第九十七話 埠頭倉庫の攻防(3)

 また、おかしな自分オヅマを支配している。


 男の名前など知らないはずなのに、自然と口をついて出た。

 呼びかけながら、奇妙な懐かしさが胸を締め付ける。


 生きている。彼が生きている―――――


 勝手に涙がボロボロこぼれる。

 オヅマは今になって息が苦しくなってきた。知らない間に息を止めていたのだろうか。深呼吸したいのに、喉元にこみ上げてくる嗚咽が邪魔をする。


 一方、エラルドジェイは自分の『秘めたる名』を言い当てられ、信じられないようにオヅマを見つめた。


 エラルドジェイは古代の民と呼ばれる氏族の末裔だった。

 もはや帝国においても、その他の国においても数少なく、消えていくだけの一族。


 彼らの特徴は紺色の髪と同じ色の瞳、それから『秘名ハーメイ』と呼ばれる一族の長老あるいは両親から与えられた名前を持つことだった。

秘名ハーメイ』は兄弟間であっても教えられることはなく、正式な結婚は互いの『秘名ハーメイ』を教え合うことで結びつきを強めるものとされた。


 もっとも、ただ両親から与えられ、言い伝えとしてしか『秘名ハーメイ』の成り立ちを知らぬエラルドジェイからすると、さほどに重要なものでもない。

 ただ、自分の中に残る民族の血がそうさせるのか、よほどに信用した相手にしか『秘名ハーメイ』を教えることはなかった。


 つまり、今、エラルドジェイのことを『エラルドジェイ』という名前で呼ぶ相手は、ニーロともう一人しかいない。そしてそれはこの目の前のガキではない。絶対に。


 フウゥ、とエラルドジェイは長く息を吐いた。ほどけた髪を掻き上げて「やれやれ…」と首を振る。


「最初からどうにも嫌な感じだったが……いよいよもって奇妙なこと、この上もないな。今日会ったばかりの子供ガキが俺の秘名ハーメイ知っている上、そのガキの瞳が金龍眼キンリョウガンだって? 冗談じゃないな、まったく」


 寸前までの緊張感が嘘のように、軽い調子で話すエラルドジェイに、オヅマはまだ懐かしさを感じつつも、本来の目的を思い出して剣を構え直す。


 エラルドジェイはチラと一瞥して、少年の目を確認した。

 もう金の光は失われている。

 見間違い? いいや、そんな訳がない。あの時、確かに暗闇で金色の目が爛々と光っていた。………


「やめろよ。もう、そんな気ないだろ、お互い」


 エラルドジェイはあきれたように言ったが、オヅマはじっとりと見据えている。 


「………それは、マリー達の居場所を教えたら考える」

「マリー?」

「俺の妹だ。オリヴェルと、アドルも……三人はどこだ? 教えろ。素直に言えば、見逃してやる。どうせ請け負っただけだろ?」


 エラルドジェイは皮肉な笑みを浮かべた。


「ほぅ。俺がそういうだってことまでご存知ってワケか?」


 オヅマはエラルドジェイを睨みつけながら、片手で持った剣をまっすぐその鼻先に伸ばす。


「早くしろ。マリー達がいなくなって、俺とアドルまで消えて、領主様が何もしないと思うか? アドルはお前の指示に従ったけど、手掛りは残していった。俺にわかるくらいなんだから、領主様にここがわからない訳がない」


 これはオヅマにとってはハッタリだった。

 地図にはシレントゥに印はされていたが、あの真っ白な紙を見てもおそらくヴァルナルには何もわからないだろう。


 だが、それは嘘にならなかった。

 いきなり天窓がバリンと割れて女の声が響く。


「騎士団が来てる!」


 エラルドジェイは左腕を持ち上げるような仕草をして、四本爪を袖の中に仕舞った。

 もう仕事は完遂している。まさかのが想像以上の事態になったが、そろそろ退き際だろう。


「この通路の先にあるドアだ。地下室にいる。とっとと行くんだな。依頼人はお前のを殺す気でいる」


 聞いた途端に、オヅマは走り出す。

 地下へ通じる扉を開けた途端に、マリーの声が響いた。


「しっかりして! オリヴェル!!」


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