第七章

第百四十七話 主従の嘆息

 帝都から来た黒角馬の研究班の中には、どうしてこんな人物が紛れ込んでいるのやら…と思われる人も少なからずいた。

 ある学者の助手という名目の女性であったり、研究員らの統率をとるためと言いつつ、何らの指導力も発揮していない人物、馬の研究だというのに馬を怖がって近寄ることもできぬ者までいた。


「真面目に研究に取り組んで頂いている学者の方々はともかくとしても、なんだって、この胡散臭い人間の面倒まで見ないといけないんだ?」


 ヴァルナルはすっかり閉口していた。


 学者にクセの強い人間が多いのは、若い時分に一応アカデミーの一隅に籍を置いた者としてある程度免疫があったが、それ以外のやたら役職名だけは偉そうな人間については予想外もいいところだ。


「一応、皇室からの援助も頂いているので、その関係での目付役といったところでしょう」


 カールは答えるが、それくらいのことをヴァルナルがわかっていないわけがない。わかっていて言うということは、つまり愚痴だ。


「…っとに、我儘放題だ。この前なんぞ、何を聞いてきたと思う? 『水辺の輝きヤーヴェ=アルミントン(*帝都で有名な宝石商)』はないのか? だと。なんだって、馬の研究に来て、宝石屋の話が出るんだ? そんなもの、ここにあるわけがないだろうに」

「帝都と同じように過ごそうとされるのは困りものではありますね」


 応対するカールも普段にはない不満を溜め込んでいる。


 ヴァルナルは皇室からの回し者―――一応、正式な任官を受けてはいる―――に辟易しているようだが、カールの方はクセの強い学者たちに手を焼いていた。


 彼らは良くも悪くも生粋の研究者であった。

 騎士団の訓練中であっても、お構いなしに黒角馬の生態について尋ねてくる。

 どういう指示をしてどう動くのか、それは通常の馬に比べてどうなのか、命令に従うようになるまでにどれくらいの時間がかかるのか、個体差は大きいか少ないか……次から次へとまくしたててくる。


 そういう質問に「訓練中だ」と断っても、彼らは自分達の研究の方が高尚で意味があるのだと言わんばかりに無視して続けるし、少しばかり威嚇の意味を込めて腰に手をやれば、「力の行使に知性は負けんぞ!」と、かえって奮い立つほどだ。中には騎士は、無知蒙昧な輩であると放言する者までいた。


 カールはそれでも忍耐強くしている…というか聞き流しているが、騎士達の中には我慢ならない面々も多く、この前も学者の門下生らと一触即発になりかけた。


「いつまでの予定なんですか?」

「ヘルミ山の調査などが終了したら、おそらく帝都に何頭か連れ帰るだろう。本格的な交雑などの研究はあちらでするだろうから、ここには一年ほどだと思うが……」

「長いですね…」

「長いな…」


 主従二人が情けない顔で溜息をついていると、勢いよく扉が開いた。


「りょ、領主様ッ! 大変です!」


 あわてた様子で入ってきたのは従僕のロジオーノだった。

 彼と執事のネストリは、何かと要求の多い客人らへの対応を行う最前線にいるので、大変なことが毎日のように起こる。


「今度は何だ?」


 ヴァルナルはもう耳にタコといった感じで、あきれ半分に問い返した。


「まさかヤーヴェ貝のオイル蒸しでも食べたいと言い出したか?」


 ヤーヴェ貝とは、帝都のキエル=ヤーヴェにある湖で穫れる貝である。帝都人ならば誰でも一度は食べる馴染み深いものだったが、当然ながら北の辺境のレーゲンブルトではいっさい手に入らない。


「違います! オヅマがっ」

「オヅマ?」

「オヅマが副使のギョルム卿の部屋に乗り込んでいって…」


 さすがにヴァルナルもカールも顔色を変えて、すぐさま部屋を飛び出した。


 今回、黒角馬研究班の計画進行管理を担当する副使の名目でやってきたギョルム卿は、ヴァルナルの最も苦手とする人物だった。

 彼自身は吏士りしという貴族というには微妙な身分だが、彼の叔父というのがソフォル子爵という皇帝付きの侍従であるせいか、その権威を振りかざしてきて何かと文句が多い。

 彼もまた何のためにいるのかわからない部類の一人だった。


 しかしなぜオヅマが…?

 ヴァルナルは走りながら疑問に思った。


 ヴァルナルらであれば、彼と直接話すことで、苛立つことも多かったが、オヅマなどそもそも会うこともないはずだ。


 体調が戻ってくるとオヅマは以前のように騎士見習いとしての仕事をするようになった。まだ貧血状態が解消していないので、訓練などは禁止されていたが、馬の世話については餌やりや馬房の掃除などを嬉々としてやっていた。


 当然ながら厩舎に頻繁に訪れる学者達の相手もすることになり、騎士達の多くが面倒くさがってぞんざいな態度であるため、オヅマは両者の潤滑油的な役割を果たした。黒角馬を発見したヘルミ山の話などもしていて、学者達からのオヅマの評判は悪くなかった。


 しかしギョルム卿は今回の黒角馬に関する生産計画の管理を担っている…と肩書があるにもかかわらず、厩舎を訪れたこともない。オヅマが会う機会など本来ないはずなのだ。


 以前、紅熱病こうねつびょうの患者を一時的に収容していた東塔の下に、今回の研究班用の宿泊施設が作られている。その施設の一番日当たりのいい、南側の隅にあるギョルムの部屋の扉は開いていた。

 何人かの召使いが興味深そうに覗いては、ヒソヒソ言い合っている。


「何をしている?」


 ヴァルナルが近づいていくと、皆があわてて頭を下げて散っていった。

 やれやれ、と軽く溜息をついて、開きかけたドアの把手に手をかけると同時に。


「気持ち悪いんだよ! このぬっぺり頭!」


 声変わり途中の、かすれかけたオヅマの怒鳴り声が聞こえてきて、ヴァルナルとカールは一瞬目を見合わせ、思わず吹きそうになった。

 ぬっぺり頭…というのは、やたらと髪用油を塗りつけたギョルム卿の頭髪のことを言っているのだろうが、確かにその通り、特徴をよく捉えた言葉だった。


「一体何事だ?」


 とりあえず顔を引き締めてギョルムの部屋に入ったヴァルナルは、そこでお茶のワゴン近くに立っているミーナの姿を見るなり固まった。

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