桜の呪い

硝子匣

桜の呪い

「桜の樹の下には死体が埋まっている!」

 こんな衝撃的な一文で始まるのは、梶井基次郎の『桜の樹の下には』という、彼の独特な文体と感性によって、桜の花の持つ美しさとその裏に潜むおどろおどろしさを描いた作品だ。

 この作品によると、桜の花があんなにも美しいのは樹の下に埋まった死体から血を吸い上げるからなのだという。


「試してみましょうよ、桜の樹の下に死体があれば本当に美しい桜が咲くのかを」

 彼女はそう言って、僕を小高い丘の上に連れて来た。

 その場所は地元の人でも近付かない寂れた場所で、頂上に一本の、枯れているのか、もはやその花が咲くのを誰も見たことがないという桜の樹が鎮座している。

「ここで私が死んで、本当にきれいな桜が咲くのか、毎年確認してちょうだい」

「咲いていたらどうするの?」

「私にそれを知らせて」

「どうやって?」

「あなたもここで死ぬの。そうすれば天国だか地獄だか、少なくともこの世ではないどこかで会えるはずよ。先に行って待ってるるわ」

 なんのてらいもなく、さも当たり前というかのごとく告げられた彼女のセリフは、浮世離れしているはずなのに、僕には、それもそうかと、すんなりと落ちてきたのだった。

「それじゃあ、まずは穴を掘りましょう」

 月と星の明かりのみが照らす丘の上、僕と彼女はショベルで大きな穴を掘った。そうして彼女はその穴の中に横たわる。

 澄んだ、ともすれば刺さるような空気の中にありながら、掘り終わる頃には全身が汗だくだった。興奮、はしていない。妙に落ち着いていたのを覚えている。

「血がたくさん出るほうが良いと思って」

 彼女はナイフを手にしていた。

「ひと段落したら、ちゃんと埋めてね。そうして、毎年ここに来て」

 夜空を、桜の枯れ枝を見上げる彼女は手にしたナイフで喉を切り裂いた。瞬間、わっと赤い血が吹き上がる。地面に、桜の樹に、彼女自身に、それらは降りかかっていった。

 これが、彼女の血が、命が、桜を咲かすのかもしれないと思うと、僕は何とも言えない気分に、高揚とも酩酊ともとれないナニかを覚えていたのだった。

 そしてひとしきり血が流れ出たのを確認した僕は、彼女を埋めるためショベルを手にした。

 そう言えば、僕は自分のものと彼女のものと、二本のショベルを持ち帰る必要があるのかと辟易した。


 それから数年後、あの丘の上を目指し僕は歩いている。

 あの時と同じく、空気は澄み切り、身を刺すようだ。月と星明かりだけを頼りに登っていく。

 もし桜が咲いていなければ、僕は来年もその先もずっとこの丘へ通い続けることになる。これは彼女が僕にくれたとてもすばらしい呪縛なのだろう。

 この呪縛がある限り、僕は彼女を忘れずに済む。そして、この呪縛が解けた時、僕はもう一度彼女とひとつになれる、そんな希望ある呪縛なのだ。

 この先に広がる景色は、呪縛は、僕をどうするのだろうか。

 あと一歩、恐る恐る踏み出す。

 そこには、満開の、恐ろしくも美しい桜の花が咲き誇っていた。

「君の血が、桜を咲かせたよ」

 そうして僕は彼女と同じ場所にたどり着いた。

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