第二話「まんじゅうこわい」

「健斗、ここの旅館に行きましょ」


 昨日、ひかりは突如そんなことを言ってきて、俺たちはこの温泉旅館にいる。


 ここは心霊現象を体験できることで有名な旅館であり、その心霊現象に遭った人たちは幸運なことが起きると言われている。


 町から随分離れた田舎に立地されているので、ここにたどり着くのに電車を何回乗り換えて、どれだけ歩かされたか、思い出すだけで帰路が憂鬱になる。


 いつもこんな具合で、ひかりに振り回されている俺だが、これでも付き合い始めてから3年だ。


 同じ会社に同期として入社し、俺がエンジニアで彼女が営業なのだが、同じプロジェクトで一緒に仕事をしていく中で、次第に恋に落ちていった…と言えばまだ聞こえは良いが、彼女から「田島くんって何でも言うことを聞いてくれるから好き。付き合わない?」と何とも自己中心的な告白を受けて今に至るわけだ。それに応じる俺も変わり者なんだが。


 受付でチェックインを済ませた俺たちは、案内された和室の部屋で荷物を置いてくつろいでいた。


「幽霊が出るって言ってた割には普通の内装なのね」

 

 彼女は小言を言いながら、俺の分までお茶を注いでくれた。


 ひかりの言う通り、心霊現象が起こる旅館というイメージだったので、もっと古びた内装で、不気味な人形が部屋に置かれているのかと身構えていたものの、実際は和室におなじみの机と座布団が用意された普通の旅館だった。


「俺は怖いの苦手だから、正直ちょっと安心したよ」


「ちょっと興ざめというか、期待しすぎたわ。まぁ、部屋に人形とかお札が置かれていても気になって仕方ないだろうし、これはこれで良いかもね」


 ひかりは自分を納得させるかのように呟く。


 俺たちが部屋で駄弁っていると、外から「失礼します」と声がして、若い仲居が入ってきた。


「こちら、宿泊される方にお渡ししているお饅頭です。良ければどうぞ!」


 仲居は包装紙で包まれた饅頭の箱を机に置いた。包装紙には、はだけた着物の萌えキャラがプリントされていた。


「へー、この旅館って何かとコラボしているんですか?」


「そうなんです!最近アニメで放送されている『旅館っ子』とコラボしているんですよ!」


「良いですね!帰りにでも会社用にお土産として買おうかな」


 俺は包装紙を開けて饅頭を取り出し、口の中に入れた。


「これ、女性の性消費じゃん」


 ひかりの口からとんでもない発言が出た。


「え?」

 

 仲居は少し戸惑った様子でひかりの方を見る。


「このプリントされた女の子のキャラクターって何の意図があって、胸元を誇張したデザインになってるの?男に性的な興奮を与えて販促しようとか考えてるんでしょ。それって女性を性消費の対象として差別的な目で見てるんじゃないの」


 始まった。


 最近のひかりは、あるフェミニストインフルエンサーに触発されて、このような有様である。


 元々、彼女はフェミニストだったわけではないが、インフルエンサーのように自分より発言力が強い相手の言うことを妄信する癖がある。そして、何度それに俺が巻き込まれたことか。


「えっと…申し訳ございません。ちょっと私には分かりかねる内容でして…」


 仲居もどう返答すればいいのか困っている様子だ。そりゃそうだ、いきなり客にフェミニズムを唱えられるのだから。


「こんなの、平気で出さないでくれる?気分が悪いわ」


 ひかりは饅頭が入った箱をゴミ箱に投げ捨てた。かなり重症だ。


 いつもはあまり主張しない俺だったが、流石に看過できなかった。


「おいおい、せっかく好意で出してくれた食べ物を捨てるなんてあんまりだろ。それにそんなことをこの子に言ったところで、この子が悪いわけじゃないし」


「知らないわ。そもそも客の機嫌を損なわせる旅館ってどうなのかしら」


 彼女は一向に主張を止めない。俺は、ひかりを宥めながら仲居を部屋から避難させ、とりあえずその場をしのいだ。


 この一件があって、彼女はお風呂上りもご飯のときも依然として不機嫌であった。


 やれやれ、最悪な旅行になってしまったな…。



 外から光が差し、俺は目を覚ました。昨日は移動で身体が疲れていたこともあり、布団の中に入るなりすぐに寝てしまった。おかげで疲れが取れて気持ちいい朝を迎えることができた。


 ひかりが起きているのかを確認しようと、彼女の寝ている方を確認すると、彼女は部屋の片隅で身体を震わせながら座っていた。


「ど、どうしたんだ!?」


「で、でたのよ。幽霊が!」


「え、俺は全然気づかなかったが…」


「健斗、いくら揺すっても起きないんだから!夜に目が覚めたと思ったら、私の頭上にこの世の者とは思えない男がじっと私を見てきて…『よくも虚仮にしたな、お前を呪ってやる』と言ってきたの!怖くて目を閉じようと思っても、金縛りか何かで閉じることができなくて…怖かった」


 彼女は俺に抱きついて泣き始めたので、優しく頭を撫でてあげた。


 その日は、怖がっている彼女のためにも朝ごはんを食べずにチェックアウトを済ませて帰ることにした。


 幽霊の一件があってから、念のためひかりと共にお祓いに行った。そのおかげか、呪いの脅迫があったものの事故や病気に見舞われることなく普通の日常を送っていた。


 むしろ彼女がフェミニズムを唱えることはなくなり、以前よりも俺とひかりの関係性は進み、来月結婚することになった。


 ただ、あれからひかりは饅頭が苦手となり、会社の取引先から差し入れとして饅頭を貰ったときでさえ、口をつけることはなかった。


 その度に、俺は「これが本当の『まんじゅうこわい』か」と心の中で笑ってしまうのであった。

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