれたが、その最たるものは人としての情であったのかもしれない。


「小公爵様にとってのオヅマもまた、そうであると思いますよ」


 ルーカスが微笑して言うと、公爵は宙を無表情に見つめたまま問うた。


「私があの小僧と大公を結びつけた理由がわかるか?」

「髪の色と……目鼻立ちですか?」

「髪色などはありふれたものだと、そなたも言っておったろう。顔も、相似するところはあるが、さほど似通っているというほどのこともない。だが、あの小僧に会った瞬間に、大公の姿が自然と浮かんだのだ」


 ルーカスが首をひねると、公爵は皮肉げに頬を歪めた。


「身に纏うあの稟質ひんしつ。他者を覆う…尊大なる威勢…」

「それは……」


 言われてルーカスはここに来る直前に、公爵邸で家令のルンビックと話したときのことを思い出す。

 老家令はオヅマの臨時の礼法教師となって以来、この問題児と話すことが多かったのだが、元々小作人の小倅だったとは思えぬ態度のデカさに、初対面から違和感を持っていたようだった。


「傲岸不遜なことこの上もないのに、自然と受け入れてしまうのだ……」


 老家令と同じものを、公爵も感じ取ったのかもしれない。

 塵埃じんあいの中で育っても輝石は光を失わない…ということだろうか。


「正直、今日あの小僧が大公の血を受け継いでいると聞いても、驚きはなかった。シモン公子などに比べても、容色を含めて、大公の優れた資質はオヅマに流れたようだ。もっとも稀能きのうについては、さすがに信じられなかったが…」

「稀能は血による承継はないものとされていますからな。不思議なことです」


 ルーカスは同意しながら、オヅマの持つこの類まれな才能を、しばらくは隠しておく必要があると思った。

 大公にとっては、息子であるという事実よりも、オヅマが『千の目・まじろぎの爪』という稀能を扱うことの方が、より魅力的であることだろう。


 当初予定していた、大公に稀能についての教えを乞うことは、避けた方が良いのかもしれない。

 その場合、他に教える人間を見つけなければならないが、今現在、大公の他で『千の目・瞬の爪』を教練できるような遣い手がいるのだろうか?

 いや、いっそのこと……


 ルーカスが忙しく頭の中で考えを巡らせている間に、公爵は話を切り上げた。


「具体的な方策は、既にそなたに腹案があろう。ヴァルナルと話し合って決めよ。くれぐれも大公家にさとられぬようにな」


 公爵に指示され、ルーカスは「承知しました」と頷くと、踵を返して部屋を出た。


 扉を閉める間際にチラリと一瞥する。

 椅子に凭れかかって、虚空を見る公爵の顔が、ひどく疲れて見えた。 

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