3章

第17話 晦日美咲

 明けて、朝。


 男子寮秋風庵、辰馬の部屋。


「たぁくんたぁく~ん♡ 愛してるぜ~っ♪」

 辰馬が目覚めるなり、牢城雫が首っ玉に抱き着いてスリスリとしてくる。が、辰馬はこれまでのように「鬱陶しいから離れろや!」ということもなくされるがまま。ただし容認している雰囲気でもないのは、複雑な表情で知れる。


「………………」

「ありゃ、いつもみたいに引きはがしてこない?」

「……いや、あーいうことあったから……、邪険にしていーもんかどうか、な……」

 あーいうこと、というのはもちろん昨夜の4Pのことで、逆レイプだったとはいえ乙女の純血を奪ってしまった辰馬、それについて責任を取らにゃあならんのかなー、とか考えてしまう。案外古風というか、考え方が固い。


「たぁくんがあたしを受け入れてくれるのは嬉しーけど、無理して自分を殺されるのはイヤかな~。たぁくんが自分から『雫おねーちゃん好き好き大好きー♡』になってくれるんじゃなきゃ、元通りでいーよ?」

「そか……じゃあ、退いてくださいしず姉。鬱陶しい」

 雫の言葉で完全に吹っ切れたわけでもないが、ひとまず普段通りに振る舞うことにした辰馬。雫の身体を押しのけて立ち上がる。


「シーツ代えないとねぇー、やはは……」

「そーだなぁ……、相当汗かいたから、昨日……」

「まあ、それはあとでやっとくとして。ごはんできてるよー、食べんさい」

「はーい」


 雫に促されてテーブルにつく。白米にほうれん草の味噌汁、銀鮭の塩焼きとつけあわせのがめ煮。辰馬の好きな南方風の味付けは、においからして食欲をそそる。自分で誇ることはないが、雫の家事技能はプロ級だ。その気になれば太宰の高級料亭でも働けるであろう料理の腕は、もっぱら辰馬一人のために使われている。


「はいお水」

「あんがと。いつもしず姉のおかげで学食に並ぶ必要もなく、助かってます」

「やはは、そーでしょそーでしょ♡ まあ、おとーとのお世話はおねーちゃんの義務だからねー♡」

「この点についてはしず姉、文句のつけようねーからなぁ……」

「あ、そんでね。今日から通学路のモンスター、2年の区域はちょっと強くするって」

「ん。了解」


 秋風庵、春曙庵から蒼月館に向かう道には訓練用のモンスターが放されているが、学生のレベル度合いによってモンスターのレベルも上げられることがある。どうやら今日がその節目らしい。


 それやこれやあって通学準備を終えた辰馬。行ってきますと雫に告げて、秋風庵から蒼月館に向かう、薄暗い森に入る。


「これまでは小鬼系ばっかだったが……どんなモンスターが放たれたことやら」

 新しい武器、新しい魔法、新しい魔物。そういったものに心浮き立つ冒険者精神は、当然、普段茫洋茫漠、ぽやーんとしている辰馬の中にもしっかりとある。さあかかってこいや、という気分のところに。


「ウガオォォォォォォォォォォーッ!!」

 目の前に巨大な柱が突き立った。


「は?」


 柱には五本の指がついていた。つまりこれは足であり。


 これが足だというなら、全体はどれだけの巨人か、ということになる。


 森の天を見上げた。


「ウガ?」

 目が合う。お世辞にも頭がよさそうには見えないが、そのぶん蛮勇に長けていそうな、筋骨隆々、逞しい体躯の巨人。身の丈は7~8メートルか。目を凝らして遠望すれば、同種の巨人が数体、森の中を闊歩しているのが見える。


「……当たり引いちまったか……。こーいう引きだけいいんだよなぁ、おれ……」


 やれやれと、腰から二本の短剣を抜く。一本は魔族と炎霊に特攻の氷剣・雪王丸、もう一本は神族と女性に特攻を持つ炎剣・女郎花。神魔の力をそれぞれに宿すこの武器を同時に使いこなすのは、銀の魔王と金の聖女の息子、新羅辰馬ならではだ。本音を言えば早く新羅家家伝の銘刀・天桜を父から譲り受けたいのだが、まだその域に達したと認められていない。


