第21話 混沌の詠春

「盈力(えいりょく=ゲアラッハ)とでもいうべきかしらね……」

 北嶺院文はそう言った。


 明芳館のフミハウを保護し、李詠春の前を辞した……実質的には仲間たちの力を奪われ、どうにか逃走してきた……辰馬。フミハウの身柄をどう扱うかとなると男子寮に入れるわけにもいかず、学生会の夕姫が「なら学生会で引き取るわよ」ということで学生会室に連れてきたその折、辰馬の身体から立ち上る神力と魔力、その混ざり合って昇華したものを、文はそう評す。


「盈力?」

「盈ちる力、で盈力ね。神力と魔力をそれぞれかけた半月だとして、二つが結合して満たされた状態の力、だから盈力」

「はあ……。バイラヴァの力かな……」

「盈力自体は新羅くんのものよ。古神バイラヴァ……残念ながらわたしの神名録にその神名は載ってないのだけれど……とあなたは本来、同一にして不可分の存在のはずだから、バイラヴァの覚醒はもとからある素地を広げただけ。とはいえ……、すさまじい力であることは間違いないわね。別個にあった神力と魔力を融合させるとここまで変わるのか……」

『ふ、我が真名を推察することもできぬ程度の愚昧か。役に立たん女だ。とはいえこちらから教えてやる義理もないがな』

「黙ってろ」

「え?」

「いや、こっちの話」

 普通の古神は肉体を持たないゆえに精神・意識の面でも薄弱で力だけの存在であることが多いのだが、バイラヴァはその点意識がはっきりしすぎていて困る。いらんこと横から口を挟まれてそれに応えていると、今のような事故が起きるから面倒だ。


なんにせよ……やっぱりわたしの目的に役立ちそうね、新羅くんは。


文は左手を伸ばして右肩を撫でる。そこには契約古神とは別の「ある存在」との契約刻印が刻まれているはずであり、文を学園の絶対者として君臨させるものであると同時に文は「彼女」の傀儡に過ぎないという印でもあった。なので彼女は男子排斥を完遂させる前にその存在を打破する力を求めており、新羅辰馬はまさしくそれに合致する。排斥すべき男子の力を頼るのはプライドの高い文にとって屈辱ではあるが、まずは「彼女」を始末する必要があった。

「そんで、みんなの容体は?」

「無事よ。力を奪われて消耗はしているけれど。とはいえ明日の戦いには出陣できそうもないわね……」

「まあ、なんならおれ一人で出るけど。せっかく2勝しといて3日目で不戦敗とかあほくさいしな」

「……そうね。わたしが出ましょう」

「へ?」

「これは学園同士の戦い。先鋒は新羅くんに譲ったけれど、トップであるわたしが出ていけない道理はないでしょう?」

 文はメガネをくい、と上げ、いたずらっぽく笑ってみせる。辰馬が少し慌てた。皇国三大公家北嶺院家の令嬢にして学園最高の戦術家、と言われる文だが、その個人戦闘能力を見たことはない。てっきり指揮官としての能力に特化しているものかと思ったのだが……。


「新羅くん、わたしが戦えないと思ったでしょう?」

「あー……いや、うん、まあ……」

「実際力を隠してきたのは確かだけれど、力がないと思われるのも心外ね。……新羅くん、表に出るわよ」

……

…………

………………


「さて。全力でわたしを攻撃してみて」

「は……?」

「いいから攻撃してみなさい。バイラヴァを使っていいわ、全力で」

 言われても、辰馬は交戦状態にない女をいきなり攻撃できる精神性を持っていない。しかし文の言いようは明らかに、確かな自信に裏打ちされたものだった。


「んー……そんじゃ」

とりあえず様子見、軽く氷撃を繰り出す。


「来てはならない」

 届く前、文がつぶやくように言うと、氷弾は見えない力場に阻まれる。ついで文が手を突き出し、軽く閃かす。止められた氷弾は辰馬めがけて、放たれた時以上の勢いで弾き返された。


「っと!?」

「手加減しすぎ。もう少し本気を出しなさい」

「とは、言われてもな……、敵でもないのに本気になれんだろ……」

「本気を出さないと全校男子がどうなるか、わからないわよ?」

「……わかった。じゃーちょっとだけ本気で」


 わかりきった脅しだが、きかないわけにいかない。辰馬はバイラヴァに意識を重ね、バイラヴァと自分を融合、表面に顕在化させていく。バイラヴァは精神を閉ざしていないのでそれ自体が困難なことはないが、いちどきに掬える力の巨大さ。操る氷の中に燃える炎が息づいているような、今までとは一線を画した力の脈動。これが自分のなかにもともとあった力だといわれても、なかなか辰馬はそれを支配しえない。


