第3話

 しばらくすると、県警本部のすべての出入口を閉鎖へいさしたとの館内放送が耳に届いた。

今現在、この建物の中にいるのは警察職員だけとなった。一般市民の避難に対応していた職員もぞくぞくと集まり、本部内にいるすべての職員が〈第二の手紙〉の捜索に集中する。

 手紙の捜索を始めてから一時間。爆弾爆発まであと二時間。極度の緊張からか、疲労の色が周りの職員から出始めていた。

「くそっ! 探してる手紙がラブレターとかなら探し甲斐あるのに」

 俺がぼやくと、近くにいた職員たちがくすくす笑い出した。

「宝の地図とかな」

「宝くじの当り券とか?」

「そうそう」

「私なら彼氏からの婚姻届かな」

「市役所に取りに行けばいいだろ」

「署名入りのがいいの!」

「いっそのこと、署名捺印したのを渡したら?」

「俺が書いちゃる、俺が」

 誰ひとり捜索の手を休めはしないが、現実逃避をするように職員たちはくだらないことを言い始めた。

「逆に、捨てそびれた自筆のラブレターってのはどうですか?」

 ひとりの放った言葉に、全員が固まった。

「うっわ、それキツイ! 見られたら俺生きてられない!」

「私も!」

「あれって、翌朝読み返すとたまれなくなるよな」

「俺なんて何度破り捨てたことか」

「私は燃やして灰にした」

「無に返したくなるよね」

「書いた記憶も消し去りたい」

 そこかしこから言葉が飛び交う。少しずつ職員たちの声に張りが戻ってきた。

「実は俺、母親に読まれました。あーっ! 忘れてたのに思い出しちまったぁ」

 別の職員のとんでもないカミングアウトに、誰もが同情の眼差しをその職員に向けた。

「お前の勇気は忘れないからな」

 望月はその職員の肩を力強く掴んだ。

「よーし、今晩、その時の話をもっと詳しく聞いてやろーぜ!」

「おーっ!」

 場の緊張がほぐれ、再び手紙探しに集中する。望月はホッと息をつき、項垂うなだれる職員の肩をポンポンと叩いた。

「サンキュ。悪かったな」

「いえ、また記憶の彼方に仕舞い込みますから」

 仕舞い込めるかなぁ、と望月は苦笑くしょうし、手紙探しを再開する。

 この集中力も長くは続かない。一刻も早く、〈第二の手紙〉を見つけなければ。

 それにしても、これだけ探して見つからないのもおかしくないか。今までの四件はもう少し分かりやすい場所に隠されていた気がするが。

 ――まさか。

 俺は早足で田村の許へと急いだ。

「なぁ、俺、思ったんだけどさ。アレ、ほんとの悪戯電話じゃなかったのかな? 考えただけで俺気絶しそうなんだけど」

 そう、あの電話がただの悪戯電話だったとしたら。この騒ぎは、俺のせいじゃないか?!

