5章

第31話 魔王の真実

「おかえりなさい、辰馬」

「おあえりー」

「……おばさん、なんでウチにいんの?」

 夏休みということで自宅に戻ってみた辰馬を迎えたのは、実母アーシェと叔母ルーチェのユスティニア姉妹だった。アーシェは挙措端然として麗しくも淑やかだが、ルーチェは姉の家という気安さでだらー、とだらけきってみかんの皮など剥いている。辰馬としてはなんだかわが身を鏡に映されている気分でつらい。


「なによ、あたしがここにいちゃいけないのー? あんたいつからそんな、あたしに指図できるほど偉くなったのよ、こら?」

「絡むな、うっとーしい。……ガッコにいたらめんどくせーと思って帰ってきてみたら、こっちにもめんどくせーのがいたわ……」

「なにがめんどくせーのよ。ってゆーか辰馬、また女の子増やしてからあんたは。雫を泣かせるんじゃないわよー」

「増やしてねーししず姉関係ねーよ。つーか増やしたってなに!?」

「だってほら、あの子、初音ちゃん。またあんたが拾ってきたんでしょ? あと明芳館の……フミハウちゃんだっけ? 雫から聞いてるんだからね!」

「しず姉いらんこと……、源はほかに行くとこないからしばらくウチに住んだらってだけだし、フミハウはただの知り合い。変な勘ぐりすんな!」

「はぁ……」

「なんよそのため息。なんかイラッとくるんやが?」

「そりゃ、あんたがバカなのは昔から知ってるけどさー。16にもなっていよいよバカねあんた。ホント、バカ」

「やかましーわばかたれ、学年主席つかまえてバカバカゆーな」

「主席だかなんだか関係ないわよ。ねーさま、この子の教育ちょっと間違えたんじゃないの?」

 喧嘩を売られたと感じて身を乗り出す辰馬を片手で制して、ルーチェは姉に水を向ける。我関せずと籐椅子に座って編み物などやっていたアーシェは小さく顔を上げて。


「そうね。辰馬はすこし、女の子の気持ちをわかってあげたほうがいいかも」

「なんなそれ。そがんこといわれたけんって知らん。女心とかゆわれてもちゃっちゃくちゃらやが(なんだよそれ、そんなこと言われたってわからん。女心とか言われてもさっぱりだ)」

 アーシェは援護してくれると思っていた辰馬は、予想を裏切られてすねて方言を炸裂させる。実家ということもあり、南方方言にも遠慮がない。


「あんたそのちょいちょい方言出すクセ、直しなさいよ。ウチで働くのにそれ邪魔だから」

「誰がギルドで働くってゆーたか。おれは歴史学者になんの」

「食っていけないわよ、そんな仕事」

「甥の夢を否定すんな」

「あめーこといってんじゃねーわよ! 夢でおなかは膨れないの!」

「……最低だ、最低なこといったぞこの叔母……」

「事実でしょーが。なによ、やる? おねーさまに負けてきゃんきゃん言わされないとわかんないか、辰馬は」

「ふざけんなボケ、そっちこそしばかれんとわからんらしーな、おばさん」

 二人は一触即発、アーシェはいつものこととばかり平然。


 そこに。


「なんのおはなしですかー?」

「あ、初音ちゃん」

「あぁ、源」

 叔母と甥の喧嘩が最高潮に達する直前で、ひょいと顔をのぞかせる道着姿の狐耳、源初音。なんのことか、という顔でやってきたが、おそらくは辰馬とルーチェの間を仲裁するつもりだったに違いない。源初音という少女はそういう気づかいをするタイプだ。


「初音さん、練習は終わった?」

 アーシェが訊く。「はい!」と応じる初音の道着はぐっしょりと汗に濡れており、彼女がよっぽど根を詰めて鍛錬してきたのであろうことを如実に示す。かつて武蔵野伊織がらみのことでいろいろと思い詰めていた狐神の少女は、新羅家にきてずいぶんと快活になったように見えた。それはさておき汗ではりついた道着は分厚い布のくせにぴったり肌に張り付き、辰馬としては目のやり場に困る。


