第19話 古き神

「そんじゃ、この範囲内で」


 辰馬とベヤーズはグラウンド中央に12×12メートルほどの線を引き、そこに幽世結界を展開、範囲外に影響を及ぼさず、また外からの支援も受け取らないこと、決着は互いが負けを認めた時点で決すこと、この勝負を決して命の取り合いには発展させないことなどを約束する。


 それはいいとして、辰馬の心中穏やかでないのは「女子を殴る」という禁忌への忌避感。集団戦で雑に戦っていた間は考えずにすんでいたことが、ベヤーズという個人が対象になったことで「殴っていいのか……?」という気の弱さとして顕在化してしまう。林崎夕姫は辰馬のそういうところを「つまらない慈悲心で不徹底に終わる」と言ったのであり、あの言葉は夕姫のやっかみもあったがある程度本質の正鵠を射貫いていた。


「まあ、今更なんやが……」

 かぶりを振って結界内に入る。実際ここまできてやめることはできない。進むしかなかった。


 入ったその刹那。乱反射する風の弾丸。であるにもかかわらず辰馬は雪王丸も女郎花も抜かず、棒立ち。風の強矢は超遠距離から至近にかわって威力いよいよ増し、破壊力は幽世結界を内側から撼るがすほど。数十本に及ぶ矢はことごとくベヤーズの意志により統御された精密な弾道で辰馬を射貫かんとし、しかし辰馬の薄皮一つ貫くことはできなかった。


「……!? それは……?」

 ベヤーズは目を凝らす。辰馬の周囲に薄い蒸気のようなもやがうっすらとかかる。蒸気と違うのは吹き出すのが熱ではなく凍気であって、いくつもの微小なダイヤモンドダストをともなうということ。


「まあ、その矢が飛んでくるのをを至近で見せつけられるのはちっと怖かったが……。おれの障壁のが強いらしいな、一安心」

 実のところ力負けして結界ごと射込まれる可能性もなくはなかったので、のほほんと言っているが辰馬としては実際、結構恐々だった。しかし神力と魔力(?)の激突は辰馬の側に軍配が上がり、風の矢はことごとく障壁に凍り付いて止まる。「っく……!」ベヤーズはさきの市街戦でも見せた風の圧縮による大砲化を放ったが、これすらも辰馬の障壁を破ることかなわない。


辰馬は腰の佩刀二本を一瞬、見比べて、女郎花の方を抜く。凍気の伝導率は低くなるが、魔族殺し、炎霊殺しの雪王丸より神殺し、女殺しの女郎花のほうがおそらく有効だろうという判断。


 軽く刀の腹を撫で、凍気を込めて振るう。いてつく波動の衝撃波はベヤーズが幾重にも展開した障壁をことごとく食い破り、ベヤーズ自身を食い破らんとする。


「ルズゲリン・トプ(風の大砲)!」

 ベヤーズは再度、風を最大限に圧縮しての大砲化。これでかろうじて辰馬の衝撃波を相殺。それでも術を放つために突き出した右手に、魔力の霜が降りた。


 そしてベヤーズが正面の一撃に意識を向けている間に、辰馬はすでにベヤーズの懐に肉薄している。達人と言っていい辰馬にとっては必倒の間合い。女郎花を抜き一撃を……蹴打「吼竜」を繰り出そうとして、そこに瑞穂の顔と彼女の言葉がフラッシュバックする。男の身勝手な暴虐により地獄を見た少女、それを思い出した瞬間、辰馬の全身が一斉に汗を吹き、しびれを感じる。心臓をわしづかみにされたように暗い恐怖感と圧迫感にさいなまれ、危うく嘔吐しそうなほど。攻撃の挙動は崩れ、逆に無防備な弱勢をさらす。ベヤーズはその好機を逃さない。掌打に渾身の風、風神ワユの神気を乗せられるだけ乗せて、叩き込む!