「違うな。アレは本物だ。いくら模倣犯もほうはんでも、公開していない電話の内容と声色がまったく同じっていうのはあり得ない」

 田村が掲示板に貼られていた麻薬撲滅まやくぼくめつポスターをがしながら答えた。

「そ、うだよな」

 俺はホッと胸をで下ろす。

「手伝え」

 ホッとする俺に向かって田村がにらんだ。

「えっらそうに。コレがせばいいんだろ。っつーか、こんなポスターの裏に手紙仕込んでたら職員だって気づくだろ、普通」

「黙れ、トウヘンボク。ポスターの隙間から差し込むくらいわけないだろ」

「トウヘンボクって。初めて言われたぞ、俺」

 俺は肩をすくめ、飲酒運転撲滅いんしゅうんてんぼくめつポスターをがした。

「見つかったぞ!」

 背後から声がした。驚いて振り返ると、若林が片手に携帯を掴んだまま走り寄ってきた。

「手紙がですか?! 痛ってぇ」

 興奮のあまり、ポスターで指を切ってしまった。見ると指からうっすらと血がにじみ出ている。

「大丈夫か? 手紙は三階の生活安全部で見つかった。設置してある公衆電話と一緒に置いてあった電話帳に挟んであったらしい」

 隠してあった場所なんてどうでもいい。それよりも――

「なんて書いてあったんですか?」

 俺が急かすように尋ねると、若林は携帯画面を俺たちに見せた。俺と田村は小さな画面をのぞき込む。

「……なんだ、コレ」


よどむ世界に住みしものたち。目覚め待つ空箱は、煩悩ぼんのうを刻み込まれた棺桶かんおけで眠る。時、来たりて業火ごうかの炎に包まれる』


 まるで意味が解らない。眉間みけんに皺を寄せながら携帯画面を覗き込んでいると、「解るか?」と若林がいてきた。

「さっぱりです。でも、この意味を解かないとマズイことになりますよね?」

 不安げに若林を見上げると、「もうデートもできないだろうな」と残念そうに若林が言った。

「なに悠長ゆうちょうなこと言ってんですか」

 呆れる俺に、「俺にとっては切実なんだぞ」と若林が不満気な顔をする。

「解けたんですか?」

 冷めた口調で田村が言った。

「は? 何言ってんだ?」

「冗談を言う余裕があるってことは、暗号が解けたってことだろ?」

 田村が言った。

 そうなのか? と若林を見ると、「そういうこと」と若林がウィンクした。

「ロッカーだ。108のナンバーのついた」

「ロッカー?」

「ああ。警部たちが少し前に解読したらしい。この『よどむ世界に住みしものたち』は俺たち警察官のこと、『目覚め待つ空箱』とは爆弾のこと、『煩悩ぼんのうを刻み込まれた棺桶で眠る』とは煩悩ぼんのうの数の108を刻んだ棺桶、つまりその中に爆弾がある。そして『時来たりて業火ごうかの炎に包まれる』は時間が来たら爆発する、ということだ。県警本部内で番号がついて108まである箱は、ロッカーしかない」

「すげぇ。この短時間の間によく解読できましたね」

「ほんとだよな、って感心してるひまはないぞ。実は、どの部署にそのロッカーが割り振られているか判らないらしいんだ」

「マジすか? って、結構な数ありますよね。解りました」

 会計課に戻ろうとする俺の背中越しに、「見つけても絶対に触るなよ! すぐに俺に連絡しろ」と若林が声をかけた。

「了解っす!」

 俺は力を込めて答え、駆け出した。

 会計課に戻ると、職員一同が一斉に俺の方に顔を向けた。

 安堵の表情はない。皆、不安げな表情で俺を見つめている。爆弾はどうなったのか、今現在の状況報告を俺がするのを待っているようだった。

「108の番号のふられたロッカーに爆弾が仕掛けられている可能性があります。この中に、108番のロッカーを使用している方はいませんか?」

 職員ひとりひとりの目を見ながら、パニックを起こさせないように慎重に声をかけた。

 一瞬、室内がざわつく。

「あの」

 ひとりの職員が手を挙げた。

「すみません、俺自分のロッカーの番号知りません」

 すると、ほかにも数名の職員が同じように「自分も」と申し訳なさそうに手を挙げた。

 実は俺もだ。似たようなヤツがいるだろうとは思っていた。

「では、女性職員には申し訳ありませんが、更衣室を確認させていただきます」

 俺は更衣室の方へ歩きながら、

「大丈夫。何も盗らないし、何も見ませんから。ロッカー開けっ放しの人いませんよね。なら大丈夫です。あと勇気ある男性職員二人、手伝ってもらえると助かります」

 すぐさま、勇気ある男性職員が後ろから二人ついてきた。有難い。

「えっと」

「石井と玉木です」

 神経質そうに銀縁ぎんぶちの眼鏡を何度もかけ直しながら、石井が答えた。緊張しているせいか、声が上擦うわずっている。隣の玉木という肉付きのいい職員は、額から滝のように流れ出る汗をハンカチで拭き続けていた。大丈夫だろうか。一抹いちまつの不安が胸をよぎる。

「では、石井さんと玉木さんは男性職員の更衣室を確認してもらえますか? 108番のロッカーです。爆弾があるかもしれないので、慎重に。見つけたら、触らずに私に知らせてください」

 二人は顔を強張こわばらせながらも、力強くうなずくと男性職員の更衣室へと向かっていった。俺は二人が更衣室に入るのを確認してから女性職員の更衣室に入った。

 端からひとつひとつ、ロッカーを慎重に確認していく。

「54、55、56、57、あ? なんで57の次が186なんだよ。間はどうした、その間の番号は。結構あるぞ」

 思わず声を上げる。どういう管理の仕方をしているのか、理解できない。それに、普通、備品を配置する場所の管理くらいするもんじゃないのか? 後先考えずに備品に番号をふってきたとしか思えない。杜撰ずさんすぎるだろ。

