凧事件②
待ちに待った金曜日は、凄くいいお天気だった。空がすごく青くて高くみえた。空気がピンと緊張しているみたいだ。この空にぼくの凧があがったら、本当に背景が空の色にとけてしまうだろうと思った。
早くあげたかったけれど、クラス全員がいっぺんに上げることはできなくて、3つの班に分かれて順番にあげた。ぼくは3班だったので一番最後で、他の子の凧をいろいろ見ながらも、早くぼくの凧を上げたくてたまらなかった。ぼくの凧がみんなの凧より高く高く綺麗なバラを空に咲かせる様子を想像した。
「はい、じゃあ3班さん、用意してね~」
図工の先生が言った時、ぼくは準備にもたついてしまって、他の子にちょっと先をこされてしまった。おかげで凧を飛ばすスペースが自分の周りになくなって、仕方がないので、あまりみんなが集まっていない体育館のそばであげることにした。
風の方向を確かめて、凧をまっすぐ縦に置いた。飛ばし方はわかっていた。冬休みにパパに別の凧を買ってもらって、それでパパと一緒に練習してたからね。ぼくは糸を引いた。クイッと手ごたえがあって、凧があがった。風が弱くなってしまっていたので、ちょっと走らないといけなくて、ぼくは反対向いて走った。
と、ぐるんと凧が回った感覚があって、後ろでガシャッと音がした。あー、落ちちゃった。凧あげは、あげる時が一番難しい。パパと一緒に練習したときも何度もスタートで失敗していた。ぼくは壊れてないか心配で、すぐに凧のところへ走っていった。
次の瞬間、体育館の方で、悲鳴があがった。
「先生?! 先生、大丈夫?!」
「誰か!! 渡辺先生が大変!!」
「誰か、早く他の先生を呼んできて!!」
「保健室の先生も!!」
声の方を振り返ると、渡辺先生が地面に座り込んでいた。顔の右側を押さえているようだ。周りで図工の先生や学級委員の伊藤さんやクラスの女の子たちが壁を作っていて、ぼくには詳しいことがすぐにはわからなかったけれど。渡辺先生が皆に事情を説明している。先生はこんな時にも落ち着いて冷静でいなくてはいけないんだなぁ、とぼくは先生のことを凄いと思った。恐る恐る近づいてみたけど、やっぱりなんだか怖くて、ぼくはちょっとみんなと離れたところで様子をみていた。
保健室の先生がクラスの女の子2人と走ってきて、すぐに応急処置を始めた。先生の顔には血がたくさんついていた。ぼくはギョッとした。そして、体育の先生と学年主任の先生が来て、渡辺先生に少し確認をとった。
先生たちは、ぼくの方をギョロギョロ見た。なんでだろう? と思った。気のせいかな、と思った。すると、その会話を近くで聞いていた子たちが叫んだ。
「はると!! お前、何やってんだよ!!」
「お前のせいだろ!!」
ぼくはびっくりして心臓が止まりそうになった。
「な、なんでぼくのせいなの?! 関係ないじゃん!!」
ぼくが精一杯大きな声でこたえると、
「ここで凧あげてたの、お前一人じゃん!!」
「お前しかいないじゃん?」
みんなが大声をあげはじめた。
「はるくん、ひどい!!」
「先生、目から血が出てるんだよ?!」
「なんとも思わないの?」
「ひでぇな、はると! あやまれよ!」
ぼくは何でそんなことになってるのか、全くわからない。
「なんでぼくなのさ? ぼくが先生に何したって言うのさ?」
ぼくも負けまいとして大きな声になる。
「お前の凧が先生の目に当たったんだよ!!」
その声にぼくはクラッときた。だけど、すぐ我に返った。
「なんでだよ?! ぼくの凧が落ちたの、あっちじゃないか!!」
ぼくがそう叫んだ時、体育の先生がぼくの声を掻き消した。
「みんな静かに!! 静かにしなさい!!」
その大きくてすごく通る声に、みんないっぺんに静かになった。
「これから渡辺先生を病院に連れて行きます。みんなは引き続き授業を受けてください」
保健室の先生がそう言うと、みんなまたちょっとざわついた。
「先生、犯人はどうするんですか?」
あつしが強い声でたずねる。
「犯人とか言うな! これは事故だ。偶然だ。誰のせいでもない!」
体育の先生はみんなをにらみつけるようにぐるっと見渡すと、
