残酷
しらは。
第1話
モルグは30年以上も経験がある狩人のなかの狩人だ。
しかし、そんな男でもときには信じられないようなミスをしてしまうこともある。
それは、実際の暦よりも一足早く春がやって来たような陽気な日で、森の獣たちも春の恵みにありつこうと巣から離れていった。つまり、モルグにとっては書き入れ時だったというわけで、大量の獲物を捕まえることに成功した。
「朝獲れたばかりだから、うめぇぞ。ぜひ買ってくんろ」
モルグは意気揚々とギルドを訪れ、私に獲物を披露してくれた。
山鳩に雉、それから三匹のウサギを順に取り出していく。
それを見ながら、私はウサギのソテーに思いをはせていた。
今日は久しぶりに暖かく、職員のみんなも何かしらご馳走を期待している。
ギリギリ予算内でもあるし、一匹くらい買おうか。この痩せっぽちのならちょうど良い。
そう思った私が何気なく耳を掴んだ時、そのウサギがビクリと小さく動いたのだ。
驚いてモルグを見ると、彼も目を丸くして、信じられないものを見るかのようにそのウサギを見つめていた。
しかし、ウサギの方はもはや見間違えようのないほどハッキリと身動ぎするようになり、私は思わず彼の手当てをしなければと傷口を抑えてしまった。
********
「ありえねぇ。その3匹はどれも血抜き済みなんだ。そいつが息を吹き返すなんてこたぁ、天地がひっくり返るようなもんだ」
モルグも私も、そのウサギをもう一度殺めようとは思わなかった。
モルグは怯えきっていたし、私は彼ほどのショックは受けなかったが、それでもそのウサギを食べようとは思えなかった。
そのウサギは予想に反して順調に回復したので、リチャードと名前をつけた。
言うまでもなく聖リチャードからとった名前で、黄泉がえりという奇跡を経験した彼にはその名前こそ相応しいと思ったのだ。
引き取った以上、私には彼を働かせる必要があった。
考えた末、彼には的あての的になってもらうことにした。
つまりこういうことだ。
彼の背中から真っすぐ立つように木の棒と丸い的を括り付ける。
その状態で走り回ってもらうといい具合に揺れ動く的ができあがり、弓矢や魔法などの訓練にはもってこいなのだ。
特に若い冒険者の多くは命中精度に課題を抱えているため、非常に良い経験になるだろう。
リチャードはたちまち人気者になった。
********
そのうち、リチャードが早すぎて当てられないという苦情が目立つようになった。
そのたびに「当てられないから訓練が必要なんだろう」と言って追い返すのだが、正直に言うと、若く自信過剰なヒヨッコ冒険者たちがリチャード相手に四苦八苦しているのは、なかなか痛快な見世物だった。
その日も一人の魔法使いが挑戦していたが、もう5分以上もリチャードに翻弄され続けていた。
「くそっ! なんで当たらないんだこの野郎!」
だいたいこんな風に悪態をつきだしたらもうダメだ。
経験的にそれを知っている私たちギルド職員と、ヴェテランの冒険者たちはニヤニヤしながらその男を見守っている。
「おいおい、無理せずもっとデカい的にした方がいいんじゃないか!」
観衆からヤジが飛ぶ。
今使っている的は2番目に大きいやつなので、お前には一番大きな初心者用の的がお似合いだという意味だ。
言うまでもなく侮辱で、大抵の冒険者はこういう煽りに非常に弱い。
「うるさい、黙れ!」
魔法使いの男は目の色を変え、今度は的ではなくリチャードに向かって火球を放つ。
当然、的と違って当たれば怪我ではすまないし、かすっても無事というわけにはいかないだろう。
ヤジがやみ、空気が凍り付く。
しかしそんな我々の心配を嘲笑うかのように、リチャードは軽々と火球を飛び越えてみせた。
大人の背丈ほどだろうか、私はウサギがこれほど高く跳べるとは信じられなかった。
平然と着地したリチャードは、魔法使いの男を振り向き、小さく首をかしげる。
その仕草は「もう終わりかい?」と言っているようで、ついに魔法使いの男も心が折れてしまい項垂れてしまった。
訓練場は歓声に包まれた。
********
リチャードとギルドの関係は概ねうまくいっていたが、そう思わない人間もいた。
ギルド長のアンソンはその筆頭で、ある日私は彼に呼び出しを受けた。
「キミのやっているウサギを使った訓練だがね、このまま続けるのはどうかと思うんだ」
「しかしギルド長、動く標的を苦手にしている若手冒険者はたくさんいます。意義のある訓練だと私は思いますが」
「うんうん、キミがどう思うかはね、あまりね、関係ないから」
ギルド長はひらひらと手を振りながら、こちらの発言を遮る。
「苦情がきてるんだよ。あんな残酷なことやめさせるべきだとね。可愛いウサギを的にするなんて、と心を痛めている人は多いんだ」
残酷という言葉が私の頭を巡る。
たしかに、訓練中に誤って矢や魔法が当たってしまうことはあったが、それが残酷だというのだろうか。
ウサギの動きにもついていけないような冒険者を、十分な訓練もさせないまま放りだす方がよほど残酷だと私には思えるのだが。
しかし、そんな私の心情を知ろうともせず、ギルド長は言葉を続ける。
「明日からもうやめようか。あのウサギも、ちゃんと森に返しておいてよ」
口調は柔らかかったが、ギルド長の言葉には有無を言わせぬ圧力があった。
私は了承の言葉を返し、部屋をあとにした。
********
私がリチャードを森に返しギルドまで戻ると、ギルド長が街の住民や冒険者たちを集め演説をしていた。
「え~、当ギルドでは長い間ウサギのリチャードを使った訓練を行っておりましたが、可愛らしいウサギの命をもてあそぶこの残酷で野蛮な行事は到底許されることではなく、私の権限をもって今日限り廃止いたしました。彼は無事故郷である森に返しましたので皆さまご安心ください。えー今後についてですが、冒険者の皆様には狡猾で薄汚いキツネを用いた訓練を用意していますので、こちらを是非ご利用ください。さて……
残酷 しらは。 @badehori
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