「んじゃ、デカブツ。テキトーに遊んでやっから死なないよーにしろよー」

「ゥガァオ!!」


………………

「おあよー……」

「はよっス、辰馬サン……なんか、ボロボロっスね……?」

「あー……お前ら当たり引かんかったんか。通学路のモンスター、やたらタフな巨人の相手させられてな……」

「あぁ……新羅さん、あれをまともに相手したんですか?」

「したよー。避けるのも失礼だろ」

「……いや、普通避けるでゴザろ? あんなもんまともに相手するとか、正気でないでゴザるよ?」

「そーかなー……」


 と、言い合っていると。


「おはよー」

 林崎夕姫が入ってきた。辰馬に負けないくらいにボロボロで。


「お、おはよう、夕姫。なんだかボロボロね……?」

「それが、今日から通学路のモンスター、強化されたでしょ? それでどーも当たり引いちゃったみたいで。巨人と……なに、新羅?」


「いや、なんも……」

「辰馬サン、林崎と同じって……」

「学年トップクラスになるとアレと戦うつもりになるのか……? 俺はてっきりうまく回避する能力を試されているのだと思ったが……」

「いや、それでいーと思うでござるよ? 主様とか林崎がバケモンなんでゴザル」


 さらにエーリカが、ジャージに擦り傷つくって入室。


「いやー、参ったわ。今日からモンスター強化されたの? いきなり巨人のこん棒で殴られたんだけど! まあ、アタシの聖盾に傷一つつけらんないんだけどね!」


「あいつもかよ……」

「バケモン揃いでゴザルなぁ……」


………………

「あー、今日は新しい学友を紹介する」

 蒼月館2-Dの担任である老教諭は厳めしい顔で矍鑠とそう言った。すでにこの朝のHR時間、辰馬は机につっぷしてすやすやとお休み中であり、担任教諭はその銀髪を見てイラッ、と不快げな顔を見せる。「魔王殺しの勇者」の息子としてお目こぼしされているが、かつて16年前の魔人戦役を経験して辰馬の出自、魔王の実の息子であるということを知る世代の人々は、辰馬に対していい感情を持っていない。辰馬が優等生ではあっても模範生ではないというものもまた、憎悪に拍車をかけていた。


 ともかく。


「入りなさい」

「はい……」

促されてはいってきたのは、長い赤毛をシニヨンにまとめた、華奢で細身の少女。蒼月館の学生服は間に合わなかったのか、なぜか学園でメイド服を着ているがその違和感が気にならなくなるレベルの美少女である。単純に容姿の美しさということなら雫や瑞穂、エーリカよりさらに上を行く。完璧な容姿、という点では辰馬に近い。ただ辰馬と違うのはどこまでも「作り物めいた、人形めいた」風貌ということで、生身らしさに薄い。


「あれ、辰馬サン、あの子……」

 辰馬の後ろの席であるシンタが驚いて辰馬をつつくが。

「すやー……」

「あ……この人起きねーわ。けど、アレだよなぁ、昨日の……」

 一人ごちるシンタ。離れた席では大輔や出水も驚いていた。


「晦日美咲(つごもり・みさき)といいます。これまでは祖母のもとで独学独習の日々でしたが、これから皆さんとご一緒に勉学に励めること、幸せに思います。どうぞ宜しく」

 挙措端然とそう言った美咲に、クラスのほぼ全員が「ほぅ……」とため息をついた。魅了されたといっていい。


………………

放課後。

いよいよ学園抗争、明芳館戦の端緒である。


拠点である辰馬の部屋を、誰かが訪ねた。といってわざわざノックして確かめるあたり、雫や夕姫たちではどうやら、ない。


「ありゃ、晦日……だっけ?」

「はい。姫さまはこちらだということで。わたしも戦力に加えていただこうと」

「戦力。うんまあ、あんたが強いのは見ればわかるんだが」

 美咲の身体から立ち上る神力の鳴動、それは隠そうにも隠しえないレベルであり、それだけで彼女のだいたいの実力は測れる。しかし仲間として指揮官格に加えていいものかというと、辰馬は相手のことをよく知らない。