「こういうことか。厄介だな、職務怠慢じゃないか? きちんと管理していれば爆弾だってもっと早くに見つけられたのに。――ん? あれ、なんか……変だ」

 何かが引っかかった。なんだろう。思わず足を止める。

「じゃあ、犯人は……」

 ふと顔を上げると、目の前のロッカーにふられた105という数字が目に入った。息が止まる。

「あ……」

 途端に、心臓が早鐘はやがねを打ち始める。

 ここか? ここに108番のロッカーがあるのか?

 興奮のためか、それとも恐怖のためなのか。足が、体が、動かない。どうすれば足が前に出るのか、それすら判らなくなるほど頭の中が真っ白になっていた。

 もしかしたら、ここに。

 この部屋に、爆弾が――。

 もし、今ここで爆弾が爆発したら俺は……。

 背筋に悪寒が走り、恐怖で顔が引きつる。

 そうだよ。今までは時間どおりに爆弾は爆発をしていたが、今回もそうだとは限らないではないか。犯行はエスカレートしている。しかも今回、犯人はよりによって警察に、中央指令部である県警本部に爆弾を仕掛けているのだ。イカれている。

 足元から死神という名の恐怖が、じわりじわりとい上がってくるのを感じる。さっきまではなんとも思わなかったのに。いざ〈死〉を目の前にすると足がすくんで次の番号を確認することができない。 

 ――怖い。 

 俺は、死ぬのか?

 こんなところで?

 独りで?

 イカレた人間の悪意のせいで俺は、俺の人生は――

「い、やだ……」

 死ぬなんていやだ。こんなところで、やりたいことだってまだあるのに、死ぬのは……いやだ。

 一歩、二歩、と後ずさりする。さっきまで全身からにじみ出ていた汗が、いつの間にか引いている。唾液の分泌もうまくできなくなっているのか、口の中がカラカラに乾いていた。

 俺には無理だ。これ以上、前にいけない。誰か。そうだ、誰かを呼んだほうがいい。入口に向かって身をひるがえした時、田村の顔が頭に浮かんだ。

 小生意気で憎たらしいあの顔だ。

「誰がお前に助けなんか求めるか!」

 思わず声を上げ、再びロッカーに向き直る。

「くそっ」

 乱暴にネクタイを緩め、呼吸を整える。何度目かの深呼吸のあと、俺は顔を上げて前を見据みすえる。

 ゆっくりと一歩、踏み出す。

 恐怖が吹き飛んだわけではない。まだ手が、足が、震える。恐怖が体を支配している。それは変わらない。けれど、アイツに、田村に、あのムカつく顔で「逃げてきたのか」と言われるのかと思うと無性に腹が立った。あのムカつく顔を向けられるくらいなら、爆死したほうがマシに思えた。

「ふん、少しは役に立つじゃねぇか。アイツも」

 口の中が乾いているせいで呟くような声しかでなかった。情けない。でも、一歩は踏み出せた。これからだ。

 俺はロッカーに視線を戻し、105の番号のふられたロッカーの扉に手を置いた。手の平にスチールの冷たい感触が伝わる。そのまま手の平をすべらせながら再び一歩、前に出る。恐る恐る番号を確認する。

「はぁぁ……」

 気の抜けた情けない声を上げながら、俺は脱力してその場に座り込んだ。

「だ、からさ、なんなんだよ」

 しゃがんだまま頭を抱え、乱暴に髪の毛をむしる。安堵、だけではない。いろいろな感情がごちゃまぜになって胸に込み上げる。

 ――ロッカーの番号は「203」だった。

 結局、108の番号をふられたロッカーは見つからなかった。更衣室から出ると、石井と玉木の姿があった。俺が出てくるのを待っていたらしい。

「ありましたか?」

 不安げな表情で尋ねる石井に、俺は無言で首を振る。

「そっちも、なかったか。――戻ろう。大丈夫、108の番号をふられたロッカーはどこか別の部署に必ずあるんだから」

「そ、うですよね」

 ぎこちない表情の玉木は、自分に言い聞かせるように大きく何度もうなずいた。

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