「っ!!」

 ちょっと強めに氷弾を放とうとして、放たれたのは巨大なアーチ状を描く氷刃。それが文を狙ったことに辰馬は自分のミスを痛感、どうにか放たれた力を引き戻そうとするが、文は一切動じない。


「来てはならない」

 また、同じ口訣。そしておなじ結果。橋のような氷の巨刃はせき止められ、そしてまた文が手を振ると辰馬に向けて跳ね返される。


「っく!?」

 辰馬はもう一度同じ力を放ってこれを相殺。そうして打ち消したところに、文が踏み込んで肉薄、指揮杖の切っ先を辰馬ののど元に突きつける。実戦なら辰馬の新羅江南流には気息で喉すら硬化する技法があり、まだまだここからが本番というべきところだが、これは模擬戦。ここで勝負ありとするべきだろう。身ごなしの鋭さから言っても、文はおなじ学生会の夕姫や繭より2、3段上のレベルにあった。


「これで、わたしの実力、わかってもらえたかしら?」

「あーうん、十分に。そんじゃ、明日はよろしく頼むわ」


 そうして二人は別れたが、その晩一番働いたのは誰あろう神楽坂瑞穂。彼女は雫たちおよび20人の男子兵員に対して、治癒の祈りを捧げ続けた。辰馬はその隣にい続けたが、自分にできることのあまりの少なさに臍を噛むしかない。

「瑞穂、だいじょーぶか? 少し休憩するか?」

「大丈夫です。ただ……」

「?」

「手を、つないでいてください。それだけで、がんばれます」

「……そか。わかった。……まあ、エロいことじゃなきゃいくらでもだ」

「あとでエロいこともいっぱいしてもらいますよ? さすがに今は不謹慎ですけど」

「するのかよ……まあ、お手柔らかにな」

「それはご主人様次第です♡」

 そうして瑞穂は夜通し祈り続け、辰馬はその横で手を握り続けた。


……

…………

………………


 明けて翌日。

「おっはよぉ~おたぁくん! 顔色悪いぞー、どしたー?」

「おお……。いつもはうっざいだけのしず姉も今日ばかりは、だなぁ……」

「うっざいだけってなんだよー? でも、ずっとそばにいてくれたんだよねー、あんがと、たぁくん♡」

「礼は瑞穂に言え。おれ何にもしてねーわ」

「みずほちゃんには起きたら言うよー。まさか30人分の命をつなぎとめるだけの精神力とか……さすが齋姫だよねー、この子。ただ儚げなだけの美少女じゃないっ♪」

「だよなぁ……にしてもしず姉だけ回復早いな。あんまし吸われてなかった?」

「んー……アレかな、あたし魔力欠損症で魔法とか効きにくい体質じゃん? だからなんじゃないかなーって」

「かもなー。向こうの契約古神が変態痴女を避けたって可能性もあるが」

「ちょ!? なにそれたぁくん! いくらなんでもひどいんだよその言いぐさ!」

「まあ冗談だ。さて……いくら元気だからって今日は寝てろな。あとで桃でも買ってくるし」

「あ……うん、はーい」


 その日の授業はさすがの辰馬も上の空だった。もうさっさと放課後になれよと念じ続け、なんども教師に怒られたが、怒られて黒板前に立たされると回答がまた完璧なために辰馬を嫌う教師陣からの憎しみはさらに増す。とにかくおなじ教室の中にシンタ達三バカやエーリカ、そして憎まれ口ばかりではあるが夕姫らがいないのは精神的に堪えた。


 そして放課後。


 まず学生会室に向かうと、簡易ベッドに横たえられていたフミハウが目を覚ましていた。一瞬、敵対的な視線を向けてくるフミハウだが、昨日のことやベヤーズを昏睡させた犯人が詠春であることを告げるとその瞳はとまどいを帯びる。この少女は敵対者ではないと悟った辰馬はフミハウの肩をつかんで真っ向から瞳を見据え、説得にかかる。最近忘れられがちだが新羅辰馬という少年は絶世の描年であり、それに至近距離から真摯な目をむけられると大概の女はコロリといくわけで、フミハウも例外ではなく、真っ赤になってうつむいてしまった。