「さあ! みんなは早く授業に戻りなさい!」
と、大きな声でぼくたちに言った。
渡辺先生は保健室の先生と学年主任の先生に支えられて行ってしまった。あとには図工の先生と、体育の先生が残り、ぼくらは凧あげを再開した。
「じゃ、もう一回、3班さんからね~」
図工の先生が言う。
「なんかやる気起きねえよなぁ」
「凧あげって気分じゃなくなったよね~」
っていろんなとこから声が聞こえて、みんなため息つきながら渋々やってたって感じだった。
だけど、ぼくは、やっとぼくの凧をあげられると思うと、やっぱりワクワクした。今度はみんなより早く準備ができたから、いい場所も取れて、ぼくの凧は一番にあがった。
いい風が吹いていた。ぼくの凧はぐんぐん高く高くのぼって行った。凧に塗った背景の空色と、空の青とが本当に溶けてしまいそうだ。真っ赤なバラは、どんなに凧が高くあがっても、はっきりとその形が見えていた。
「すげえ。いいぞ、ぼくの凧!」
ぼくは一人、満足していた。
「はい、じゃ、3班さん終わりね~」
図工の先生が合図して、みんな凧を降ろし始めた。ぼくの凧は一番高くあがっていたので、おろすのにちょっと時間がかかった。我ながら上手にできたなぁ、と凄く満足していた。
だけど、
「なんだよあいつ?」
「信じられない」
「よく平気でいられるよね?」
「ああいうの『ムシンケイ』っていうんじゃない?」
そんなヒソヒソ声が聞こえてきて、また気分が悪くなった。ぼくの凧が渡辺先生に当たったって証拠がどこにあるのさ?ぼくはヒソヒソ声の方を睨みつけてやった。
「絶対、ぼくじゃないからな!」
大きな声で叫びたかったが、なんだかクラクラしてきて、力が入らなかった。
本当にぼくじゃなかったんだろうか?
ぼく自身も見ていたわけじゃないから知らないんだ。
渡辺先生は本当のことを知ってるんだろうか?
もし本当にぼくだったらどうしよう?
渡辺先生にあやまった方がいいのかな?
まってよ。
ぼくが先生にあやまるのはおかしくない?
ぼくが犯人でしたって認めてることにならない?
だってぼくにもわかんないんだよ?
本当にぼくだったらどうしよう。
先生はぼくのことを怒ってるかな?
まってよ。
先生、本当にぼくだったの?
物凄く複雑な「?」がいっぱい現れて、ぼくは頭が痛くなった。渡辺先生が早く「真犯人」をみんなの前で言ってくれたらいいのに。と思った。
渡辺先生は月曜日の朝にはもう学校に来ていた。朝の会の時間に元気に「おはよう、みんな!」って教壇に立ったけど、右目には白い眼帯をしていた。とても痛そうで、ぼくは、先生の元気な声が逆につらかった。なんでだろう? かわいそうとか気の毒とかじゃなくて、つらいと思った。ぼくはやっぱり、ぼくのせいだと心のどこかで自分を疑っていたのかもしれない。
「先生、大丈夫?」
「もう学校きていいの?」
「目、ちゃんと治る?」
クラス中が先生の目のことを心配していた。勿論、ぼくも。
「ありがとう、みんな。もう大丈夫よ。びっくりさせてごめんね。まだ、しばらく眼科に通わないといけないんだけど、すぐよくなるんですって。だから心配しないでね」
渡辺先生はそう言って笑顔でみんなを見渡した。
「あ。でも、しばらくは眼帯をしてないといけないの。ちょっと見苦しいけどごめんね」
先生が笑う。
「大丈夫だよ、先生! 十分美人だから!!」
ひろきがそう言うと、クラス中みんな大きな声で笑った。
「先生は、『犯人』が誰か知ってるんじゃないの?」
あつしがぼくの方をチラッと見て言ったけど、
「『犯人』なんて言っちゃダメ。これは本当に事故なんだから。それに先生、ぼーっとしてたから、どうしてそうなったのか、はっきり覚えてないのよ」
って先生が言って、
「はい、じゃあ、この話はここまでで終わり。朝の会を始めましょう」
って終わりにしたから、ぼくはなんだかホッとした。
なんでかなぁ。
クラスには、ぼくの味方がいない気がする。
それって、気のせいだろうか?
それって、本当だろうか?
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