第42話 歌のせんせい

 太路は音楽を選択してはいるが、歌のテストは苦手である。

 ニコちゃんには気安く歌ってみて、などと言ったくせに、人前で歌うのは恥ずかしいのだ。


「まずは、一ノ瀬くーん」


 出席番号が早いというのは、太路はいいことだと思っている。

 点数が付けられるお笑い賞レースでも同じだと思う。1番手は基準になる。


 だから、太路が最後ならば45点だったかもしれないが、1番であれば65点くらいの評価をされるだろう。


 自分の出番が早々に終わるのもいい。

 ほかの人たちの歌声を聞きながら、緊張と顔のほてりが落ち着くのを待てる。


 一向に歌唱力が上がらないニコちゃんには、再びの方向転換が必要かもしれない。

 歌を変えるのでなく、いかに緊張をほぐすかにシフトする。


 自分で体験してみて初めて分かった。緊張すると声が出ない。

 あのニコちゃんが緊張の中歌っているのだ。がんばっている方だったんだ。


 2次オーディション終了まで、もう間もない。

 生身の人間に教えてもらわねばマスターできないニコちゃんが自力で歌唱力を上げるのは限界だ。


 やっと少し落ち着いてきたか、という頃合いに聞こえた歌声に太路はハッと顔を上げる。


 見ると、徳永くんがピアノの横で腕を後ろに組んで歌っている。

 美しい横顔から紡がれる、なんて伸びやかなテノール。


 徳永くんがこんなに歌が上手いなんて、聞いてない!


「どういうこと? どうして今まで歌が上手いことを隠してたの?!」

「なんか俺ブチ切れられてません?」

「あ……申し訳ない。徳永くん、すごく歌が上手いんだね」


 チャイムが鳴ると同時に太路は徳永くんに詰め寄った。


「何度か話したじゃないですかー。うちの親、ボイストレーナーで言葉より先に歌教えられたって」


 そんな話をしてたのか……。

 一度だって徳永くんの雑談をちゃんと聞いていなかった自分を太路は悔やんだ。


「徳永くん、この曲を聞いてくれ」

「はい」


 太路はセイのソロ曲、マーメイドメロンをスマホで流す。


「歌ってみて」

「はい」


 一度聞いただけだというのに、徳永くんは出だしのそれは緑で丸い悪魔の実~からラスサビの海へ還ろうマーメイドメロンまで歌い切った。


「めちゃくちゃ上手い!」

「メロディーが追いやすくて歌いやすい良い曲っすね。女の子っぽい歌詞だけどこれもガナッシュっすか?」

「徳永くん! 今日から部活解禁だけどサボって放課後音楽室に来てほしい!」

「それはできません。俺キャプテンなんで」


 1年生レギュラーを目指すと言っていた気はするが、キャプテンにまですでに上り詰めているのか。さすがは真なるヒーローだ。


「部活が終わってからで構わない。何時まででも待つから、音楽室に来てほしい!」

「いいっすよ。ヒーローにそんな頼まれたんじゃ断れねえもん!」



 キラキラと輝く笑顔で嘘は言うまい。

 すでに午後8時を過ぎ、珠莉も結も帰って、窓の外はとっぷりと日が暮れているが、太路は1ミリも徳永くんを疑ってなどいなかった。


「あの、一ノ瀬くん……」

「いや、徳永くんは絶対に来る。徳永くんは約束を忘れたりしない。大好きなサッカーに夢中になったって、徳永くんは……徳永くんは……だって、めっちゃいい笑顔だったもん!」

「自分を鼓舞していませんか?」


 迷惑だとしか思っていなかった、ヒーローヒーローと勝手に慕ってくる徳永くん。その徳永くんに忘れられた。

 それがこんなにショックだとは、太路は認めたくなかった。


「ヒーロー! 遅くなってすんません!」


 ああ、いよいよ認めなくてはならないのか。

 幻聴まで聞こえてくるほど、僕はショックを受けている、と。


「ヒーロー? うわ、やべえ、怒ってます? すんません、顧問と次の試合のメンツの話してたら白熱しちゃって」

「徳永くんじゃないか!」

「はい、徳永っす」


 嬉しくて嬉しくて、太路は徳永くんを抱きしめた。

 筋肉質で固い、太路よりも大きな徳永くんを。


「徳永くんに頼みがある! このニコちゃんに昼間聞かせた曲を上手く歌わせてほしい」

「お! 影山、結に続いてついに俺にも任務発生っすか! いいっすよ! ビシビシ指導していきます!」

「お……お願いします!」


 ここ数分唖然としていたニコちゃんも我に返り、徳永くんへと頭を下げた。

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