第三十五話 不器用な領主様
ヴァルナルは溜息をついて、その手紙を机の上に置いた。浮かない顔の上司に、カールは首をひねった。
「ミーナ殿からの手紙ですよね?」
尋ねたがヴァルナルは返事をせず、どんよりと頬杖をついた。
「………カール」
「はい?」
「お前の助言に従って、一応…贈り物というのを一緒に送ったがな……どうやらオリヴェルが使っているらしい」
カールは首をかしげた。
確かに先月、レーゲンブルトを発ってから何度目かになるミーナへの手紙を書いている主に、カールは言った。
「いつも日報のような味気ない手紙ばかり送らずに、たまには一緒にプレゼントでも贈られてはいかがです?」と。
本当は……
『そうでもしないと、ミーナがあなたの気持ちに気付くことはありませんよ』
……と付け加えたいところだったが、そこはさすがに目上の、いい年の大人に言うべきことでもないだろうと思って控えた。
「失礼ですが、どんなものをお贈りになったのです?」
「
「……………はい?」
たっぷり間をあけてカールは聞き返した。
ヴァルナルの言った品を思い浮かべたが、今までカールがしてあげた女性への贈り物の中に、それらは一切入ってこなかった。
「もしかして…ミーナ殿があえてそうした品を望まれたのでしょうか?」
「そんな訳ないだろう。むしろ、それだったら有り難いくらいだ…」
「…でしょうね」
カールは内心でヴァルナルの不器用さに呆れた。どうして好意のある相手…しかも女性に対してそういう品物を選ぶのだろうか?
「失礼ですが、領主様。もしかして品物を選ぶにあたって、ライル卿にでも相談されましたか?」
いつもはヴァルナルの警護担当でもある副官のパシリコ・ライル卿は現在、休暇中だった。カールと入れ替わりに、久しぶりに家族水入らずで過ごしている。
「パシリコには一応聞いたが、『わからん』だけだ。まぁ、あの男が気の利くようなものを知っているとは思えないしな…」
それは
「そうですか。では、ご自分で選ばれたわけですね」
「いや。実は…公爵閣下を参考にさせて頂いた」
「公爵閣下?」
カールはやはり首をかしげた。
武人としてここまで上り詰めたヴァルナルが無骨者であるのは仕方ないにしても、洗練された貴族としての教養を受けて育ってきたグレヴィリウス公爵が、そんな味気ないものを贈るだろうか?
「グレヴィリウス公爵閣下がそんなものをお贈りになられたのですか? 誰にです?」
「公爵閣下が女性に物を贈ると言ったら、奥様以外有り得ないだろう」
ますますカールは混乱した。グレヴィリウス公爵が、今は亡き奥方を非常に愛されていたことは有名だった。高位貴族にあっては珍しい相思相愛の、極めて仲睦まじい関係だった。
それ故にこそ奥方が亡くなった時から、公爵の表情から笑顔は消え、いつも腕に薄鈍色の喪章をつけるようになったのだが……今は、その話はさておき。
「本当に、公爵閣下が奥方にそのようなものをお贈りになられたのですか?」
「あぁ。昔、欲しいと言われて、特注のものを作ったらしい」
「………」
カールはもはや隠すこともなく溜息をついた。
あぁ、そりゃそうだろう。奥方からの希望で、贈って差し上げたのだ。それは、既に公爵と奥方という関係性があってこそ成立するプレゼントだろう。
「ヴァルナル様…それは公爵の奥様が望んだプレゼントです。つまり夫婦であればこそ、喜ばれるものなのです」
「そうなのか?」
驚いたように言ってくるヴァルナルに、カールは深々と頷く。ヴァルナルは顎に手をやって考え込みながらつぶやいた。
「そうか…そういうものか。しかし、店主にもいいプレゼントだと褒められたのだが…」
「店主? どこに行ってきたんです?」
「雑貨屋だ。
カールはしばらく考えてから、慎重に質問した。
「失礼ですが…どういった相手に贈るのだと言いましたか?」
「それは…無論、息子の面倒を見てくれている……」
「使用人だと?」
「いや! それは店主も勘違いしたから、すぐに訂正した。だから…その…世話人というか、教育の面でも頼りになる……女性だと……」
カールは頭を押さえた。
それじゃ店主だって勘違いするだろう。おそらくは家庭教師あたりへのねぎらいとして、プレゼントを贈るのだと思われたに違いない。実際、その通りであれば、気の利いたプレゼントと言える。
しかし、ヴァルナルが目指したのはそこではない。
「便箋とインクについては、一応、女性向けの、紙に押し花なんぞが入ったものにしておいたんだ。インクも…その…書いている時には藍色らしいんだが、日が経つと、紫色に変化するんだ。見本を見せてもらって、これだ! と思ったんだがなぁ……」