「なに目ぇそむけて純情ぶってんのよ辰馬あんた。あんたがやることやってんのは雫から……」

「あーあーあー! うーるーせーわボケ! 黙れおばん!」

「辰馬、やること……って?」

「あれ、ねーさま知らない? こいつ雫とエーリカ王女と斎姫さまと……」

「うぐあぁぁー! いらんこと喋んなババア! マジでしばくぞ!」

「はあ……血かしら。あの人も相当モテたものね」

「……あぁ、魔王……うん、それは、ね……」

 囃し立てようとしたルーチェだが、アーシェの言葉で風向きが変わると口を濁す。このあたり、魔王がらみの話はデリケートな問題で、辰馬の前で話していいものかどうかルーチェにもわからない。


 17年前、アーシェ・ユスティニアは暗黒大陸の「銀腕の魔王」オディナ・ウシュナハに攫われた。それは創世神グロリア・ファル・イーリスを殺しうる力を持つ「盈力」をもった子をなすためだったのだが、アーシェにとって幸か不幸か、その魔王は非常に優しく、美しく、紳士的であり、およそ魔王らしくなかった。


 それでもグロリア神教の敬虔な信徒であるアーシェは、最初はオディナを拒んだ。それは当然だろう、教義における不倶戴天の敵、魔族の、そのトップが結婚してくれと言ったからとて承服できるはずがない。昔のアーシェはガチガチの教条主義だったから、魔王相手に怒り罵り、必殺の神力を叩きつけて抹殺しようとした。このとき苛烈なアーシェの神聖魔術の威力に、魔王の双角の一本が折れたほどだった。このことがなく、双角の魔力が十全であったなら姉を救出すべく暗黒大陸に乗り込んだルーチェと、のちにその夫となる十六夜蓮純、同じくのちの辰馬の養父「魔王殺しの勇者」こと新羅狼牙は魔王殺しの偉業を達成できなかったはずである。いや、もしかすると魔王が自ら死を望まなければ、あの状態の魔王も殺せなかったかもしれない。


 そもそも魔王とは何者であるのか。それはアルティミシア大陸誕生の正史の裏に秘せられる。かつて地上に力をふるった多くの古き神が肉体を失い、魂と力のみの存在となって神界に引き下がったのち、最後に残った二柱の神が創世の竜女神グロリアと名を忘れられた大いなる神……のちの魔王であった。グロリアは荒廃した世界を生まれ変わらせ、新たな創世を行うにあたって大神に協力を要請、大神はこれを受諾して新創世に手を貸したが、世界の大枠を作り終えたところでグロリアの心に疑念が生じる。すなわち自分より強大な力を持つ大神が、自分の風下に甘んじているはずがないと。


 そこでグロリアは生み出したおおくの新神たちを使嗾、大いなる古き神はこのときから「魔王」とされ、追い詰められて殺される。しかし強大すぎるその力は世界の誰にも滅しきることなどできず、殺しても数百年、数千年周期で転生を繰り返す。転生を続ける魔王をそのつど殺すためにグロリアが設置した人間兵器が「魔王殺し」という特別な血であり、一世代にただ一人、人間の中に生れ落ちるこの血の持ち主に、魔王は生まれてくるたび殺される宿命を負うことになった。直近では辰馬の実父オディナが魔王の転生であり、養父狼牙が魔王殺しの勇者なわけだが、魔王の敵の側はあまりにも真実に無知であり、魔王=悪と断じて殺すことしか考えなかった。


 その、魔王の真実に触れたのがアーシェ・ユスティニアという少女であった。アーシェは魔王から人間の醜悪、その実態を見せつけられ、転生の都度に殺される同胞や妻や子供たちの無念の記憶を共有して、自ら魔に堕ちることを決意する。だから16年前、最初にルーチェがアーシェと再会した時、アーシェはとらわれの聖女ではなく魔王の妃としてその隣にあった。