「顔……近い、どけて!」

「お、おう……悪い……」

 自分の容姿に対する認識が甘い辰馬は相手が狼狽える理由がわからず、こちらも狼狽える。


「学生会室……、人頭竜の置物……」

「?」

「会長の契約古神、混沌は……会長の力……だけれど、会長の力じゃない……。あれ……は、増幅された力は、竜の魔女に……与えられたもの……」

「竜の魔女?」

 おうむ返しに言う辰馬の隣で、文がピクリと身を震わせた。しかし辰馬はフミハウとの会話に集中しているし、辰馬が気づくより先に文は動揺を鎮めてしまう。ともかくもフミハウの話は続く。

「そう……太宰の名門校の……野心的な指導者に……力を与えてる……目的は……わからない、けれど……とにかく、人頭竜の置物を壊せば……、会長の力も凶気も、もとに戻る……はず。お願い、します……会長を、助けて……」

「…‥ぁ、あーうん、任せろ」

 瞳の端に涙を浮かべて哀願するフミハウの頭をぽんぽんと軽くたたいて、約束する。


「ずいぶんと甘いことね、新羅くん?」

「だってあいつ下級生だろ? なら妹みたいなもんだし。お願いされたら聞いてやらにゃあ。それに、詠春も本当に外道ってわけじゃないかもしれんしな」

「下級生が妹、ね。なら、わたしは上級生のお姉さんとして新羅くんを守ってあげるとしますか」


 かくして蒼月館と明芳館の学園抗争、3日目に入る。


 率いるのは普段なら辰馬の動員兵力、神力をもたない男子20人だが、今回は蒼月館の総大将・文が自ら神力使いの女子120人を率いる。彼女らはレズビアンで知られる文が男である辰馬と親しげに並ぶのを見て不可思議気に思うと同時に、自分たちも男子たちにもっと打ち解けていいのかとすこし浮ついた気持ちにもなった。もともと、蒼月館の女子の中に完全なる男子排斥論者はそう多くない。


 しかし文の号令一下、浮ついた気持は一瞬に吹き飛ぶ。一度指揮官モードに入った文は有能かつ冷徹な将帥であり、隷下の士卒に生ぬるい態度も気分も許さない。辰馬からして身の引き締まる思いでの従軍になった。


 今日の蒼月館の陣形は昨日と同じ方陣。威風堂々と前進する蒼月館勢に四方八方から明芳館の女子たちが襲い掛かるが、これに苦戦したのは昨日までの弱兵。今日の兵は蒼月館屈指の精兵であり、さらには文の能力で「拒絶」された明芳館勢はこちらに触れることもできないままに倒される。あまりに圧倒的な味方の戦力に、辰馬は拍子抜けすら覚えた。


「来ましたか。それでは、おもてなしを。昨日皆さんからいただいた力、お返ししますよ!」

 明芳館グラウンド。土煙を上げつつ驀進する蒼月館勢120に、詠春が掌を突き出し、黒い闇の神力が牙を剥いたその刹那。巨大な咢をぐぁ、と広げる暗闇の前に、飛び出したのは北嶺院文。


「来てはならない」

 闇を阻み、弾き返す文の力。しかし受け止めた力が巨大すぎたのか、一撃を返した時点で文は肩で息をする。辰馬がフォローに出ようとするのを、文は片手で制した。唇で学生会室へ向かへと合図、それを読んだ辰馬は一瞬、逡巡したがすぐに決断、明芳館の校舎に飛び込む。


 そして文と詠春の対決という構図になった。

「あらあら、北嶺院さん。まさかあなたが新羅さんに肩入れですか?」

「別に肩入れしているわけではないわ。男子排斥はわたしの悲願、彼もいずれは倒す。けれど、まずはあなたを倒さないとね、というだけのこと」

 再度、両者の力が激突する。暗闇の咢と、無色拒絶の盾。一撃ごとの威力はむしろ文に分があるが、しかし一度の交錯ごとに大きく消耗する文に対し、詠春は「自分の力ではないもの」を使っているように消耗を感じさせない。


「あなたの神……久那戸(くなと)でしたっけ? 境界を定める力は確かに強力ですが、所詮はその境界を守るばかりの力。……魔女の力も借りずのこのこと顔を出して、いつまで守り続けられますか?」

「魔女の力を頼らないとなにひとつできないあなたとは違うからね。独力でもあなたを制する程度はやってみせるわ」

「吐かせ! ならまずあなたから!!」

 破壊と殺戮、力への渇望に狂った鬼女が荒ぶる。文は立て続けに繰り出される猛襲をしのぎながら、本来信じることも頼むこともないはずの相手、新羅辰馬に望みをかけた。

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