第二十三話 領主様の冷徹

 執務室に残っていたネストリは目の前で繰り広げられた一連の出来事に苦虫を噛み潰していた。

 執事の不満げな様子にヴァルナルは軽く溜息をついてから、椅子に腰掛ける。


「……こういう事だ、ネストリ」

「ですが、領主様! 先程も申しましたように、それでは下の者に示しがつきません! あの兄妹きょうだいは決して若君に会ってはならぬというを破ったのです! その上、病弱な若君にしき病気を伝染うつして…アントンソン夫人はああ申しましたが、一時は命も危ぶまれたのですよ!」


 ネストリは激昂げきこうのあまり裏返った声で必死に訴えたが、ヴァルナルを始めカールも冷たい視線だった。

 ヴァルナルは机の上で両肘をつき、手を組み合わせて顎を置き、じっとネストリを見上げる。


「そもそもまず、私は息子に特定の誰かと会うことを禁じた覚えはない」

「し……しかし、こうして悪い病にかかることもあると思い……」

「事態は正確に把握せねばならぬ。オヅマ達がオリヴェルと知り合い、一緒になって遊ぶようになったのは先月の話だ。それから一月ひとつき近くを経てから発症とはおかしいではないか。そもそも、その時には紅熱病こうねつびょう流行はやっていなかったのだ」

「それは……」


 ネストリは正確なところを突かれて口ごもる。

 ヴァルナルは相手が怯んだとみるや、鋭い目で刺した。


「むしろ、流行し始めたのは君が実家から帰ってきてからと、記憶している」


 ネストリはギョッとなった。

 まさか自分に矛先ほこさきが向くとは思っていなかった。


「りょ、領主様ッ! わ、私がこの病の元凶と仰言おっしゃっておいでですか!?」

「この病に関して、誰かに対して感染の責任を問うつもりはない。そもそもどこから流行ったかなど、わかりようもない。領地には他国からの商人達も多く訪れる。明らかに誰と特定できようはずもない」


 ヴァルナルは言いながら、ゆっくりと椅子にもたれかかった。

 大きく胸をひらいた姿は横柄にも見えたが、その威容にネストリは口を噤む。

 ヴァルナルは重ねて言った。


「ミーナは自分の子供よりも優先して我が息子を看病し、その娘は自分もまた、やまいにありながらオリヴェルに母を譲ったのだ。この一事いちじをとっても、息子にとってマリーとミーナが恩人であることは間違いない。恩人を追い出すなど、そのような恥知らずな真似を私にさせるのか、ネストリ」

「………」


 ネストリは何も言えなかった。

 ヴァルナルの論法はケチのつけようもない。


「私は君に執事としての権能を与えたが、勝手な規則を作って領主館を差配さはいすることを命じた覚えはない。この領地においての法は私である。僭越せんえつなことをするな」


 普段は柔和なヴァルナルのグレーの瞳に怒りにも似た閃きが宿り、ネストリは軽く後ずさった後、無言で頭を下げた。

 ヴァルナルが出て行くよう手を振ると、そのまま部屋を出て行く。


「まったく…いよいよ困った執事殿ですね。公爵邸に送り返した方が、本人も嬉しいのではないですか?」


 カールがあけすけに言うと、ヴァルナルは苦笑した。


「それが、あちらでもさほどに入用ではないらしくてな」

「まったく。不良人材を押しつけないでほしいですね。領主様も律儀に彼を雇っておかずともよろしいのに」

「まぁ…下手に解雇して痛くもない腹を探られるのも面倒だからな」


 ヴァルナルが言うと、カールはむぅと眉をひそめる。

 本家となる公爵家が目付として家臣の家に使用人をことは、公然の間諜かんちょうであり、それを断れば忠義を疑われる。

 だが、ヴァルナルと公爵の間でそんな隔たりがあるとは思えない。


「まさか。公爵閣下が領主様に対して不信を抱くことなどないでしょう?」

「閣下がそうであっても、周りにはいくらでも讒言ざんげんしようと待ち構える人間はいる。ま、ネストリごときで狼狽うろたえているようでは、私の器も小さいと思われるだろう。それに館の維持管理について彼が優秀であるのは確かなことだ。要は、彼の長所を上手うまく使って、短所はその都度、めればよかろう」


 ヴァルナルが一応の結論を出した時に、パシリコが戻ってきた。


「ミーナを部屋まで送り届けました」

「ご苦労。顔色が思わしくないようだったが、大丈夫だったか?」

「支えようとしましたが、気丈な女でして、最後まで一人で歩いて部屋に入っていきましたよ。部屋に入る時も私に、領主様のご温情に感謝していると伝えてほしい、と言われました」


 ヴァルナルはその報告を聞いて、顎髭を撫でる。

 つぶやくように問いかけた。


「お前達、ミーナについてどう思う?」


 唐突な質問の意図がわからず、パシリコとカールは目を見合わせた。

 やや間をおいて、パシリコは咳払いしてから言う。


「えー……確かに多少目を引く女人ではございます」


 その答えはヴァルナルの求めたものではないようだった。

 ジロリと睨みつけられ、パシリコは内心で首をかしげる。


厨房ちゅうぼうの下女とは思えぬほどに、洗練された女人にょにんだと思いました」


 カールが言うと、それこそが求めた答えであったようで、ヴァルナルが笑みを浮かべた。


「そうだ。聞いたか?『いかようなる罰もいといませぬ』などと古びた言いよう……そこらの領主館の召使いの言葉遣いではない」

「そういえば…さっきも領主様が顔を上げろと仰言おっしゃったのに、一度では拝跪礼はいきれいきませんでしたね」


 カールが重ねて同調すると、ヴァルナルは我が意を得たりとばかりに深く頷いた。


「目上に対しては、一度のゆるしで頭を上げるのは不敬とされるからな。そんな細かななど、ここでは無用のものだというのに」


 あきれたような言い方をしながらも、ヴァルナルの目は穏やかな光を浮かべている。

 カールはまさか、と思いつつもそれとなく言ってみた。


「そういえば、ミーナは金鴇キンホウの年の生まれと申しておりましたから、今年で28になりますね」

「……どうしてそんなことをいきなり言いだすんだ?」

「いえ。弟と同じ年だと思っただけです」


 カールはしれっと矛先をかわしたが、パシリコが余計なことを付け加える。


「おぉ、そういえばアルベルトはオヅマ達兄妹とは随分と仲良くなったようだし、ミーナとは似合いかもしれんな」


 案の定、というべきか、意外に、というべきか……ヴァルナルの顔が一気に無表情になった。

 カールは無頓着なパシリコに溜息をついた。


「それでは一件落着しましたし、私はこれにて兵舎に戻ります」

「む。来週からの演習について、各班長と話しておくように」

「はッ」


 カールは肘を前に突き出して敬礼すると、部屋から出た。

 こういう時は鈍感なパシリコが領主様付きの警護担当で良かったと思う。


 それにしても、あの親子は三人とも、この館にとんでもない風を運んできたようだ。………

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