いかにも残念そうにヴァルナルは言ったが、カールはげんなりしてきた。
「……紫色になるというのは、ミーナ殿の瞳の色に合わせたということですか?」
ヴァルナルは返事をせず、んんッ! と、咳払いする。髭で隠れた頬は見えなかったが、耳の下が真っ赤に紅潮していた。
あぁ、不器用―――…。
カールは眉間を軽く押した。だんだん頭が痛くなってきた…。
「おい、カール。お前に言われてやってみたんだぞ。俺がこんなことが苦手なのは、お前はわかっているだろう?」
厳しい口調でヴァルナルは言ったが、それは恥ずかしさを必死に打ち消そうとしているからだろう。カールは軽く溜息をつきながら、クスリと微笑んだ。
「それはすみませんでした。助言をした時に、一緒にプレゼント選びもつき合った方が良かったですね」
「そうだぞ。あの後、お前は言うだけ言って休暇を取るから…俺がおかしなものを贈ったとしても仕方がない」
なんとも勝手な言い分ではあったが、カールはヴァルナルのそういう子供っぽいところが嫌いではない。
「まぁ、女性への贈り物といえば花が
「装身具?」
「ネックレスや耳飾り…というのもありますが、ミーナ殿の性格からしても、そうした華美なものは受け取らないでしょうし、何より仕事の邪魔になりますからね…髪飾りなどがよろしいのでは?」
「髪飾り?
「飾りのついたものであればよろしいですよ。間違っても、ただの
カールはあえて念を押した。
髪を梳く櫛を女性に贈るというのは、いわゆる行為後のマーキングに近いもので、「これで乱れた髪を梳くといい」という婉曲な含意を経て、「昨日、良かったぞ」的な意味合いになってしまう。
こういう事はさすがに騎士教練などにもなく、ただただこれまでの経験が物を言うので、武人一筋のヴァルナルが知らない可能性がある。(もっともカールも経験ではなく、身近な人からの情報なのだが)
案の定、ヴァルナルはまったくわかっていない様子で、カールの言った通りのことを反復した。
「うむ。髪梳き用の櫛は駄目なんだな」
「そうです。まぁ、妙な誤解をされない為にも、櫛形状の髪飾りは外しましょう。ミーナ殿の職務からして、装飾的に髪を結わえることもないでしょうから、
「む。……で、それはどこで売ってるんだ?」
「………」
カールは微笑んだまま固まった。
もうこれは、小僧のおつかいに近いのではないのか?
コホンと、一つ咳をしてから教えていく。
「女性への贈り物というのであれば、宝石商などで求めるのが一般的ですが…」
「宝石商か……」
つぶやいて、ヴァルナルは眉を寄せる。カールはすぐに推測できた。
おそらく生まれてこの方、行ったこともないのではないだろうか。いや、行ったことがあったとしても、おそらくは公爵閣下の護衛として足を踏み入れた程度だろう。
カールはしかしまた慎重に考えた。現状、ミーナはヴァルナルのそうした好意に対して、まったく気付いていない。それは領主館を出る時の態度からしても明らかだ。そうなるとミーナにとってあくまでもヴァルナルは領主であり、自分の主人ということになる。
極めて控えめで、己の分に対して厳格なミーナのことだ。主人からの贈り物であっても、使用人風情が持つのに豪華すぎるものであれば、丁重に断ってくるだろう。
「いえ、ヴァルナル様。もしかすると、あまりに高価な贈り物であればミーナ殿はかえって恐縮するかもしれません。宝石などのついたものよりは…そうですね……布細工ですとか、あるいは
カールが熱心に言うのを、ヴァルナルは呆けたように眺めた。
「お前……どうしてそんなに詳しいのだ?」
ヒクッとカールの頬が引き攣った。自分は今、誰のために髪留めの話をしていると思っているのだろうか。しかし、あくまでも上官だと言い聞かせてカールは一応、説明した。
「前にもお話ししました通り、私には姉妹が多いのです。私の上に姉が二人、下には妹が四人。六人の女に三人しかいない男共が勝てるわけがありません。特に女性に対する心得については、大層厳しく躾けられました。贈り物のことも然りです」
「ハッハッハッ! 勇猛さをもって鳴るベントソン三兄弟も姉妹には形無しというところか」
ヴァルナルは楽しそうに笑ったが、実際、その家に来てみて女性陣に囲まれ、今の話をしてみればいいのだ。さんざんに吊るし上げられて、家を出る頃にはぐったり
「で、そういうのはどこに行けばいいんだ?」
ヴァルナルがまた子供のような目で尋ねてくる。
カールは溜息をついた。
「……一緒に行きましょう」
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