第二十一話 オリヴェルの勇気
久しぶりだった。この廊下を歩くのは。
オリヴェルは左手でマリーの手をしっかり握り、動悸する心臓に右手を当てながら、窓からの光が所々に落ちた薄暗い廊下を、しっかりした足取りで歩いていた。
実のところ、もっと幼い頃は何度か部屋から出て、館内をうろつき回っていたのだ。ただ、たいがい途中で迷ったりしている内に、疲れて座り込む羽目になり、そうなるといつも召使いに抱っこされて部屋に戻された。
その度に叱られた。
だから大きくなるに従って、だんだんと出歩くことはなくなっていった。
一年ほど前のこと。
オリヴェルはその夜、懐かしい人の出てくる夢を見て目を覚ました。
起きた時にそれが夢だとわかると、自然と涙がこぼれた。
夢の中に久しぶりに現れたのは、赤ん坊の頃からオリヴェルの世話を見てくれた侍女だったが、彼女はオリヴェルが5歳の時に、ひどい言葉を吐いて出て行ってしまっていた。
真夜中の一人ぼっちの部屋は、ひどく寂しい。
さっきまで見ていた夢が幸せだった分、起きた時の喪失感は深かった。
不意に人恋しくなって、オリヴェルは部屋からしばらくぶりに出た。
誰か……を求めながら、オリヴェルが探していたのは父だった。
オリヴェルが物心つく頃には長引く戦でおらず、領主として帰ってくるようになっても一年の半分は不在の父。
当然、親子関係は稀薄なものになっていたが、オリヴェルは時折父が自分の寝ている時に会いに来ているのを知っていた。
以前に何度も父が不在の時に来ていた執務室は、夜遅い時間にもかかわらず灯りが漏れていた。
まだ、父が仕事をしているのだろう。
オリヴェルは扉の前で
ノックをしようか、それともそっと開けて、父の姿だけ覗いてみようか…。
オリヴェルは静かにしていたつもりだったが、騎士の中でも高位の能力を持つ父は、扉向こうの気配を感じたのだろう。
いきなり扉が開き、暗がりに現れた威圧的な男の姿に、オリヴェルは腰を抜かした。
「ヒッ…!」
驚愕と恐怖が同時に襲ってきて、キュウゥと引き絞られる心臓の痛みに胸を掴む。
「う……あ……」
一気に気持ちが萎えて、視界が暗くなり、オリヴェルは倒れ込んだ。
父は気を失ったオリヴェルを部屋まで運んで、寝台に寝かせてくれたようだ。
「……父上…っ」
父が立ち去りかける寸前に、目を覚ましたオリヴェルはあわてて呼びかけたが、父は振り向きもせず冷たく言った。
「……部屋にいなさい」
「…………はい」
ごめんなさい、と小さくつぶやいた声を父は聞いただろうか。
言い終わると同時に扉はパタリと閉まった。
以来、オリヴェルは部屋から一歩も出なくなった。
父に会いたいという気持ちもなくなった。いや……封印した。
けれど、今はなんとしても父に会わなければならない。
会って、オヅマもマリーも自分の我儘に付き合ってくれただけなんだと…ちゃんと言わなければ!
オリヴェルが武者震いすると、マリーがギュッと握っていた手に力をこめる。
心配そうなマリーに、オリヴェルはニコリと笑った。
「大丈夫!」
オリヴェルは少しだけ足を早めた。
自分のためだけじゃない。マリーのため、オヅマのためだと思うと、不思議なくらい力が満ちてくる。
―――― わかった…
どうしても一緒に遊びたいのだと駄々をこねたマリーとオリヴェルに、オヅマは根負けしたように言って笑った。
優しい、温かな眼差しに、オリヴェルは初めて胸がじんわり熱くなった。
オヅマは―――
領主の息子であるオリヴェルにもぞんざいな口調で、でも決して病弱なオリヴェルを見下したりはしなかった。
最初から無理だと諦めさせる周囲の大人とは違う。
―――― そうやって不幸がるの、やめろよ
辛辣な言葉。
あんなに怒ってしまったのは、それが本当だったからだ。
オヅマはオリヴェルの卑屈な心を正確に見抜いていた。
―――― 友達が『生きてても仕方ない』なんて言ってるのを聞いて、いい気分になるもんか!
叱られながらも、本当は嬉しかった。
初めてできた『友達』。
一方的に自分だけがそう思っているんじゃない。オヅマもオリヴェルのことを友達だと思ってくれている。
オリヴェルは感じたことのない胸の痛みに涙が出てきた。
ぽろりと一筋頬を落ちると、とめどなくあふれ出す。
嫌だ、嫌だ!
絶対にマリーもオヅマも館から追い出すなんてことはさせない。
もし、彼らを追い出すというなら、僕も出て行ってやる!
ようやくたどり着いた執務室のドアを開けると、オリヴェルは叫んだ。
「ぼっ、僕が…っ…僕が悪いんだっ! マリーもオヅマも悪くない!!」
◆
オヅマは呆然としていた。
一体、何が起こっているのだろう?
居並ぶ大人達の間で床に座り込んでいるオヅマを見て、オリヴェルとマリーはわっと駆け寄った。
「お兄ちゃん!」
「オヅマ! ごめん!」
二人から抱きしめられ、オヅマは目を白黒させる。
「僕のせいで二人を…オヅマ達を館から追い出すなら、僕もここを出て行く!」
「嫌だぁ~!」
「…………」
盛大な泣き声を聞きながら大人達は互いに目を見合わせた。
皆が渋い顔なのは、まるで自分達が子供達を泣かせているような構図で、なんとなく腑に落ちない。
その時、静かだが凛とした声が響いた。
「失礼致します。ミーナでございます」
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