赤い靴観察日記

櫻んぼ

第1話 赤い靴

豊田あかり。

今年の春、めでたく服飾専門学校の

一年生となった私は、

初めての電車通学に緊張していた。




小さい頃、

友達に言われる


「あかりちゃんって

個性的だよね~」


という言葉を

私はいい意味に捉えていた。

しかし成長するにつれ、

その言葉は必ずしもいい意味だけに

使われるものではないと気付いていった。




その本当の意味に気がついて

傷つく私に母は、


「平凡な私には思い付かないことを

あかりは思い付くんだから、

それはすごいことなのよ」

と、育ててくれたので、

それなりに素直に育ったと思う。





そして母は、

個性は個性で大切にしなさい。

と私に教えると同時に、

集団で物事を決める時には、

周りに合わせることも大切だ。

とも教えてくれた。





そのおかげで中学と高校と、

多感な時期の女子の世界で

それなりにうまくやってこれたと思う。




そして

私が進路を服飾専門学校に決めたのも、

私の個性をいいものだと

母が後押ししてくれた部分が

大きかった。





この独特の個性が

素敵なものを生み出すきっかけになる、

予定だ。







今までは徒歩か自転車通学だったため、

そもそも定期が初めてで、

満員電車も初めてだった。




大学生であれば、

朝早い時間ばかりではなく、

そこそこ好きなように

時間割が組めると聞く。




専門学校には

そんな自由はなく、

毎日お決まりの時間に

同じ電車に乗らねばならない。





少し遠くの専門学校だったため、

朝のラッシュとかち合うのだ。




気合いを入れて定期券を

自動改札機へとかざす。




前の人を見て、

イメージトレーニングをしたのに、

なんだかぎこちなくなってしまい、

後ろのおじさんが

私にぶつかりそうになってしまった。



チッ!



という舌打ちが

頭上、後方から聞こえてきた。




ほんと、ごめんなさい!



怖くて声には出せなかったけれど、

心の中でたくさん謝った。




それから満員電車に吸い込まれ、

揉みくちゃにされながら

泣きそうな気持ちで初日を終えた。





どっと疲れた初日だった。






明日はうまくいくのだろうか?







次の日。





昨日よりはうまくやらねば、

と、気合いが入り過ぎたのか、

またしても自動改札機で

一瞬立ち止まってしまう。




昨日のことがあったので、

ドキドキしたけれど、

後ろの人が真後ろにたたずむことは

なかった。





ほっとしたうつむき加減の私の目に、

私の後から改札機を通る

とても目立つ赤い靴が映った。








その次の日。





この二日間の反省から、

ほんの少し早めに家を出て、

駅についた。




少し自動改札機を眺めてみる。





と、そこに、昨日見かけた赤い靴。





学生服を着た彼は

高校生だろうか。





自動改札機までスタスタやってきた彼は

改札機の前で少し歩く速度を変えた。




せかせかと自動改札機へ

吸い込まれていく人が多い中、

ほんの少しゆっくりと歩を進める。




どうやら前の人が、

私と同じように新入生らしく、

改札機にもたついていた。




それでも彼がほんの少し

歩調を合わせていたために、

周りの人には気付かれず

スムーズに人波が流れた。




あんな人もいてくれるんだ。





そう思えたら自動改札機が

怖いものではなくなるから不思議なものだ。






それからは

あの赤い靴の彼を観察し続けた。





彼は改札だけではなく、

電車を待つ列でさえも、

一呼吸置いて、

急いで並ぶ人が落ち着いてから

その後ろへそっと並ぶ。





それからは彼が気になって、

なるべく彼の近くに並ぶように

毎日チャレンジしてみた。






だんだん彼のタイミングがわかってきて、

近くや前に並ぶことができるように

なってきた。




電車に乗り込んだ時に、

背の低い私が、掴むところに

もたついていると、

そっと持ちやすい位置に

隙間を開けてくれる時がある。





でもそれは、

私だけにすることではなく、

小さな赤ちゃんを抱いた人だったり、

お年寄りだったり、

そんな人たちにも同じことをしていた。





彼に私を見てほしい。




そう思うようになるのに

そう時間はかからなかった。





まず、目に留めてもらうには

どうすればいいか。



最初に思い浮かんだのは

あの赤い靴だった。

スラリとした身長に、

黒い学生服に黒いリュック。

ひときわ目立つ靴は

とてもおしゃれでカッコよかった。




同じメーカーの

赤い靴を履いてみたら、

目に留めてもらえるだろうか。






同じメーカーの赤い靴を購入。





そうなると、もう自分の気持ちを

表現せずにはいられなくなっていた。






どうやって伝えよう?

私の存在に気付いているか

わからない彼に

アピールする方法。






赤い靴に気付いてくれたとしたら、

可能性としては靴下だろうか。




私の気持ちを

靴下に表現してみよう。







幸いにも学校のミシンが最新式で、

自分で図案さえ書けば、

素敵に刺繍ができる機能付きだ。





服飾専門学校に通っていてよかった。

そこから無地の靴下にいくつか刺繍を施し、

それらを彼の前で赤い靴と共に

履くことにした。







彼が私の靴と靴下に

気付いているかわからないけれど、

何かきっかけにでもなれば。



そう思っていたある日



「鍋?」





という声が

頭上、後方から心地よい声で

聞こえた。





「すき焼きです!」





思わず振り向いて答えたけれど、

靴下の柄に気付いてくれた事と、

声を掛けられた嬉しさで、

暫く固まってしまった。





その後、我に返った私は

『すき焼き』とアピールするために、

これは焼き豆腐だ、と、

必死に説明した。





『すき焼き』であることが

重要なのだから。






「へぇ~細かいとこまで

よくできてる」







ふはっと笑った彼の笑顔は

とても柔らかかった。









それから、

彼に出会える日には

私の気持ちをそっと伝えるために、

手作りした靴下を履いていく。





『アナコンダ』柄

『タガメ』柄

『ダイコン』柄

『スキヤキ』柄




そして彼がその柄を

何の柄なのか

考えてくれる時間が

とても楽しかった。







最後の金曜日には、

とっておきのハート柄を。









あれから。



彼とは毎朝挨拶をする仲になれた。



ただ、それだけだ。






結局、彼は靴下の意味には

気付いてくれなかったのだろうか。






そう思って降り立った駅のホームで、

いつもはゆっくり歩く彼が、

電車を待つ列に並ぼうとした私の前に

素早く入り込んだ。





そしてそっと

ズボンの裾をたくしあげる。





私の目に飛び込んできたのは

鮮やかな『みかん』柄の靴下だった。






「みかん柄かわいい」





思わず呟いた。





見上げると彼は

困った顔をしている。







あ!






もしかして?



背伸びをして、

彼の耳のなるべく近くで

もう一度言葉にする。




「オレンジ!」






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赤い靴観察日記 櫻んぼ @sa_aku

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