第33話 女神暴虐

「たつまくんを、抹殺!?」

 ラケシス・フィーネ・ロザリンドは血相を変えて叫んだ。神国ウェルスの魔王排斥派、元老たちのなかに先代聖女の息子=魔王の子=新羅辰馬を認めたがらない存在が少なからず居ることは知っていたが、まさか実力行使にまで打って出るとは。


「これは教皇猊下のご意志である。時期聖女候補、ラケシス・フィーネ・ロザリンド、追討使の一員となり、ともに神敵を討つべし!」

 ラケシスの驚愕など意にも介さず。ラケシスの起居する蒼月館併設のチャペルに教皇からの書状を携えた壮年の騎士は、野太い声でそういった。


 騎士はラケシスの心情など知るはずもなく、また知っていたとしても神の徒であるラケシスが教皇の下命を断るはずなどないと信じ切った顔。


 神の僕としては、嘘ついちゃ駄目なんだろーけど……。


「了解、しました。ともに神敵を討ち滅ぼしましょう」

 友人を救うため、ラケシスは戒律を破り、虚言を弄することにした。


 そんな、舞台裏での一幕は知るよしもない辰馬たち一行。辰馬、瑞穂、雫、エーリカ、シンタ、大輔、出水の7人は、二つの学園抗争を乗り越え、いよいよルーチェから「腕を上げたら寄越す」といわれたクエストを受注すべくギルドに向かう。


「たのもー! って、蓮っさん? おばさんじゃねーのか……」

 ギルドのドアを威勢よく開けた辰馬だが、そこに居るはずの叔母がいないことに少々、拍子抜け。かわりに待っていたのは192㎝の長身痩躯、切れ長の瞳に乳白色の蓬髪。端正だが凄みのある、美形悪役、という表現がしっくりくる顔立ちに似合わぬ柔和な笑みを浮かべ、胸前にはこれまた似合わないエプロンをつけた偉丈夫。ルーチェの夫であり辰馬にとっては叔父に当たる、もと魔王討伐の勇者の一人、十六夜蓮純。


「ええ。ルーチェさんは少々、気分を悪くしていましてね。今日は私がお相手です。……物足りませんか?」

「いや、別に……、おばさん、だいじょーぶなんか? 風邪?」

「そういうわけでもなさそうですが、気分が優れない、の一点張りで。あとで病院に連れて行こうかとも思っています」

「ぁ、あー、そやね。それがよか。バカは風邪引かないとかゆっても、ほかの病気にはかかるかもしれんけんな」

 素っ気なく言っているつもりなのだろうが、視線がきょときょと泳ぎ、方言も飛び出しでうろたえているのが丸わかりだった。おばさん想いだよねー、と後ろで雫が囃し、辰馬はちら、とそちらを睨んでから蓮純に向き直る。


「そんじゃ、クエスト! 仕事すっぞ、仕事!」

「誤魔化したー♪」

 雫がそやし、

「ご主人さま、家族思いなのは恥ずべきことではないですよ?」

 瑞穂が窘め、

「まーねー、たつまってお子ちゃまだから」

 エーリカが呆れ、

「やかましーわおまえら! 特にしず姉! しばくぞ」

 辰馬が怒鳴る。

「あ? お? たぁくんやる? やっちゃうか?」

 怒鳴る辰馬を挑発するように、雫がシャドーボクシング。ボクシングスタイルは雫本来の戦闘スタイルとは違うが、これもやたらとサマになる。辰馬はかぶりを振って着席しなおし、雫を無視。


「いや、アホ姉の相手してらんねぇわ。仕事仕事」

「はい。では、……どのファイルだったかな、資料は……普段ルーチェさん任せにしていますからね。……あぁ、これです」

 と、言いつつも手際よく、蓮純は一冊のファイルを取り出して開く。


「寒村・宮代の女神サティア討伐案件……ふーん……女神?」

「ええ。そうです」

「女神……、ふぅん。辺境の小神とか?」

「依頼内容はすべてファイルの中に。持ち出してもらってかまいません」

「うん、おーざっぱにここで読むけど……うぁ……」

 読み進めていくと明らかになる、酸鼻を極める女神の所行。


………………

 順を追って話を組み立てると、こうなる。


 最初、女神は外つ国(とつくに)からふらりとやってきた。青髪に灰の瞳、露出激しく、乳房をほとんど放り出したような扇情的な恰好から、最初は雑伎団の踊り子か何か娼婦かなにかかと間違われたが、そうでないことはこの後、次第に明らかとなっていく。


