第六十五話 招かれざる客(2)

 大きな天蓋ベッドからカーディガンを羽織って降りてきた少年は、アドリアンが入ってくるなり、睨みつけてきた。明らかな敵意がそこにはあった。


「マリー、君…その子の名前知ってるの?」


 オリヴェルがひどく険のある顔で言ってくるので、マリーは戸惑いながら頷いた。


「うん。今朝、会ったから」

「今朝? いつ?」

「いつって…」

「起き抜けだよ。コイツ、寝起きが馬鹿みたいに悪いから、マリーが起こしてくれて助かったわ。明日も起こしに来てくれよ」


 オヅマが一人掛けソファにどっかと腰を降ろしながら言うと、オリヴェルはあからさまにフンと鼻で笑った。


「オヅマはちゃんと一人でも夜明け前から起きてるっていうのに、君は誰かに起こしてもらわないと起きられないの?」

「昨日はここに着いたばかりで、少し疲れていただけだ。明日からは、ちゃんと起きるさ」


 アドリアンがムッとなって言うと、オヅマが囃し立てた。


「おぉ、そりゃありがたいねぇ。お前と対番ついばんでさえなけりゃ放っておくけど、お前が遅刻したら俺まで連座だからな。あ、それと今日はお前があっちのベッドで寝ろよ。昨日は起きないから仕方ないと思って許したけど」


 オリヴェルはそこまで聞いていて、ハタと気付いた。


「ちょっと待って! オヅマ、君、この子と一緒に暮らしてるの?」

「あぁ、対番ついばんだからな」

「なんだよ、それ! どういうこと!?」

「はぁ…?」


 オヅマはオリヴェルの剣幕にぽかんとなった。

 なんでこんなに怒るんだろうか。


 反対にクスクス笑ったのはマリーだった。


「やだー、オリーったら。お兄ちゃん、とられたと思ってるー」

「ちっ、違……っ」


 オリヴェルは指摘された途端に真っ赤になった。

 白けた目で見るアドリアンと目が合って、アドリアンの方はさすがにまだ自分より年下とわかるオリヴェルのにプッと吹いた。


「……失礼」


 薄笑いを浮かべて、大人びた雰囲気を漂わせるアドリアンを、オリヴェルは嫌悪もあらわに睨みつける。

 ピリピリした雰囲気に、オヅマはため息をついた。


「もー、いいからさ、そういうの。早く食べるぞ、俺もう待てないから」


 面倒くさそうに言って、言葉通りに、マリーがパイを切り分けている間に一切れとって食べ始める。


「もう、お兄ちゃん! 皆で食べるようにって言われてるんだからね、勝手に食べないで! 早く、オリーもアドルも座って。みんなで食べよ」


 マリーに促され、アドリアンはオヅマの隣に座った。

 その真向かいにオリヴェルが座って、じっとりと睨みつけてくる。

 随分と嫌われたものだ、とアドリアンは内心で嘆息しつつ、オリヴェルの姿を観察していた。


 赤銅しゃくどう色の髪はヴァルナル譲りだろう。だが巻毛はおそらく母親から。グレーの瞳も父親のに比べると青みがかっている。左目の下にあるほくろが、白い肌に目立って見えた。

 そういえば、第一印象が悪すぎて失念していたが、この少年は体が弱いのだとオヅマが言っていた。それに以前にヴァルナルからも病弱な息子がいると聞いたことがある。

 しかし、目の前の少年は病人とは思えないくらいに元気だし、ヴァルナルが言っていた『壊れそう』な脆弱さも感じない。むしろ、領主の息子らしい矜持も尊大さも持ち合わせた、普通の貴族の若君だ。


「あ、お前…ちゃんと自己紹介しろよ。オリヴェルも」


 オヅマは二切れ目のパイを食べながら、アドリアンの肩を小突いた。


「オリヴェル・クランツ。銀鶲ギンオウの年生まれだ」


 まるで競っているかのように、先にオリヴェルが自己紹介を終える。

 アドリアンは今度は溜息を隠さなかった。


「アドリアン……。黒鳩コクキュウの年だ」

「なんだ、一歳しか違わないじゃないか」


 オリヴェルが横柄な様子で言うのを、アドリアンは冷たく見た。


「そうだな。一歳しか違わないのに、随分と幼く見えたよ。下手をすればマリーよりも年下かと思えそうだ」

「なんだって?」

「もう! 二人とも! いい加減にして」


 マリーがとうとう怒り出す。


「せっかくお茶淹れたのに、冷めちゃうわ。ピーカンパイだって、お兄ちゃんに全部食べられても知らないから!」


 オリヴェルとアドリアンは睨み合ってから、テーブルのパイに手を伸ばす。

 すでに半分がなくなっていた。

 唖然となった二人がオヅマの方を見つめると、言い争いなど知らぬとばかりに、オヅマはもう何切れ目かわからないピーカンパイを頬張っていた。

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