ようこそ!ハッピーエンド委員会!

辛子醤油

第1話 名の無い童話の物語

 火で弾かれる木片がバチバチと音を立てほのかな温もりを与える。暖炉からの光は薄暗くとも光源としての役割を果たす。暖炉の前に一人の女性が椅子に座り、その膝には古ぼけた一冊の本が置かれていた。


「お母様!」


 明るく無垢な声が部屋に響き渡る。母親と呼ばれた女性に子供が駆け寄り、抱きついた。子は腕いっぱいに母へ抱きつくと全身で母親を堪能するべく顔からその身体へ埋もれて行った。


「僕、昨日の続き楽しみだったんだ!」

「こら。」

「あっ、ごめんなさい。...私、楽しみだったんだ!」


 羽毛で触れるような柔らかい言葉で母親は子を叱りつける。何度も繰り返されたことがあるのか子も少し悪びれた様子を見せるが直ぐに自身の興味へと視線を移した。


「あなたは本当にこれが好きね。」

「だって、勇者が悪いやつをばーんって倒すんだよ!カッコよくない!?ぼっ...私が姫じゃなかったら絶対勇者になってた!」

「そうね。なら、あなたが戦う前にお母さんがあなたを守っちゃおうかな。」

「えぇ!ずるい!」


 悪戯っぽく笑う母親に子はムスッと顔を歪ませる。母親は子の不機嫌を治すために腕を横に大きく振りかぶると煌めく粒子が舞い散った。


「あっ!お母様の魔法!やっぱ綺麗...」

「ふふっ、じゃあそろそろ読みたくならない?」

「なった!」


 母親の膝に顔を乗せ、子が瞳を閉じる。暗闇の中で母の声だけが物語を紡ぐ。瞼の裏には母親の言葉から出来上がる童話の話が繰り広げられていた。

 不意に母親を見上げると子を愛する母の笑みが溢れていた。




 風がたなびき、自然が全身を撫でる。風でドレスは揺れ、閉じた目を開く。少女の目の前には一つの墓跡が置かれていた。そこに刻まれた名前は自らが愛した母の名前だ。


「...好きだったな、あの時間。」


 過ぎ去った過去に思いをふけドレス姿の少女は青い瞳の視線を近くにある大樹に移す。城をこっそり抜け出し何度も登ったことのある木にそっと手を添える。


「最後に登ったのはいつだっけ...。今日ぐらい、良いかな?いいよね。うん。」


 少女はドレス姿にも関わらず慣れた手つきで木の上へと登り始めた。あっという間に登り切った少女は太い枝に腰を下ろし眼下に広がる世界を見渡した。

 母親が。王女が亡くなり次の王女になる姫はこれから自分が治める国を見下ろした。


「大丈夫...大丈夫...。」


 不安が、責任が襲い掛かり少女の小さな手は自然に胸へと当てられる。


「の、のわあああ!?姫様!?」

「うわああっ!!っと!」


 木の下から自分を呼ぶ声が聞こえ少女の体が大きく揺れるがなんとか体勢を整える。焦りを感じながらも声の主を見るとスコップを持った墓守の翁が大きな口を開いていた。


「何をしておられますか!?早くそんなところから降りてくだされ!」 

「分かりました!分かりましたからあまり大きな声を上げないでください!」


 まさかの来訪者に驚きながらも少女は地面に足をつける。転落という危険が去り、墓守も安堵の息を漏らした。


「何事かと思いました。」

「す、すいません。あまり大事にしないでくださいね?」


 これ以上ここにいると城を抜け出したことが公になり、間違いなく叱られる。少女は墓守に背を向けこの場から離れていく。


「あっ、姫さま!」


 墓守が少女を呼び止める。姫という立場上無視してさることができず長居はしたくないが少女は振り返る。

 そして、大きな影が少女を覆った。


「え。」


 墓守の翁は憎しみの籠った瞳で手にしていたスコップを華奢な少女に向け振りかぶっていた。


「うわっ!?」


 縦に振りかぶられたスコップは柔らかな土を抉り、間違いなくそこに殺意があることを示した。身軽な姫でなければ間違いなく不意の一撃で少女の脳から脳漿が散っていたに違いない。


「な、なにをするんだ!?」


 普段の姫という役割を脱ぎ捨て一人の少女として理由を問うが墓守の翁は憎しみだけを持った機械のようにスコップを握りしめ、人殺しの武器となった農具を姫へと向ける。

 一度は躱したものの体勢を完全に崩してしまった少女に二撃目を躱す手段はない。

 鉄の塊は無情にも再び少女に振り下ろされ、影で覆い尽くす。


「っ!!」


 回避はできない。身を守るべく腕で頭部を守ろうとするが細身の腕にその役割は困難だろう。

 死が訪れようとした。


「オラよっ!!」


 男性の声が響く。それと同時にガンッと弾くような音。

 男の声は墓守と比べると若々しく猛々しい。誰かが助けに来てくれた。その安心感に姫は目を開くとそこには、スコップを蹴り上げたのか片足で立つ男がいた。


 いや、この男という表現は些か推測だ。男性の声がしたからこそ姫はそう推測した。なぜなら彼の外見は人の姿を持ちながらも尻尾を生やし、毛むくじゃらの姿をしていた。二足歩行のオオカミという表現が一番正しいだろう。

 ボロボロの腰巻きに上半身は裸という野生的な姿。灰色の毛の上からもわかる筋肉量は並の人物でないことは明らかだった。


 そんなオオカミに目を奪われていたが墓守の翁は未だ姫を狙おうとしている。しかし、その動きを止めるように地面から蔦が生え老人を縛り上げた。


「危なかったですねぇ。姫さまが無事で何よりです。」

「何が危なかっただよ。テメェ動く気すらなかっただろ。」

「私は鏡なので役割が違うのです。やはり単細胞の畜生は考える脳みそが足りてませんね。」

「ああぁ?割るぞクソが!」


 オオカミと口喧嘩をし始めた第二の人物はそれまた奇妙な姿をしていた。純白の羽毛に包まれた鳩。それがまたオオカミ同様に二足歩行で歩いているのだ。しかし、オオカミと違い鳩はその羽毛に映えるように真っ黒な紳士服を纏っている。その背後には小柄ながらも深々とフードをかぶっている人物もいる。そのフードの人物は片手に細い杖のようなものを持ち喧嘩する二人をおどおどと見ているようだった。


「ふ、二人ともっ。お姫様もびっくりしてるし言い合いはそこまでに...ね?」


 青年ような声でフードの人物は二人の喧嘩を静止すべく間に入ろうとしている。その時、丘の上に突風が吹いた。

 風は顔を見えないように隠していたフードを捲り、その下に隠していた顔を顕にする。


「あっ...!」


 フードの下にはそれまた人ならざるものがいた。深緑の鱗に覆われた蜥蜴のような人物だ。背中には翼を持ち、トカゲにしては細い尻尾。さながらおとぎ話のドラゴンを小さな青年の姿にしたような風貌だった。


「み、見ないでください!!その、醜いのでっ!」


 竜の青年はフードを被り直すと二人の背後に隠れてしまった。興が冷めたのか喧嘩していた二人も言い合いを辞め少女へと向き直す。


「あ、ありがとうございます...?あの、貴方たちは?」


 質問に対して鳩の執事は笑みを浮かべ丁寧なお辞儀を返した。


「挨拶が遅れてしまいました。私たちは貴方を王女にすべくやってきた異世界人。言うなれば、そう。ハッピーエンド委員会と言います。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る