最終話:あと八年ほどお待ちください
実華ちゃんの家庭教師として働き始めて数日後の夕方。大学から帰る途中、近所の公園で、家の前に実華ちゃんと同じくらいの背丈の女の子が一人寂しくブランコを漕いでいるのを見かけた。綺麗なブロンドの髪。長さはセミロング。前世の恋人アリシアと同じ。思わず、アリシアの名前を口にしてしまうと、少女が振り返る。海のような真っ青な瞳に私の姿が映ると、海に波が起きた。少女は、
実華ちゃんは私を見た瞬間全てを思い出したと言っていた。少女の中でも今まさに、前世の記憶が呼び起こされているのだろうか。
「……ルシ……フェル……?」
少女がその名を口にした瞬間、涙が溢れた。
その時だった。少女の背後から怪しげな男が近づき、腕を掴んだ。嫌がる彼女を無理矢理引っ張る男性。咄嗟に彼女に駆け寄り、男性の腕を振り払う。
「何してるんですか! 警察呼びますよ!」
叫ぶと、男性は逆上して向かってきた。前世が魔王とはいえ、今世の私はただの日本の女子大生。魔法など使えない。だけど——
「てやぁぁぁ!」
「ぐふぁ!?」
男性の横腹に思い切り回し蹴りを入れる。よろけた隙に、姫の手を引いて走る。幼い頃から柔道、剣道、空手、合気道、あらゆる武術を習わされてきた。母曰く『女は女であるというだけで危険に晒されることがある。だから、男に頼らず、自分の身は自分で守れるくらい強くなりなさい』とのこと。お陰で可愛げがないと言われてきた。そんなんじゃ男が寄り付かないと。けど、問題はない。男なんて要らない。私には、長い長い前世の人生から想い続けている人が居るから。闇に堕ちてもなお——生まれ変わっても、今なお、彼女だけを想い続けている。私の心に男なんて入る隙は一ミリもない。
「姫。ご無事ですか?」
追ってこないことを確認してから止まり、少女に問いかける。少女は息を切らしながらこくりと頷いた。近くのベンチに座り、たまたま持っていた未開封のペットボトルに入ったお茶を渡す。一口口にして一息ついたかと思えば、彼女の瞳からぽろぽろと涙が溢れる。ハンカチを取り出し、拭ってやると抱きつかれてしまった。
「貴女の姿を見た瞬間、全部、思い出した。私はアリシア。貴女はルシフェル。私のルシフェル……」
「……アリシア姫」
「姫って呼ばないで。……
「明星光です」
「光」
「……アリア」
「アリアは呼ばれ慣れてるけど、光は呼び慣れないわね」
くすくすと彼女が笑う。あぁ、アリシアだ。アリシアの笑顔。アリシアの声。話し方。雰囲気。
「呼び慣れないから、ルシフェルって呼んでもいい?」
「……はい」
「……ルシフェル」
鼓動が高鳴る。心臓が恋を主張する。小学生相手に。
「……ルシフェル。愛してる」
「だ、駄目です。そんなこと、言わないでください」
「どうして?」
「私は大人で、貴女は子供ですから」
「中身は成人よ」
「そ、そうですけど……」
私の胸に頭を埋めていた彼女が顔を上げる。目を逸らすと「こっち見て」と誘うような声で囁く。
「嫌です」
「どうして?」
「……目を合わせたら、唇に吸い込まれてしまいそうなので」
「小学生相手に何考えてるのよ」
揶揄うように彼女は言う。こっちの気も知らないで——いや、多分わかっていて揶揄っている。
頑なに目を合わせずにいると、彼女の小さな手が頬を撫でた。
「キスしてあげようか」
「だ、駄目です! 誰かに見られたら……」
耳に柔らかいものが触れた。わざとらしく、ちゅっ、と音を立てて。続いて、生暖かい風が耳をくすぐる。
「お、お戯れはおやめください!」
慌てて突き放すと、彼女は悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。まさに小悪魔だ。
「い、家まで送ります」
「私、家出してるの。泊めて」
「えっ。家出って……何故そんなことを」
「勉強が嫌だから」
「貴女って人は……」
