技術の訓戒と、魔術の本懐。

烏合衆国

プロローグ

   ※   


 その少女は、独りで街を歩いていた。

 国一番の職人の作品ドレスを身に纏い、背筋のすっと伸びた姿は、上流階級の息女を思わせるが、いかんせんボサボサの長髪と、虚ろな双眸が周囲の人々を遠ざける。

 彼女は、一昨日に家を飛び出してから、パン二つと、雨水しか口にしていなかった。昼に、家族が外出している隙に出てきたのだが、大した計画性があった訳ではなく、衣食住全てが欠け、危機的状況である。

 一昨日は貸しボート屋のボートの中で、昨日は民家の前で回収待ちをしていた布団に包まって夜を明かした。よく平気でいられたなと、彼女は思う。いろいろと。

 ちなみに今日の寝床は見つかっていない。彼女は夜寝るところを見つけるまで取り敢えず歩くことにしていた。幸い、体力だけはあったので歩き続けることは可能なのだが、動けばその分、燃料カロリーが必要である。彼女は現在、食べ物の匂いを頼りに歩いていた。

 そして今、王都の南、この国で最も大きな貧民街スラムに足を踏み入れるところである。




     ※




「金がねェならやれねェ。それだけだ」

 ソーセージの屋台の、スキンヘッドの主は新聞を読みながらそう言う。東部地方の訛りが強い。

「しかし……」

「じゃあその首飾りチェーンで支払うってのはどうだ」

「こ、これは駄目です!」

「ならやれねェ」店主は繰り返す。

 少女は項垂れる。ぐー、と腹が鳴った。

「そのつけ襟でもいいぜ」

 店主の言葉に、彼女はしばし逡巡した後、襟のボタンを外して、差し出す。

「お、毎度あり」彼は読んでいた新聞から一枚だけ取って、他は地面に捨てて立ち上がる。「まあ……二本ってトコだな。水はサービスだ、ほら」そう言って新聞紙で包んだ二本のソーセージと水の入った紙コップを少女に渡す。彼女はそれらを受け取ると、まっさきに水を一気飲みした。

 そして店主を物欲しそうな目で見てみる。

「お代わりはなしだ。次は金で買いな」店主はシッシッと手で追い返す。「さて……これで二ヵ月、いや三ヵ月は遊べんぞ……」そんなことを言いながら。

 少女は礼を言って店を去る。少し歩いたところの路地裏に、丁度よく積まれた煉瓦レンガがあった。彼女はそこに腰を下ろし、ソーセージを一口齧る。想像より硬い肉と、想像より多い肉汁。近場で作られているのか、質はいい。

 続けて二口目に移ろうとした時――彼女よりも若い、五歳くらいの少年が、いきなり現れ彼女の手からソーセージを叩き落とす。その少年は砂にまみれたそれらを構わず拾って走り去った。

「…………」

 あまりの急展開に、少女はついていけず。

 ぐー、と寂しく腹が鳴る。




     ※




 仕方なく少女が歩き続けていると、ボロボロの建物の並びに、一際古そうなアパートメントを見つけた。一、二、三……七階建てだ。横幅はなく、一階に二、三部屋くらいしかないだろう。入口には扉がなく、郵便受けはいくつも欠損していて、人が生活している感じがない。空き家、だろうか。少女は恐る恐る、一歩を踏み出した。べトンの床。

 まっすぐ進むと、右手に階段。左手に扉が一つ。正面は袋小路だ。少女は少し考え、ドアノブを掴む。

 理由一つ目。階段を昇る方が体力を使うから。

 理由二つ目。見たところ空き家であるため一階から順に見ていけばいいから。

 理由三つ目。この建物で寝泊まりするとしたら、一階が便利だから。

 だが防犯上はどうだろうか、と考えを巡らせながらノブを回した――鍵はかかっていない。

「……失礼します」

 形式的に、そう言って入室した――室内には、大きなデスクが一つ。大きなソファが一つ。大きな本棚がいくつも。壁には何枚か額に入れられた絵が飾られている。生活臭はあまりない。

 まずキッチンが見つかっていない。食器やカトラリーもだ。流石にただの一つもその類のものがないことはないだろう、二階より上にあるのかも知れない。この建物がアパートだとすると、この部屋が管理人室で、上に共用スペースとしてキッチンとか食器棚とかが備わっているということか。まあそれを考えるのは――後でもいいだろう。少女はソファに座ってみる。空き家に放置されていたとは思えない、ふかふかのソファ。上質な素材だというのは、部屋に入った時から気づいていたが――この座り心地。

 少女の躰から、どっと疲れが出る。壁に囲まれたところで寝るのは久し振りだった。

 少女は深い眠りに落ちていく――――。

 

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