 結局、魔王は「魔神戦役」という戦乱を撒いた自責から死を選び、勇者新羅狼牙の剣・宝刀天桜に裂かれて斃れるのだが。救出されたアーシェが妹や勇者に感謝することはなかった。むしろ怒り狂いたけり狂って妹たちを抹殺しようとしたのが事実であるが、聖女が勇者を殺そうとしたなどという事実を教会史が史実として記録するわけにもいかないから、このことは秘史として隠蔽される。


 ともかくこの戦いの後、暗黒大陸アムドゥシアスの魔王城の玉座、その奥の玄室に安置されていた銀髪の赤ん坊こそがノイシュ・ウシュナハ……のちアーシェ・ユスティニアとともに新羅狼牙に引き取られて新羅辰馬となる……であり、魔王に殉死しようとするアーシェが自死を果たせなかった理由であった。息子を置いて死ぬわけにいかないアーシェは勇者と妹への憎しみと憤りを抱えたまま、生国ウェルスではなく狼牙の生国アカツキへ凱旋、そこで新たな人生を送ることになる。


 この、凱旋の日、最初にアーシェに会ったのが牢城雫という8歳の少女であり。かつて新羅狼牙にあこがれていた少女は聖女にあこがれの狼牙を取られたショックを抱えていたが、アーシェの抱きかかえるノイシュ=辰馬に引き寄せられ、アーシェから自分に抱かせてもらうと感極まって「あたし、この子を一生守る! この子のお嫁さんになるから!」と宣言し、その後の人生をこのときの宣言通り辰馬のために擲つこととなる。


 雫の宣言はさておいてアーシェは女神グロリアへの不信、勇者たちへの憎悪にさいなまれながらも、歳月はしだいにそれをうすらげる。グロリア神教の教義はアーシェの中に消し難く沁みついていたし、妹ルーチェは献身的だったし、勇者狼牙は誠実だったから、彼らを憎み切ることもアーシェにはできなかった。


そうして16年の月日が流れ、今がある。


「?」

 辰馬は突然口を閉ざして物思いにふける母姉妹に、どうした? というふうに目をぱちくりさせた。まさか一瞬の間に自分たちの根幹にかかわる物語が再生されたとは夢にも思わない。


「そういえば、辰馬。あなたの契約古神は……」

「んー? バイラヴァ?」

「バイラヴァ? ルドラ・シヴァじゃなくて?」

 聞き返した辰馬に、アーシェはすこしだけ意外そうに聞き返す。ルドラ・シヴァであるならば辰馬は魔王にして古き大神の転生ということになり、アーシェとしては喜ばしい反面教義的にはこれを消さなければならない立場ゆえに違う名前が出てきたことに落胆半分、安堵半分。


「こんにちはー」

 と、次に入ってきたのは雫。今日はいつものレオタードに短パン姿ではなく、ピンクの浴衣姿。ふだんより露出度は下がっているはずなのに、こっちのほうが色っぽく見えてしまうのは気のせいか。


「あれ、しず姉。なんしにきた? 今日はしず姉のおもりしてやるヒマねーぞ?」

 色っぽく見えようがなんだろうが雫は雫。げんなり顔で辰馬があしらおうとすると、雫はフンスと胸を張る。


「なにいってんのたぁくん。今日は夏祭りだよー、遊ぶよー!」

「夏祭り……この年になって縁日まわってもなぁ……」

「いーから行くよ! 16歳の夏は1回きりなんだから! あ、初音ちんも一緒にいこ! たのしーよー!」

「だから、おれは行くとか言ってねーし……」

「じゃーみずほちゃんとエーリカちゃんも呼ぶから! たぁくんはシンタ君たち呼びんさい! だれが何といおーと今日は精いっぱい遊ぶの! あたしが決めた!」

「なんだよそれ、この暴君……」

 とはいうものの、辰馬はここのところのごたごたで凝り固まっていた精神がほぐれるのを感じていた。まさか雫がそんな効果を狙ったとも思わないが……多少は感謝をすべきかもしれない。

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