そういえばこの人、前世でも勉強が嫌でよく城を脱走していた。変わっていない。
「親御さんが心配しますよ。送っていくので帰りましょう」
「……手繋いで。じゃないとわたし、目離した隙に逃げるわよ」
渋々、彼女の手を握る。小さな手だ。幼い女の子の手。なのに私は、こんな小さな手の温もりにドキドキしている。それは彼女が前世の恋人だから。幼女だから恋をしたわけじゃない。だけど、世間にそんな言い訳は通じない。なんとしても誤解だけは避けねば。女同士だからと許される風潮は多少あるものの、社会的に死にかねない。
「そうだわ。ルシフェル、貴女うちで家庭教師やらない?」
「……実は私、別の女の子の家で既に家庭教師をやっていまして。掛け持ちしようにも時間的にちょっと厳しそうです」
「そんな……私に隠れて他の女とコソコソ会ってたなんて……」
「相手は小学生ですよ。何も起きません」
中身は成人だけど。
「あ」
「……うわっ」
噂をすれば、中身成人の例の少女と鉢合わせてしまった。彼女は私とアリアちゃんの繋がれた手を見てから、私に軽蔑するような視線を向けた。
「ロリコン魔王。誘拐犯」
「ゆ、誘拐じゃないから! 今からお家に送り届けるところ!」
「アリアの家は逆方向だけど。どこ向かってんだよ」
「えっ。彼女がこっちって……」
「あのお城がわたしの家よ」
アリシアが指差した先にあったのは、洋風のお城風のホテル。いわゆるラブホというやつだ。彼女のニヤけ顔を見る限り、どういう場所か分かっているのだろう。小学生のくせに。どこで知ったんだ。前世にはなかったぞラブホなんて。
「姫、嘘はいけません」
「入ってみたい」
「未成年は連れて入れません」
「じゃあ、大人になったら連れて行って」
「……とりあえず、お家に帰りますよ。実華ちゃん、彼女の家まで案内してくれる?」
「ん」
アリアの手を引いて、実華ちゃんについていく。
「実華と知り合いだったのね」
「さっき話した家庭教師してる子です」
「……ふぅん」
「心配しなくても、あんたの騎士様に手出したりしねぇよ。お姫様」
「……まさか、実華も貴女と前世からの知り合いなの?」
「まぁ、はい」
「……どういう関係?」
「魔王と勇者」
「ルシフェル、勇者だったの?」
「ちげぇよ。そっちが魔王なんだよ」
「実華の方が魔王っぽいけど」
アリアの言葉に同意する。すると実華ちゃんは舌打ちをし、彼女に聞こえないくらいの声でぼそっと「あたしがあんたの秘密を全て握ってること忘れんなよ」と脅しをかけてきた。この子と記憶を共有した前世の私を恨む。
「ついたぞ」
家の前に着くと、アリアは「まだ一緒に居たかったのに」と不満そうに呟く。渋々、連絡先を書いた紙を渡す。彼女はそれを受け取るとポケットに入れて踵を返した。
かと思えば、戻ってきた。そして私の前までくると、私の手の甲に口付けて、私を見上げてこう言った。「十八歳になったら迎えに行くから」と。そして実華ちゃんを一瞥して「それまで浮気しちゃ駄目だからね」と言い残して去っていった。
「……取らねえっつってんだろ」
「……私からも忠告しておくけど、私の姫だからね?」
「取らねえって。大体あたし、恋愛とか興味ねえから。勝手にやってろ。これ以上あたしを巻き込まんでくれ」
実華ちゃんはそう呆れるようにため息を吐いて去っていった。
アリシア——もとい、アリアは今年で十歳。十八歳になるまでは後八年。長いように思えるが、アリシアが亡くなったあとの数百年に比べたら一瞬だ。全然待てる。
家に帰ると、彼女から早速連絡が来ていた。『わたしが未成年のうちはやましいことしちゃ駄目だからね』と。そのあとに『わたしが貴女にやましいことするのはオッケーよね?』と続いた。全くあの姫はと呆れながら返す。『あと八年ほどお待ちください』と。
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