「大丈夫ですよ。晦日さんはヒノミヤで、命がけでわたしを救おうとしてくれました。彼女の人柄はわたしが保証します」

「……なら、いーか。ようこそ」

「はい……齋姫、お身体の具合は大丈夫ですか? あれからお変わりは? こちらに移られてなにか不自由などは……」

「……なんか、過保護なおねーちゃんだな……」

「たぁくん、なんであたしの方見るのかなー?」


「それで、姫様はまだ蒼月館の学生でない、というなら戦力から除外していただきたく思います。その分わたしが働きますので」

 晦日美咲はそう言った。聖女たる齋姫の代わりが自分に務まるといっているのも同義で、かなりな自信というほかない。


「まあ……実際神楽坂はまだ編入試験もまだだしな。戦力には数えんほうがいーんだろうが……実のところ晦日はなにができる?」

 そういうと、美咲はいくつかの軟球を取り出した。辰馬、瑞穂、雫、エーリカ、シンタ、大輔、出水、夕姫、繭にそれぞれ渡す。


「それを一斉にわたしに向けて投げつけてください。叩きつけるつもりでどうぞ」

 とは、いわれても簡単にはできない。軟球とはいえ力いっぱいたたきつけたら、最悪骨が折れる。


 なので9人はまず「ふわっと」放り投げる。その9つの軟球が、空中で真っ二つに裂けて落ちた。いくつかは美咲の死角から放られたにもかかわらず、お構いなしで正確に断ち割られていた。


 雫は「あー……」と気づいたようだが、ほかの8人の目には何をしたのかさっぱり見当もつかない。美咲は18個に分かれて落ちた軟球を拾い上げ、また9人に渡して「今度は全力でどうぞ」という。どうやら手加減は必要なさそうだと理解した辰馬たちは今度こそ全力で軟球をたたきつけ、そして18の軟球は36個に裂かれて落ちる。


「鋼糸、だよね?」

「はい。さすが剣聖、牢城先生には見抜かれますか」

 鋼糸。極薄・極細の鋼の刃を鞭のように操り、縦横の斬撃を繰り出す絶技。ほとんど使い手もいないような技術を、美咲は極めて高い……下手をすれば、牢城雫という天才に届くレベルで……会得している。威力もさることながら、この技術の本領は隠密性と暗殺の適正だ。晦日美咲という少女が何者であるのか、余計にわからなくなる。


「いやー、あたしの目でもほとんどわかんないくらい。すごい技量だよね?」

「訓練しました。これがわたしの武技。もうひとつの力は……」


 美咲は辰馬に軽く触れる。「?」と思う間もなく、身体に内在する力が膨大に膨れ上がるのを感じる。


「牢城先生、新羅さんに一撃を」

「えー? たぁくんに攻撃なんて……えいやっ♪」

 えー、と言いつつ雫、入り身で辰馬に渾身の肘。普段なら悶絶ものの一撃だが、今回は痛みがない。痛覚遮断の能力……ではなく、全体的な肉体と精神のエネルギーが数倍に強化されているらしい。


「この能力『加護』。この二つの能力で、姫さまの代わりを務めさせていただきます!」

 これだけ実戦向けの能力を見せつけられれば辰馬たちにも否やはない。むしろ強力な新戦力を喜んで迎えなければなるまい。


「わかった、ようこそ晦日美咲」

「はい。今後よろしくお願いします、皆さん」


………………

 そうして美咲を加えた一行は、兵員(男子学生)20人を率いて明芳館に向かう。辰馬が4人、エーリカが4人、大輔が4人、シンタが4人、美咲が4人を率いて、気取られないよう進んだ。雫は教師だから表立って学園抗争に参加できない。偶然、蒼月館の学生を助けたという体裁になるよう、遊撃として適当に街を歩く。この布陣、4、5人が1グループで街を歩くだけ、作戦行動とはまず気づかれまい。


が。


………………

「蒼月館の新羅辰馬くん、来たわね。兵力を分散して気取られないように、ということなのでしょうけれど。わたしの風にはすべてお見通し……」

 明芳館学生会のベヤーズは、学園の尖塔にしつらえた私室から辰馬たちの動きを鳥瞰的に見抜いていた。


「疾風は勁草を薙ぐ。わたしの風の威力、肌で感じてもらおうかしら」

 左手をくん、とひらめかせ、風と嵐の神ワユの神力を収束させるベヤーズ。それを拡大して部屋の中から照準、うなりを上げる風の槍が、辰馬たちを襲う――!

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