008・ピザはプラットフォーム
ピザは凄い。
私と母さんと父さんとおばあちゃんは、それぞれ味の好みが全く別なのに、ピザを取ることになると、みんなが喜ぶ。カレーだとばあちゃんが、ハンバーグだと母さんが、煮物だと父さんが、丼ものだと私が文句を言うけど、ピザならば誰も文句を言わない。
そもそもピザが嫌い、と主張することは難しい、と私は思う。ピザ生地の種類は無数に存在し、トッピングの種類も無数に存在するため、結果、その組み合わせは途方もない数になる。だから、それらの味全てを否定することは、ほとんど不可能に近い。
そう考えると、ピザは怖い。
ピザには定義らしい定義がない。さっきも言ったように、生地もトッピングも非常に自由で「これを使ったらピザじゃない」というような具材は恐ろしく少ない。また、今やピザは世界中で食べられているが、それら全てを貫く共通項を見出すことも難しい。ある協会では、ナポリピザのピザ台の製法を厳密に規定しているらしいが、逆に言えば、それだけの厳密さがなければ、一気に変化してしまう、という保守的な恐怖の裏返しが規定を要請するのだろう、と私は考えている。
しかし、ピザは楽しい。
いや、楽しい場所にピザが現れる、というべきか。
ピザには常に楽しい記憶が結びついている。楽しい場所の多くでピザは振る舞われる。海外の詳しい事情は知らないが、少なくともドラマや映画を観る限り、葬式などのシーンで人々がピザを食べる姿は見たことがない。例外として、サイコパスな殺人鬼などが汚らしい部屋でピザを食べる、というものは見たことがあるものの、あれはどちらかと言えば、不穏な場所に不釣り合いなものを置くことで恐怖を高める、相乗効果としてピザが利用されているように思える。
では何故ピザは楽しいのだろうか。その真理に辿り着くことは難しいが、しかし、その輪郭の一部を担うであろうキーワードであれば二つほど上げることができる。
一つは分有、そして一つが、接点だ。
まずは分有という側面から見ていこう。分有という言葉が分りづらければ「同じ釜の飯を食う」と言い換えてもいい。そしてそれは、共有とは違う。共有は一つのものを複数人で共同利用するが、分有は一つのモノが複数人へ分割される。同じ釜の飯を食べるとき「食べる」という体験自体は個人のモノに過ぎない。つまり、その飯の味と記憶と感情はそれぞれで全く別物になってはいるが、しかしその根っこ、つまり食事をした場面に居合わせたという意味では繋がっている。そう考えた場合、分有、という言葉は、ピザのためにある言葉だ、と言っても言い過ぎではない、と私は考えている。
しかし、先ほども言った通り、ピザにはもう一つ「接点」としての側面もある。
ピザの歴史は古く、長い。一説によれば、五千年前の古代エジプトで既に、ピザ生地の原型とも呼べる食べ物が作られていたという。もちろんこれは生地に限った話で、形状は現在のものとは程遠い。ピザが現在の形に近づいたのは十六世紀前後という見解が主流のようだ。どうやらその頃に、インカからナポリへトマトがもたらされ、ピザの原型が完成したようだ。そこからピザは世界各地へ広がり、各地の食文化と結びついて無数の、そして独自の進化をとげて、その土地に根付いている。
そういう意味では、ピザはプラットフォームと呼ぶことができるのかもしれない。
各地の食材が出会う場、各地の食文化を繋ぐ場、各地の人と人を結ぶ場として、ピザは確かに機能している。ピザには定義らしい定義がない、と私は前に言った。しかしそれは、ピザをコンテンツとして考えた場合の話だ。
ピザをコンテンツとしてではなく、プラットフォームとして理解すれば、様々な事象……すなわち、ピザが凄かったり、怖かったり、楽しかったりするその仕組みが見えてくるはずだ。
「えっと……」
目の前の男は絶句している。名前は知らない。いや、聞いたけれど、忘れてしまった。
私はインカレの芸術研究サークルに入っている。インカレ……つまり他大学と共同で運営しているので、様々な人と交流を持つことができるのだが、勿論、男女の出会いを目的として入って来る人間もいて、今日の飲み会では運悪くそんな男の隣に座ってしまっていた。
男が喋っている間は適当に受け流していたのだが、そんな私の態度が面白くなかったらしく、私に「何でもいいから、君の話を聞かせてよ」といい、私が「何がいい」と聞くと「じゃあ、君が一番好きなものについて」というので、私が大好きな食べ物であるピザについて、私はひたすらに喋りつづけていた。
「と、とても面白かったよ。……あれ、美奈ちゃん、来てたんだ!」
男は引きつった笑みを浮かべてそう言うと、グラスを片手に別の女のところへ行ってしまった。私が小さく、安堵のため息をつくと、空いた隣のスペースに、別の男が座る。私は再び精神を引き締め、ぎりぎり敵意と取られない程度の視線を向ける。男は難しそうな顔をしている。
「盗み聞きするつもりはなかったんだけど、聞こえちゃったんだよね、今の話。とても面白かったけど……プラットフォームっていう結論で終えるのはどうだろう。それだと僕たちがピザを前にしたときの――」
唐突に男は喋りはじめる。彼はどうやら私の結論に反論をぶつけるつもりらしいけれど……でも、負けることは無いだろうと思う。何故なら彼が私に話しかけた時点で、ピザのプラットフォームとしての力が、発揮されているのだから。
(了)
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