第六十二話 オヅマとアドル(3)

 オヅマはアドリアンよりも一歳年上ということもあり、力勝負では負けなかったが、その分アドリアンはヴァルナル仕込みの剣捌けんさばきで、オヅマの攻撃を時にいなし、素早い身のこなしでかわし、そう簡単に降参しない。

 正直、開始十秒で終わらせるつもりだったオヅマには誤算だった。


「チッ……こうなりゃ本気だすぞ」


 オヅマが間合いをとってつぶやくと、アドリアンもニヤリと笑う。


「へぇ。じゃあ、僕もそろそろ本気になることにするよ」

「言ってろ、馬鹿野郎!」


 怒鳴るなり、オヅマは跳躍する。太陽を背にして、その姿は一瞬翳り、まともに見上げたアドリアンの目を強い太陽の光が射た。


「くっ!」


 アドリアンは目がくらんで、当てずっぽうに剣を振るう。

 ガツッ! と木剣が鈍い音をたてた。


 オヅマの振り下ろしてきた剣をまともに受けて、アドリアンの手首にビリッと痛みがはしった。

 構え直す隙も与えず、オヅマはすぐさま次の攻撃に移る。

 その切り返しの早さによけることができず、アドリアンはガチリと剣身ブレードを正面から受け止めた。


 木剣の交差した部分が拮抗した力でギギギと震える。

 オヅマは力で押してくる。このままでは勝てない。

 アドリアンは歯を食いしばって受け止めつつ、いなすタイミングを探っていたが、オヅマは本気といった言葉に嘘はないようで、その隙を見せなかった。


 手首が痛い。痺れてくる。

 アドリアンの額から汗が噴き出た。


 一方、オヅマはなかなか降参しないアドリアンに苛立った。木剣を持つ手に力をこめ、ますます追い込む。近く、近くへと間合いを詰めて、いきなりドンと腹を蹴った。

 アドリアンは軽く吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられた。


 周囲にいた騎士達が顔色を変えてアドリアンを見たが、ヴァルナルは動かなかった。

 パシリコが囁く。


「よろしいのですか?」

「………通常訓練だろう?」


 ヴァルナルは腕を組んだまま二人の様子を見ている。


「しかし……」


 パシリコが言う前に、アドリアンが声を荒げた。


「卑怯だぞ! 剣における勝負でいきなり腹を蹴るなんて!」


 アドリアンは公爵家を継ぐ者として、善性に基づいた騎士道のを習う。ヴァルナルもそのように指導するように言われているので、公爵邸においては剣の試合中に腹を蹴るなどという行為は許されない。

 だが、レーゲンブルト騎士団はこれまで実際に戦を何度も行ってきた実戦部隊だ。本来の戦場においては、礼節を弁えた戦闘行為など行われない。相手によってはこちらの常識など通じないことも多いのだから。

 故にレーゲンブルト騎士団においては、ではなくの訓練が行われる。


 オヅマは木剣を肩にかつぎながら、地面に倒れたアドリアンを見下して、せせら笑った。


「知るか。そうしちゃ駄目なんて、誰が言ったんだよ」

「騎士として恥ずかしいと思わないのか?」

「騎士として為すべきことは、すべてを尽くして勝つことだ」

「な……」

「つまらねぇ矜持ことにこだわって、くたばって戦えなくなれば、結局意味がねぇだろうが」


 アドリアンはさっとヴァルナルの方に目を向けたが、グレーの瞳は冷厳としてアドリアンを見ていた。

 緊張が走って、騎士達が固唾かたずをのむ中、ヴァルナルはゆっくりアドリアンのところまで歩いてくる。


「立て」


 太陽を戴いて、ヴァルナルの姿が暗く翳った。「いつまで座り込んでいるつもりだ?」


 アドリアンはいつも優しく接してくれたヴァルナルの冷徹な姿に、泣きそうになりながらも立ち上がる。

 ヴァルナルはニヤリと笑って、オヅマを見た。


「勉強しているようだな、オヅマ。さっきの台詞はオルガス大元帥の言葉か?」


『騎士として為すべきことは、すべてを尽くして勝つことだ』とは、実のところ先達せんだつの名言であった。


 オヅマは肩をすくめた。


「マッケネンさんが覚えておけ、って」

「あぁ、そうだ。力を尽くし、精神こころを尽くす。それが私の騎士としての在り方だ。さ、続けろ」


 ヴァルナルがそう言って立ち去ると、騎士達は再び動き出す。

 あちこちで気合が上がる中、アドリアンは冷や汗をかきながら唇を噛み締めていた。

 手首が痛い。


「行くぞ」


 オヅマが構えるなり、土を蹴る。

 アドリアンは気を奮わせて集中した。ここではこれまでの修練など通用しない。


 痛みに耐えて剣撃訓練が終了した頃には、アドリアンの手首は赤く腫れていた。

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