 彼女は村長、長尾義時の家に押し掛けると、篭絡によってか圧伏によってか、そのまま村に居つく。気難しく、厳格な村長。もと冒険者としてそれなりに剛強を鳴らした人物だったが、あえなく打ち負かされ膝を屈したのは村長宅の人間すべてが彼女の奴僕に変えられたことで知れた。


 以後彼女の暴悪は苛烈を極める。長尾邸の子弟もほとんど口にすることを許されない食事を平然と口にし、長尾の一人娘・早雪を卑女扱い。我が物顔に村を闊歩し、その後ろ姿に陰口でも叩こうものなら、いや、僅かにでも彼女の勘気に触れたものは、「謎の」事件や事故に巻き込まれ、大怪我、あるいは死に至る。


 謎の事故が10件を超えたことで、もはやこの少女がただ人であろうはずはない、と村の皆が確信するに至る。しかし時すでに遅く、この村は女神の神力によって外界から、村一つを丸々覆う、巨大な幽世結界で隔絶された。


「いまからわたしが『創世の女神』を継ぐものとしての実験……いえ、試練を執り行います。この試練に立ち会えること、おおいに喜びなさいな、かわいい虫けらたち。……別に殺しはしない。ただわたしがこの『箱庭』を少しずつ、広げていくために必要な力を、毎日奉納しなさい」

 村人全員の脳裏を、強烈な威圧的念波が劈いたのがいまから4年前。それから毎日、彼らは1日2回、朝の訪れと夕日の沈むとき、強制的に霊力を吸い上げられることになる。


 このころになると少女は、その名も素性も、隠すことがなくなった。女神サティア。サティア・エル・ファリス。このアルティミシア大陸を創造した『唯一絶対の』創世神グロリア・ファル・イーリスの娘神。あまりに上方からの視点ゆえ、人間に対して慈悲神などかけらも持たない。関心の持ち方はあくまで塵芥か、よくて実験動物に対してのそれだった。人間は足元の蟻になんの感情も持たない、それとおなじ。


 何人かの、勇敢な村人が邪悪な……実際のところ彼女は善悪とかそういうものを超越していて、彼女にとって自分の益となる行動が人間にとっては邪悪に見えるというだけだが……女神を弑すべく、武器を取り立ち上がった。寒村にはさしたる武器もあろうはずがなく、伝説の勇者など望むべくもないから、武器は鍬や斧がせいぜいだったが、それでも頑張った方だろう。しかしこれは女神の不興を買い、彼女の嗜虐心を逆なでした。


 女神を倒すべく集まった義士は直江敏郎、宇佐美勘解由、甘粕晴之、柿崎直文。威勢も高く長尾邸に乗り込んだ彼らは、翌日惨死体で発見された。凄惨を極めたのはその事実ではなく、殺戮をなしたのが女神ではなく、無理矢理鉈を取らされて執拗に義士たちの頭を裂かされた長尾家の娘、長尾早雪であったというむごたらしさによる。ともあれこの一件以来、面だってサティアに逆らうものはいなくなった。


 半月、1月、2月……そして1年、2年、3年……。サティアは少しずつ、しかし着実に支配圏を拡大。だが莫大な神力にもかかわらずその制御に完全を欠くサティアの幽世結界は完璧ではなく、そこを、宮代本来の守護神、鵜戸御社之媛神(うとのみやしろのひめがみ)は見逃さなかった。ほころびに自らの神力を浸透させ、広げていき、やがて開く。絶対的な創神の神力に一介の土地神が抗うのは大波に砂粒が挑むようなもので、どうしようもない徒労であり苦行。しかし媛神には一度村人を守れなかった自責があり、その苦渋が彼女に限界を超えた力を出させしめた。気の遠くなる苦痛を乗り越え、とうとう鵜戸御社之媛神は幽世結界に穴をあける。


