第3話

 銀行の防犯ビデオを解析し始めてもう三日。白黒の単調な映像を一日中観続ける作業が、これほど辛いとは思わなかった。よく映画館をはしごしたりするが、それとこれとは全然違う。解析班の仕事を甘く見ていた。

 山積みされたビデオを投げ捨てたくなる衝動に駆られるのは、俺だけではないはずだ。俺たちの代わりに地取じどり班へと向かった捜査員たちの顔がほころんでいたのを俺は見逃さなかった。――まぁ、田村は別なんだろうが。

 往来する通行人、ポストの手紙を集荷する郵便局員、犬の散歩をする男性、制服姿の女性会社員、慌ててATMに駆け込んでくる主婦、ATMの操作を教える行員、作業服姿の男性。

 ATMの機械に吸い込まれるように人が集まり、そして散っていく。そんな様子をただじっと観ていると、多種多様な人間が機械の前に一様に並んでいる姿がなんだか不思議に思えてくる。

 何の為に並んでいるのか、一瞬、判らなくなるのだ。それくらい、繰り返し何度も同じ映像を観ていた。すべての映像を脳内で鮮明に再生することができてしまう自分が怖い。

 椅子の背に深く腰を落とし、俺は溜め息をついた。

 テレビで観る刑事ドラマとは大違いだ。刑事の仕事は、もっと華やかな仕事だと思っていた。でも実際は、なんていうか、地味。

 こういう地味な作業を地道に繰り返して犯人逮捕にぎつけていくのだが、こんな作業をドラマで続けていたら視聴率取れないよな。……まぁ、拳銃ばんばんぶっぱなす刑事ドラマもどうかと思うが。

 隣の田村を盗み見ると、相変わらず無表情で映像を観続けている。

 飄々ひょうひょうとして何を考えているかさっぱり判らないが、それでも俺より犯人逮捕への執念が強いことは、ここ数日、一緒に捜査をしていて判った。悔しいがそれは認める。

 なんだろう。篠原たちは、俺にコイツの生態研究でもしろというのだろうか。

 たまらず頭を抱える。

 ……勘弁してくれ。まともな会話すらできず、どう田村と付き合っていけばいいのか判らないのに。

 俺は事件のことを考えるべく、逃げるように映像に視線を戻した。

 映像を見る限り、不審な人物は見当たらない。しいて言うなら、慌ててATMに駆け込んできた主婦が振り込め詐欺の被害者ではないか、と不安になったことくらいだ。どうやら、振り込め詐欺の被害者ではなかったようだが。

 被害者の利用した銀行も時間もバラバラ。住んでいる地域も近くはない。だから捜査本部は、当初から複数犯の犯行と見ていた。

「複数犯、か」

「いや、単独犯だ」

 田村がきっぱりと言い切った。

 おっと、無意識に口に出していたようだ。しかし、単独犯と断定する言葉が返ってくるとは思わなかった。田村を観ると、相変わらずの無表情のまま画像を観続けている。

 俺はまだこの表情以外見たことないが、コイツって笑ったりするのだろうか。想像できない。

 俺は気を取り直し、「なんでそう思うんだ?」と田村に尋ねた。

「お前こそ、どう思ってるんだ?」

 初めて画面から視線を外した田村は、俺を見据みすえた。

「どうって……」

 俺は一瞬口ごもり、

「被害者はバラバラの銀行で金を下ろしていることから、複数の人間が銀行で網を張ったと考えるのが妥当じゃないか? それにいくら老人とはいえ、声を出させずに殺すのは難しいだろ」

「そうとも限らない」

 すぐさま田村は反論する。

「銀行で下ろされた金額は少額だ。網を張って見ていたのなら、まずターゲットには選ばないはず。もし銀行で現金を下ろしているのを確認しただけだとしても、複数の人間が住宅街をうろついたのなら、いくら閑静な住宅街とは言え目撃情報がでてこないのはおかしい。それに複数犯ならば移動には車が必要になったはずだが、不審車両の情報もでてきていない。――被害者は独り暮らしの老人ばかり。人間は、とっさにすぐ反応して声を出せるものじゃない。老人ならなおさらだ。独りでも声を出させずに殺すのは可能だ」

 いきなり多弁たべんになった田村に俺は驚き、言葉を失う。自分の考えを否定されたことも忘れるほどの衝撃だった。

「お前……なんだよ、普通に話せるんじゃねぇか」

 俺は隣に座る田村の腕を思い切り叩いた。思わず顔が緩む。腕をさすりながら俺を睨む田村に、「悪い悪い」と軽い口調で謝りながら俺は画像に視線を戻した。

「確かに単独犯なら目撃情報が出てこないのも頷ける。……被害金額って四件合わせて二十七万だったよな。数人で分けるには少なすぎるか」

「それに、被害者がすべて独居老人ってのは偶然にしては犯人にとって都合良過ぎるとは思わないか?」

 田村が言った。

 言われて初めて俺はそのことに気づいた。

「そっか、そうだよな……。てことは、犯人は顔見知りってことか?」

「まぁ、事前にリサーチしていたのかもしれないけどな」

 田村は自分で自分の疑問を打ち消すようなことを言った。納得した俺の立場はどうなる。

「なんだよ……結局、なんも判かってねぇんじゃん」

 不満げに言うと、「当たり前だ。判かってたらデスクに上げてるさ」と気怠そうに田村はワイシャツのボタンをひとつ外した。ネクタイはとうに外され、机の端に無造作に置かれている。

