第三話「魅惑の紅茶」
この日、青年は泥棒になることを決意した。
青年の家庭は貧乏であった。青年が幼いころに父親は病により亡くなった。母親は街の工場で働いていたが、あまりにも厳しい労働環境のため、過労で病に伏すこととなってしまった。
青年は学校に行くことができず、読み書きすらままならなかったので、非道ではあるが、母の病気を治す資金を集めるために盗みでお金を稼ごうと考えたのだ。
彼は、巷で噂になっている、街から数マイル離れた大きな茶園で栽培されている紅茶に目をつけた。
その紅茶は、聞いたところによると、味わった者を一生その虜にすると言われるぐらいに美味らしく、数グラムでも高値で取引されているようだ。
そして、大きな茶園で栽培されているならば、ほんの少し盗む程度なら気づかれることはないと考え、青年は今晩にでも盗みを決行しようと心に決めたのだ。
母の寝息を確認すると、青年は足音を残さず家を後にした。
数時間かけて茶園に着くと、その周囲は高価な紅茶が栽培されていると言われている割に、全く警備されておらず、柵すら構えられていなかったので容易に侵入することができた。
茶園に生えている茶樹は3mほどの高さがあり、等間隔にある通路の両側に連なって生い茂っていた。
すぐに退散するつもりだったので、わざわざ奥まで行って採取するのではなく、入り口付近にある茶樹から適当に盗もうと考えていた。
しかし、茶葉を採取しているうちに、盗むならば1枚も10枚も同じだと考え、それなら持ち帰ることができる限度まで盗んだ方が良いと思い直した。
辺りを警戒しつつ茶樹を変えながら採っていると、遠くの方で物音がした。
野生の動物が徘徊しているのか、樹々が風に揺さぶられた音なのか、音の正体は分からなかったが、青年は急いで樹々の中に身を隠した。
捕らえられた時のことを想像し全身を汗で濡らしたが、気づかれることは避けようと身震いだけは我慢した。
耳をすませていると、しばらくして再び音がなり、どうやら人間の足音であることが判明した。察するに、茶園を警備している人間が見回っているようだった。
しかし、警備員のくせにライトのようなものは持っていないようだが、月明かりでも頼りに辺りを確認しているのだろうか。
とにかく、警備員が近くから去るまでは身を潜めていようと思い、その気配に注意を向け続けた。
音の主は、青年と同じように茶葉を採取しているようだった。
もしかすると、同じ目的で茶園に侵入した者かもしれない。
青年はそう思ったが、だとしても今自分が樹々から出るのはやめた方が良いと考え、音の主が立ち去るのを待った。
しかし、音の主は立ち去る様子もなく、黙々と採取を続けているようであった。
2時間、3時間、いやそれ以上経っただろうか、青年の集中力が完全に切れかかった頃、新たな足音が聞こえた。
今度こそ本当の警備員か。青年は途切れかけていた集中力を蘇らせ二つ目の足音の動向を伺う。
二つ目の音が一つ目の音と遭遇したようで、二つの音は暴言を吐きながらドタバタと争いを始めた。
青年が隠れている場所からは、どのような攻防が繰り広げられているかを見ることはできなかったので、聴覚だけを頼りに状況を把握しようとした。
しばらくして静寂が訪れ、やがて音が一つなり、何事もなかったかのように再び採取を始めた。
もう片方がどうなったかは分からないが、足音は一人分しか聞こえなかった。
日の出を迎え、大分と辺りを視認しやすくなった頃、足音が近くから去ったのを確認し、青年は樹々の外に出た。
周りを見渡すと、少し離れた場所で頭から血を流した男を見つけた。そばには血の付着した石が転がっていた。恐らくもう一つの音の主に殴られたのであろう。
男が生きているか死んでいるかは分からないが、一刻も早くこの場から離れたかった青年は、男に近寄ることもなく茶園から立ち去った。
とにもかくにも、青年は高価で取引されているらしい茶葉を盗むことに成功したのだ。
これで母親の病を治すことができる。
折角多めに採取したので、少しぐらいなら虜にすると言われる味を堪能しても良いではないかと思い、自分と病に伏している母親のために紅茶を淹れようと青年は帰りの道すがら考えた。
◇
「今日は1人だけか。まあ良い、この男を運んで解体しろ、新鮮なうちにな」
茶園を所有している富豪は、召使いに倒れている男を運ばせた。
「園内に侵入した者は、『紅茶』の減り具合からすると数名いたようですがね。初めて侵入した者がたまたま多かっただけかもしれませんね」
富豪の執事は茶樹を見渡しながら言う。
「だな。『紅茶』を飲んだ奴らは味を忘れることができず、何度もこの栽培園にやってきて、中毒者同士で勝手に争ってくれるから助かるよ。もちろん『紅茶』を売って十分金儲けできるが、やはり人間の臓器を売った方が儲けが良いからな。我ながら良いビジネスモデルを考えたものだよ」
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