第三十六話 鈍感な親子

 そんな情けない主従のやり取りから、十日以上が過ぎた頃 ――――


「おぅ、オヅマ。こっちこっち」


 格闘術の稽古が終わると同時に、マッケネンが意味深な顔で手招きしてくる。


「なに?」


 滅多と入ることのない会議室に連れて行かれて、オヅマはちょっと不安になった。ここに呼ばれる時はたいがい叱られるからだ。しかし、マッケネンはまったく怒っている様子はなく、むしろおずおずと尋ねてきた。


「お前さ、そのー……若君の部屋でさ、文筥ふみばことか見たことある?」

「はぁ? フミバコ…って何?」

「手紙とかを入れておく箱だよ。形状はまぁ…こんなのだ」


 言いながらマッケネンは戸棚から取り出した大きな四角い箱をみせてくれた。


「これは簡素な作りだが、贈り物というからには多少は豪華なんだと思う。これくらいの箱、なかったか?」


 オヅマはオリヴェルの部屋の中を思い出せるだけ頭に浮かべてみたが、それらしき物体についてはとんと記憶がない。


「知らない」

「あぁ……そ」


 マッケネンは残念なような、呆れたような…何とも複雑な溜息をもらした。

 オヅマは首をかしげた。


「なに? それいるの?」

「いやいやいや! いらんいらん。ただまぁ…その…なんだ……それって、もしかして若君が使ってるのかなー…って思ってさ」

「そりゃ、オリヴェルの部屋にあるモンならオリヴェルが使うだろ」

「うぅぅ…」


 マッケネンは項垂れてから、プルプルと震えた。それからバン! と、なにかを机に叩きつける。


「……なに、これ?」

「手紙だ」

「ふぅん。弟さん?」

「違う。ベントソン卿…副官のカール・ベントソン卿からの手紙だ」

「……なに? お目付け役ご苦労さまって?」


 オヅマは聞きながら、いつになったらこの会話が終わるのかと思った。この後は下男として、居間の家具やカーテンを夏向けのものに替える仕事が待っているのだ。


「読め!」


 マッケネンはオヅマに手紙を突きつけた。


「えぇ? なんで俺が…」


 言いながらも、マッケネンがものすごい渋い顔をして睨んでくるので、オヅマは嫌々受け取った。


「えぇ…と…なにこれ? 緑清りょくせいの…き日…に……あー、意味わかんね…」

「最初の部分は定型文だから読まなくていい。五行目から後を読め」

「……これ『文筥ふみばこ』っていうの? あ、ハイハイ。えーと…『は若君に贈ったものではなく、ミーナ殿に贈ったものなので、お前からオヅマに言って、オヅマから若君にそれとなく伝えてほしい。』………どういうこと?」


 オヅマは意味がわからなくて聞き返した。

 マッケネンがヒラヒラと手を振った。


「そういうことだ。お前から伝えてくれ」

「なにを?」

「文筥を、贈った相手が、ミーナ殿だということを、だ!」

「贈った? カールさんが贈ったの? 母さんに……?」


 オヅマはにわかに胸がザワザワした。さっきまでのマッケネンと同じような渋面になる。しかしマッケネンはすぐに否定した。


「違う! 贈ったのはご領主様だ」

「領主様が? なんで?」

「なんでって…そりゃ…贈りたいと思ったからだろう」

「母さんに? その文筥って手紙入れておくんだろ? なんでそんなの贈るの?」

「こっちが聞きたいよ!」


 マッケネンはとうとう叫んだ。

 よりによって、なんだって自分にそんなことを頼んでくるんだ…と、遥か遠く帝都にいるカールに恨み節を送りたくなる。

 それに、オヅマの言う通りだ。なんだって、そんな文筥なんてものを女性に……好意ある女性に贈るんだろうか、我が領主様は。


「なんだよぉ…いきなり大声出して」

「いや、すまん。ちょっと…慣れないことを頼まれて……」


 マッケネンはフゥともう一度、今度は深く息を吐いてからオヅマをじっと見つめた。

 ミーナもそうだが、オヅマにしても相当に鈍感なのか、まったく自分の母親が領主様に好意を持たれていることに気付いていない。いつだったか料理人のソニヤが言っていたが、自分の母親の身分のことを考えても、まったくもって有り得ないと思い込んでいるらしい。 


「なぁ、オヅマ…領主様なんだが」

「はい?」

「あの御方は元は貴族じゃないんだ。騎士でもない。元は帝都近郊の中都市の商家の出だ」


 オヅマはそれまで聞いたことのなかったヴァルナルの経歴について、興味を持った。この後、他の下男達から遅刻を叱られるかもしれないが、聞いておきたい。


「じゃあ、本当は商人になるはずだったの?」

「いや。跡は兄君が継がれたはずだ。その後に公爵家の騎士だった人に才能を見出されて、その人の養子になる形で騎士になったわけだ」

「へー…じゃ、やっぱり相当に強いんだ」

「うん、そうだ。いや…それは今はいい。つまり、元々貴族じゃないから、非常に自由思考というか…要するに身分とかあまり気にしないんだ。無論、序列は絶対だから、普段は厳しいがな」


 オヅマは頷いた。

 それはここに来てからすぐに感じたことだ。ヴァルナルは領主としての務めを果たし、その上で指示や命令するが、身分が低いからと軽んじることはない。それぞれの使用人の働きに対して、いつも感謝を忘れなかった。

 領主のその気風がレーゲンブルト全体にも浸透していて、行政官なども高飛車な人間は少なかった。


「だから…その…もし結婚となっても、身分を気にする人じゃないんだな」


 いきなり『結婚』という言葉が出てきて、オヅマはキョトンとなった。


「え? 領主様、結婚するの?」

「………その可能性がある、っていう話だ」

「へぇ。めでたいね。あ、でもオリヴェルのこと虐めるような継母だと困るな」

「………たぶん、優しい人だと思うぞ」

「マッケネンさん、知ってるの?」

「知ってるよ。お前は…もっと知ってると思うぞ」


 マッケネンは目の前にいる、あまりに鈍感な少年をちょっとからかってやりたくなってきた。


「えぇ! 俺、知ってんの? 誰? 誰だよ?」


 想像もつかないのか、オヅマは興味津々という様子で尋ねてくる。

 マッケネンは手で顔を覆った。思わず口が歪んで笑ってしまう。

 本気で言っているのだろうか? その手のことに聡い人間なら、この会話の流れで大まかにはわかりそうなものだ。

 しかし目の前の亜麻色の髪の少年には、まったく予想もつかないようだった。

 マッケネンは立ち上がると、手紙をヒラヒラ振ってみせる。


「ま…ともかく。副官殿からのわざわざの便りだ。すまないが、この手紙のこと、頼まれてくれるか?」

「うーん…じゃあ、その手紙もらってもいい? 直接、オリヴェルに渡した方が多分わかると思う。俺が言っても、俺がよくわかってないし」

「あぁ、そうだな。いいぞ、もってけ」


 オヅマにカールからの手紙を渡すと同時に、マッケネンは自分の仕事は終わったことにした。

 実のところオヅマの読んだ部分以外に、ミーナの気持ちをそれとなく聞いておいてくれ、などといった無理難題まで要求されていたのだが、マッケネンはその二枚目以降についてはそのまま丸めて捨ててしまった。どだい、自分のような朴念仁ぼくねんじんに、他人の恋愛の橋渡し役など向いてない。


「人選を間違っておられますよ、副官殿」


 オヅマが去った後、マッケネンは独りちた。

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