『シミュレーション仮説』

やまいし

シミュレーション仮説


 『人類が生活しているこの世界は、すべてシミュレーテッドリアリティである』とする仮説――シミュレーション仮説をご存じだろうか。


これは様々な哲学者並びに物理学者が主張している説であり、より具体的に言えば『私たちは現在で言うVRの世界の住人』という説だ。


何を荒唐無稽な。――そう思う人も居るかも知れないが、そこにはきちんとした根拠がある。私自身以下の根拠を理由にこの説は100%有り得ないとは言えないと考えている。では早速『シミュレーション仮説』における"根拠"について説明していこうと思う。




➀物理法則

私たちがゲームやVRなどの世界を作る場合、必ずと言って良いほどプログラミング言語を用いる。

プログラミング言語には書き方がありそれによって世界を構築していくが、その世界には"物理法則"を適用させることが出来る。そいてその物理法則は数式で表すことが出来る。


私は、私たちの世界におけるこれらの物理法則は、私たちがゲームに適用すると同じように"高位の存在"によって適用された物だと考えている。この世界におけるさまざまな物理現象が"式"という形で表せていることが何よりの証拠だ。


また、相対性理論における"光速度不変の原理"は、どの慣性系から見ても光の速度は変わらないという原理であるが、これも光は秒速30万キロで"この世界の時間の基準"であると決められていれば納得できる。

そして光より高速な物が存在しないというのも、世界創成時に"高位の存在"によってプログラミングのように設定されているとするならば納得できる。


一方円周率やネイピア数などの定数には、何らかのメッセージが込められているのでは無いかと言う考えもある。



②天才の存在

世界にはいつの時代にも天才と呼ばれる人々の存在がある。彼等は科学や数学など様々な分野を通じて世界の発展に貢献してきた。

私は、この彼等の存在はシミュレーション世界における文明発展を助けるために"高位の存在"によって、啓示や才能といった形で用意された存在だと考えている。

その時代だと考えも付かない様な発想をする天才アインシュタインや、神の啓示を受けてフランス・オルレアンを救ったジャンヌ・ダルクなどの存在が当てはまる。


それに自分がシミュレーションゲームをすると仮定した場合、いつまで経っても発展しなければ面白くないしシミュレートする意味も無いだろう。普通シミュレートする場合は何らかの目的を持って行なうはずだ。

"高位の存在"が何を目的にシミュレートしているかはわからないが、何かしらの結果を求めるためには文明の発展が必要とすれば、そういった存在を作る事によって彼等が直接手を出さずに自然とこの世界を発展させていくことが出来るだろう。



③バグ

コンピュータによるシミュレーションには、ボイドと呼ばれる隙間やバグがあって、内部からも判る場合があるかもしれない。そのようなものを見つけ検証できるなら、それによってシミュレーテッドリアリティの内部にいることを証明できる可能性がある。

物理法則に反する特異点や日常における不可思議な現象もこの"バグ"による物かもしれない。


実際、コンピュータにおいてバグはよくある問題と考えられる。十分に強力なシミュレーションにおいては、全ての経験や思考が監視されている可能性があり、バグや抜け穴に関する知識が即座に消去されるのではないかという考え方もある。もちろん、その場合はバグを発見することはできない――発見したとしてもそれに基づいて行動できないだろう。



 私の好きな仮説


ここで私が個人的に好きな仮説は、宇宙創成時におけるビッグバンはゲームの世界が作られるのと同様に起こる現象と言う説である。これは「ビッグバン以前の宇宙には何も存在していなかった」という意見にも辻褄が合う。

つまり宇宙全体が一つのシミュレーションになっていて、それが作られる前は"この世界"が無いので何も無いという考えだ。



 シュミュレーション仮説における危険性


ただしこのシュミュレーション仮説の考えには、少なからず危険性を含んでいるという事を理解してほしい。

例えば、誰もが現実は幻想であると信じていたらかけがえのない生命という抑制から解放され、犯罪や残虐行為に走ることに躊躇しない者も多く出現する事が挙げられる。


これには納得できるだろう。何せ実際私たち人間には様々な欲求がありそれを自制可能にしているのは、倫理観や道徳心を理解しているからだ。

学校や社会を通じて「それはやってはいけないこと」「それをされた相手の気持ちを考えて」など、生活をしていく内に自然と人はそういった事を身に付いていく。


しかしそれが無くなればどうなるだろうか? 言わなくてもわかるだろう。

ただでさえ犯罪などが多発している現代だ。そうなれば人は、倫理観や道徳心すら失われたただの獣に成り果ててしまう。――窃盗、性犯罪、殺人などが絶えなく発生することは容易に想像できる。


だがこの説には次のような主張もある。

『来世におけるあなたの運命は、あなたが現在のシミュレートされた現世でどう振舞ったかによって決められるかもしれない』という事。

つまり「高次の存在」を仮定すれば、この世界で倫理的に振る舞うことで、最終的にはよい結果を得られるという事になる。

この『善行を積めば現世・来世で良いことがある』と言った考え方はさまざまな宗教などに通じており、仏教または神社仏閣あるいはキリスト教神学の用語における功徳くどくを表している。


どうせ私たちは仮想世界に生きているんだから何をしたって良いよね? と軽率に考えて行動すれば必ず自分に返ってくる。きちんと倫理観・道徳心を持って行動をしよう。



 最後に


この説はあくまで可能性の話であり私個人の見解も含んでいますので、信じる信じないいずれにおいても一切の責任を負いかねますのでご了承ください。

また個人的には、アニメ・ラノベにおける”異世界もの”に登場する創造神のような存在が”高位の存在”に近いのでは無いかと思っています。




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