 辰馬の身体が、バウンドした。


「っくぅ……しくった……」

 豪風の一撃を喰らい、幽世結界の内壁を何度もバウンドして地面に這わされた辰馬。全身に走るしびれは自身の精神によるものかダメージによるものか判然としない。


 いかんな、ここまで女を殴るのが難しいとか……。林崎と喧嘩するとか、塚原と練習試合とか、そーいうのとは勝手が違う……。


 フラフラする頭をどうにか覚醒させて、四肢に力を籠め立ち上が……ろうとするその背に、ベヤーズが膝を乗せた。右手には十分に神力を乗せたナイフ。今の、障壁を満足に保てない精神状態の辰馬を殺すには十分すぎる。


「ちょ……殺し合いには発展させないって約束だろぉが!?」

「あなた……危険すぎるわ。突然の失調、理由はわからないけれど好都合。誰に何を言われようと、この場で消す……!」

 振り上げたナイフを辰馬の延髄に振り下ろす。が、刺せない。それはベヤーズのやさしさや慈悲心によるのではなく、別の要素……辰馬の身の内から立ち上る「なにものか」の力によった。振り下ろされたナイフを止めたそれはあまりに暴力的、圧倒的な力でベヤーズの身体を打ち、弾き飛ばす。今度はベヤーズがバウンドする番だった。


「?? いまの……おれか?」

『我は汝なり、汝は我なり』

 疑問に答える声は、脳内から聞こえた。静かで理知的な声、しかしその存在のエネルギーの絶無な強さゆえか、一言一句を聞くごとに頭が割れそうになる。


『我は神を魔を超越するもの、三界を破壊するもの、新たな創成のためにすべてを壊すもの。汝の本来は我であり、我の本来は汝である。手を伸ばせ、その先に合一、梵我一如がある。それは輪廻からの解放、すなわち解脱』

「あ゛―、そーいう宗教っぽいのいらんから。ひっこめ」

 どうやら。と思う。このなにものかは古神の一柱らしい。絶大な力を持つ古神といえど、今上の創世神グロリア・ファル・イーリス以外の古神はことごとく肉体を失って久しくその十全な力を顕在化させるには人間を依り代とするほかない。だから依り代の危機に力を使って守ったというのはありうる話だが、辰馬はこの古神と契約を交わした覚えがない。というより辰馬はこれまでに新魔と契約を結んだことがなかった。毒竜ヴリトラは辰馬の義父、狼牙の契約古神で、秘技・天桜絶禍伝授の際にその権能の一部を継承しただけであれは辰馬のものとは違う。


 なのでおそらく、この古神が辰馬本来の守護神であり、契約を結ぶ相手となるのだろうが……存在の全容がつかめないのが不気味であり、力の巨大すぎるのがまた不気味であり、あまり仲よくしたい気分にならない。自分の戦いに横から出てきたのも、命を救ってくれた恩はありがたいが勝手に敵を吹っ飛ばすのはやめてほしかった。


「今戦ってんのおれだし。あんたがなにもんでどんだけ強いか知らんが、消えとけ」

『不可能。なぜなら我は汝自身であるから。汝の取るべきは一つ、本来の力を……』

「だぁら、やかましい!」

 強引に接続を切る。脳の奥で古神はなおなにごとかしゃべり続けているが、辰馬は意識を切り替えてそれを無視する。


 ふら付く辰馬と、よろめきながら立ち上がるベヤーズ。ベヤーズの目には恐れの色が濃い。先ほどの古神の神威、あれが尾を引いているのだろう。辰馬は少々引け目を感じたが、しかし負けてやる選択肢はない。打ち合いになった。風の矢とかまいたちの刃、刺突と斬撃ふたつの風をあやつり猛攻を加えるベヤーズと、雪王丸と女郎花の二刀流でそれをしのぐ辰馬。精神状態的に絶対防御に等しい障壁の展開は難しく、辰馬は前進に浅い傷をいくつも貰う。しかしダメージを受けながら不屈に前進した。千変万化の曲線を描くベヤーズの風に対して、辰馬の氷と凍気は直線。より効果的なのは曲線のはずでありながら、辰馬の直線突撃はベヤーズの変幻を貫き、突破して間を詰める――!