 このことはすぐサティアの察知するところになり、媛神は幽閉され神力を収奪される憂き目にあう。しかし媛神からこの好機のくることを聞かされていた人々は、女神の犠牲を無駄にせず、京師太宰へと使いを走らせた。30人ばかりが走り、29人までは途中、つかまって惨たらしく殺される。仲間を売ればお前だけは助ける、そう言われて屈したものも、やはり殺された。だが、かろうじて一人は生き残り、太宰に到達。緋想院蓮華堂の門を叩いた。


……………………

読み直すたび、辰馬の白い肌が赤く紅潮する。口の端はビクビク引きつり、眉根はギリギリ結ばれる。


「このクソ女神、ホントしばいたらないかんな……! いっそブチ殺してもいい……! 行くぞ、このクソ叩き潰す!」

「その前に、いろいろと準備を整えてからにしてください。今回のクエストは難易度SSになるでしょうからね。皆さんと話しておくこともあるでしょう」

 蓮純の言葉に、瑞穂とエーリカが挙手。


「?」

「エーリカさま、お先にどうぞ……」

「えー……後のほーがいいんだけど。まあ、たつま、ちょっと学園のチャペルまで来て?」

「おお?」


………………

 まず夕方。

 いったんエーリカと別れてチャペルの礼拝堂を訪れた辰馬。


 そこにはお姫様がいた。


 見慣れた学生服でも芋ジャージでもなく、気合の入ったドレス姿のエーリカ。いつもと違って薄くではあるが化粧もしているらしく、普段その姿にどぎまぎしたりしない辰馬がうっかりうろたえるほどに美しい。こういうとき、「あー、こいつそーいやお姫様だっけ……」と思い知る。

「へへー、どおよ? 惚れ直した?」

「惚れ直す……はどーか知らんが。不覚にも見惚れたのは確かかもな」

「っし! このカッコした甲斐があったってもんよ!」

「そーやって喋ってると、いつものエーリカなんだなって安心するが」

「あ……あー、ごほん。駄目だわ、今日はちょっと厳粛に」

「で、何すんだ?」

「叙任式」

「?」


「膝、ついて」

「お、おう……」

 ふたたび、清冽な雰囲気をまとうエーリカる気圧され、言われるままに膝をつく辰馬。エーリカは剣を抜き、その腹で辰馬の右肩、左肩、そして頭を軽くたたくと宣言する。


「汝、新羅辰馬をヴェスローディア第四王女、エーリカ・リスティ・ヴェスローディアの騎士に任じます! ……って、やってみたかったのよ。略式だけどね」

 最後はおどけてそう結ぶ。創神相手、死ぬかもしれないクエストを前にしての、エーリカなりの覚悟のつけかただったのだろう。その瞳にもはや揺らぎはない。


「謹んで。拝命いたします、姫。……これで、いーか?」

「うん。それじゃ、行こっか!」


………………

…………

……

 そして夜。

 瑞穂に招かれ、女子寮の裏手に。


「これは……墓か?」

 と、聞いたのは土を盛ってあるところで瑞穂が祈りをささげていたからだ。一心の祈祷は、祈りを込める相手が彼女にとって極めて大事な存在であることを如実に語る。


「はい、わたしの義父、神楽坂相模の墓です……といっても、義父の遺体はここにはありませんが」

「……そか」

「一緒に祈っていただけますか、ご主人さま?」

「ああ、お願いする」

 辰馬も、瑞穂にしゃがみ込んだ。祈りをささげながら、この少女を育てた神官長に思いをはせる。


「頼りにならん男ですんませんが、瑞穂はおれが預かってますんで。安心してください、相模さん」

「安心してください、お義父様、ですよ?」

「何言ってんだ……つーても、責任取るってことはそーなんのか。責任ってことならしず姉とエーリカにも取らにゃならんのだが」

「はい、ですから三人まとめてもらってください♪」

「まとめて、ね……。女って強いな~……」


……

…………

………………

そして翌朝。

 新羅辰馬一行は、寒村宮代を目指して汽車に乗る。宮代に直通の線はない……あったとしてサティアに扼されているだろう……から、まずは手近な町、櫟(あららぎ)まで。

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