第二十八話 ミーナの気がかり

 オヅマが騎士になるために勉強していることを聞いて、オリヴェルは楽しそうに言った。


「なんだ。それだったら、僕と一緒に先生に教えてもらったら?」


 オリヴェルは幼い頃から時々、世話係などから文字を教えてもらっていた。当然、オヅマよりも読む知識は豊富であるし、書くことにも長けている。

 最近では体調のいい状態でいることが増えたので、そろそろ帝都から家庭教師を招聘しょうへいすることも考えられているらしい。


「先生? そんなのいたっけ?」


 オヅマが首をひねると、オリヴェルはミーナを示した。ゲッとオヅマの顔が歪む。


「冗談じゃない。母さんに教えてもらうなんて御免だよ」

「どうして? とっても丁寧でわかりやすく教えてくれるのに」

「そりゃ、お前がこの館の若君だからだよ。自分の子供相手とは違うの!」

「えぇ? だって、マリーだって教わってるよ。ね? マリー」


 マリーはコクンと頷くと、腕を組んで兄をあきれた目で見た。


「しょうがないわ。だって、お兄ちゃん、母さんの話を聞いてたら寝ちゃうんだもの」

「母さんがなんか読み出したら、子守唄に聞こえるからな」


 そうして船を漕ぎはじめたオヅマの耳を引っ張って、大声で怒鳴られたこともあるのだが、おそらくそんなミーナをオリヴェルは知らないだろう……

 ミーナは苦笑して聞いていたが、コホンと咳払いした後にオヅマに言った。


「もし、どうしてもわからないことがあったら言って頂戴。教えてあげられることなら、力になるわ」

「大丈夫、大丈夫。マッケネンさんもあれで割と頭いいらしいから。帝都アカデミーの試験に落ちたから、騎士になったんだって。試験受けられただけでも、相当なんでしょ?」

「まぁ。だったら母さんなんて必要ないわね」


 ミーナは驚いてから、少し肩をすくめてみせる。


 帝国において中小規模の有象無象のアカデミーと名のつく教育機関は数あるが、帝都アカデミーと通称される『キエル=ヤーヴェ研究学術府』は最高峰の教育機関だ。

 大陸の智慧の集積学府とも呼ばれ、多くの賢人が在籍して教鞭きょうべんをとっている。

 当然ながらその入学は最難関中の最難関であり、毎年のように多くの人々が受験するが、よほど頭が良くないと入れない狭き門であった。しかも通算して五度不合格となると、永遠に入学できない。

 中には最初から入学できるとは思っておらず、記念として受験する者もいたようで、昨今では受験の前に一度、考査資料を送った上で受験資格を認可する…という形になっている。つまり受験できるだけ、そこそこに頭がいいという証左しょうさになる。


「騎士って大変なのね。剣も弓もやって、お勉強までしないといけないなんて」


 マリーはさすがに毎日雑役ざつえきをしながら騎士団の訓練も受けて、その上勉強までしなければならない兄に、ちょっとだけ同情した。


傭兵ようへいとか下級騎士なら、いいらしいんだけどさ。やっぱ騎士を目指すなら上級だろ。鎧とか全ッ然違うからな! 下級のなんか野暮ったくて……」

「鎧で決めたの?!」

「それもある」


 マリーはあきれて、軽く溜息をもらす。同情するだけ無駄だった。

 オヅマは妹にあきれられていることに気付かず、オリヴェルに尋ねた。


「そういや、お前知ってたか? 領主様は黒杖こくじょうの騎士って」

「ううん。なに、それ?」

「なんかスゲーんだって」

「はぁ?」


 オリヴェルが首を傾げるのを見て、ミーナが説明した。


「とても強く、心映えも優れた騎士に送られる名誉ある称号です。領主様は文武において優れておいでですが、その上で稀能キノウをお持ちだそうです」

「キノウ? なにそれ」


 オヅマはわからなかったが、オリヴェルはびっくりしたようだった。


「父上が? 本当に?」

「えぇ。私もよくは存じ上げませんが、そう聞いております」


 オヅマは二人で話しているのに割って入る。


「なぁ、キノウって何さ?」

「稀能っていうのは、ちょっとした特別な力、みたいな……もの。かな?」


 オリヴェルは話しながらも、自信が持てなくなって、ミーナに目で尋ねる。

 ミーナは微笑んで、説明してくれた。


「周囲の人間からは、特殊な能力のように見えるのですが、実際には相当の修練を積んで可能にするものらしいですよ。元からの素養に加えて、己で磨くことで身に着けるのだと…」

「ふぅん。なんか凄いなぁ…。それって領主様が言ってたの?」


 オヅマは何気なく聞いたのだが、ミーナの顔は一瞬強張った。母の態度にオヅマの方がかえって動揺する。


「え……なに?」

「いえ。なんでもないわ」


 ミーナはすぐに笑みを浮かべたが、オヅマは母が何か隠していると気づいた。いつもそういう笑みを浮かべて誤魔化すのだから。

 ミーナはいぶかしげに見てくる息子を見つめ返しながら、問いかけた。


「オヅマ……。あなた、黒杖の騎士になりたいの?」

「え? あ、うん。まぁ……」


 オヅマは返事しながら、オリヴェルの前ということもあってちょっと恥ずかしかった。まさか息子の前で、お前の父親に憧れているとは、声を大にしては言いにくい。

 しかしオリヴェルはあまり頓着していなかった。


「じゃ、頑張らないとね、オヅマ。上級騎士なら皇宮こうぐうに配属されるかもしれないから、キエル式礼法は全修マスターしないとね!」


 笑顔で恐ろしいことを言ってくる。

 礼法はオヅマに課された勉強の中で、最も厄介で苦手な科目だった。


「ああぁ…もう勘弁してくれよー」


 ゲンナリと肩を落とすオヅマを見て、オリヴェルとマリーがケラケラ笑っている。

 その様子を微笑ましく見ながら、ミーナはどこか暗い口調でつぶやいた。


「………抗えない…ものね……」

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