 指呼の間。さっきは殴ろうとして失敗した。今度は殴るという意志を棄てる。ベヤーズの手を、軽くつかむ。


「ふっ!」

「く……っ!?」

 触れたところから、魔力を流し込む。殴る蹴るには忌避感があるが、これならば。ベヤーズは風神ワユの力を精神世界に展開して衝撃を殺そうとしたが、叩き込まれる魔力がとんでもなくとてつもない。一瞬、圧倒され、二瞬、敗北を知り、三瞬、意識を手放す。


……

…………

……………… 

こうして。対明芳館戦の初戦、ベヤーズとの戦いは蒼月館の勝利で終わった。


「たつまフラフラじゃない!? 戦いの途中でいきなり動き止めちゃうし、なにがあったのよ?」

 幽世結界を消して現世界に戻った辰馬を、エーリカが支える。詰問口調ではあるが、心配する気持ちを代弁するように言い方は優しい。


「いや……女殴るのって覚悟いるなぁっ……てな」

「いまさら!?」

「ほら、だから新羅はダメだって」

 辰馬の予想通りのていたらくに、夕姫が鬼の首を取ったように騒ぐ。「いーじゃねーかよ、勝ったんだからよ!」というシンタだが、「これから先こんなんでだいじょーぶか、って話よ!」と返されると、辰馬たちは反論の言葉がない。


 勝利を確信して少し騒がしくなった蒼月館陣営。

 そこに明芳館学生会長、李詠春と1年書記、フミハウ。


「ひとまずはあなた方の勝ち、ですね。ですがこれ以上戦い続ける力も残っていないでしょう。追撃はしませんので、お引き取り願えますか?」

 詠春は余裕を崩すことなく、明日の天気でも口にするようにそういう。敗者とは思えない悠然とした態度は、ボロボロの(ほとんど自分の精神失調によるのだが)辰馬と引き比べてどちらが勝者かわからない。また実際、明芳館にはあと200人からの女生徒とその肉盾としての男子がおり、彼女ら全員が戦闘員ではないにしても相当数を今の状況で相手にするのはうまくなかった。


「あー……そうだな。追撃なしにしてくれるんなら助かる」

「それでは、捕虜をこちらに。ベヤーズ先輩、無事ですか?」

「ええ。ひとまずね……勝てませんでした、ごめんなさい」

「いえ。おかげで蒼月館の力量も測れました。先輩はしばらく病院に」


……

…………

………………

そうして帰陣した蒼月館一行。

「いやー、さすがに疲れたっスね!」

「そーなー。おれまだちょっと吐きそう……」

「主様のメンタル、意外と豆腐でゴザルな」

「やかましーわ。おれやって知らんかったがこんなん」

「もとかく。今日はじっくり休みましょう」

「おー。そんじゃ、おれ部屋に戻る」

「今日も雫ちゃん先生の手料理っスか? 愛されてるっスよねー」

 というシンタの言葉には答えず、ひらひらと手だけ振って辰馬は自室に帰っていった。


 その辰馬が雫と、雫の居候・瑞穂と一緒に夕食を食べ終わり、さらにそこにエーリカが筆記具もって試験勉強に訪れ、瑞穂の編入試験も含め4人で勉強会となったそのころ。


 病院。

 ベッドに横たわるベヤーズに、李詠春が付きそう。しかし詠春の挙措はどこか不自然さを伴い、少なくとも倒れた学友を心配する態度ではなかった。

「詠ちゃん、こんな時間にありがとうね……」

 ベヤーズは詠春の不自然に気づかず、素直にありがたがる。詠春は薄く笑って答えた。

「いえ、先輩から受け取るものもありますし」

「受け取るもの?」

「ええ。風塵ワユの力。役立たずの先輩にはもう不要のものでしょう?」

 言って、詠春の手がベヤーズの額に触れる。「ひっ……!?」ベヤーズは悲鳴を上げようとしたが、自分とつながっている神力を急速に奪い取られて声を上げることもかなわない。昏睡した先輩を見下ろし、詠春は今度こそ満面の笑みを浮かべた。


「どうも、ありがとうございます、先輩♪」


 翌日。


 ベヤーズの昏睡は極度の疲労によるもの、と公表され、また男子に敗北し、凌辱への恐怖心からのものではないかとも公表された。確認するまでもなく明芳館女性陣はこれを信じ、ベヤーズになついていた1年筆頭、フミハウは特に怒りをあらわにした。


「会長……、今日、わたし出るよ……」

 真実を知らぬまま義憤にかられるフミハウは悲壮な決意でそう進言し、詠春も心配げな表情を作って「あなたにまで倒れられたら……」と口にのぼせる。当然それはフミハウの一層の奮起を促すことになり、


「大丈夫……、わたしは負けない……!」

 対明芳館2日目、氷の歌姫フミハウが、こうして戦場に出る。

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