「だよな」

 俺はテーブルに頬杖をついた。

「っつーか、単独犯ってお前の見解も言った方がいいんじゃねぇの?」

「そう思うなら、明日お前が言えばいい」

「は?」

 思わず田村に顔を向ける。

「明日、お前が言え」

 もう一度、今度は命令口調で言ってきた。

「はぁ? おっ前、それは協調性がないとかの問題じゃないだーろが。つぅか、なんでそんなに偉そうなんだよ」

 信じられない。

 呆れる俺に、「さっき気付いたからな」としれっと田村が答えた。

「ああ、そういうこと。なんだよ、それを早く言えよ」

 でもその偉そうな態度はなんだ。

「今、言っただろ」

「遅せぇよ」

 俺は椅子の背にもたれ掛かり、

「明日報告するにしてもなんか説得力のあるものを提示しないとなぁ」

 すると田村は腕時計を見つめ、「明日の捜査会議まであと九時間ある。それまでに映像の中から不審人物を見つければいい」とさらりと言ってのけた。

 俺は絶句ぜっくする。

「……お前、頭大丈夫か? この地獄の三日間を思い出せ。それに、その前から他の捜査員たちが探しても見つからなかったんだぞ?」

 お前はどうか判らないが、俺は結構ギリギリの状態なんですけど。

片肘をつき、戸惑う俺を見つめる田村。俺を試しているのだろうか。生意気な。俺はネクタイをさらに緩め、映像の中の人間を見据みすえた。

「見つけてやろーじゃねぇか」

 隣から「その言葉、忘れるなよ」と声がした。

 くそ生意気な。

「お前もな」


 疲れた目をこすり、深く溜め息をつく。

 ……見つけられない。

 目がかすんで、映像に集中できない。目頭めがしらを押さえ、椅子の背に深く腰を落とす。時計を見ると、午前四時を少し過ぎていた。あれから五時間、ぶっ続けで映像を観続けていたのか。顔をしかめ、隣の田村を見る。

 疲れた様子もなく、真剣な眼差しで映像を見つめる田村。

 ――なんて集中力だよ。

 身動きひとつしない田村に俺は舌を巻く。

 鉄人だ、鉄人。鉄仮面どころの話じゃない。心臓に毛が生い茂る、っつーか鉄の心臓を持った鉄人だ、コイツは。いったい、俺はどうすりゃいいんだ。リモコンとかないのか? 取扱説明書は?

 だいたい、新人の俺に何故こんな鉄人をあてがうんだ。若林さんとか里見さんとか他にもまだいるじゃないか。まともな人間が。……もしかして、俺歓迎されてないのか?

 一瞬、しずみかけるが、思い直すように首を振る。

 篠原や小林の性格からして、田村を俺にあてがった深い理由はない気がする。ちょうど俺が配属された時に田村が一人だったからというだけで、合う合わない、コンビを続けるか解消するかは俺たち次第で関心がなさそうだ。

 頭をきながら立ち上がる俺に、「おい」と田村が声をかけてきた。

「な、別に逃げねーよ。コーヒー淹れてやろう、と思って……」

 俺はそのまま言葉を失った。

 田村が俺を見てニヤリと笑ったのだ。

「見つけた」

「……は?」

 間の抜けた返事をする俺に、「コレを観ろ」と田村はテレビモニターにいくつもの映像を並べて表示した。

 モニターに映し出された画像のすべてに、ポストから郵便物を集荷する郵便局員の姿が写っていた。

「……まさか、お前この郵便局員が怪しいとでも言うのか?」

 そこにポストがあるのだから、郵便局員が集荷にくるのは当然だろう。

 だが田村は満足げに映像を見つめながら、「この郵便局員がすべて同一人物だったらどうする?」と言った。

「同じ?」

 俺はモニター画面に視線を戻す。

「ああ。事件はバラバラの町内で起きてはいるが、すべて同じ区内で起きている。調べてみる価値はあるだろう? 被害者の映るすべての映像の中に、郵便局員が映っているんだからな。四件の事件で唯一の共通点と言ってもいい」

 俺は田村の言葉を無言で聴いていた。

 何度も観ていた映像。この郵便局員のことももちろん覚えている。なのに、俺には気づけなかった。いや、無意識のうちに除外していたのかもしれない。

 ――そこにポストがあったから。

「落ち込む前にやることがあるだろ。捜査会議までに見つけてやるって言ったよな」

 田村が俺を現実に引き戻す。

「……お前もだろーが」

 悔しげに顔をゆがめる俺に田村は、「報告するのはお前だ」と言った。

「お前な……」

 俺はチラリと映像に視線を向ける。

「――確か、ヤツの乗ってきた車も映ってたよな。まずは、ナンバーの確認と集荷区域の確認だな」


 ――調べた結果、映像に映る郵便局員はすべて同一人物だということが判明した。

 その後、この郵便局員を任意で事情聴取すると、彼はすぐに犯行を認めた。借金の返済に困り、銀行で現金を下ろしていた老人を狙ったのだという。集荷業務をする前は配送業務をしており、被害者とは顔見知りだったらしい。だから殺した、とも彼は言った。

 被害者に繋がりのあった数少ない人間が犯人だったことに、ショックを受けた。たかが数十万で、どうしてそんな簡単に人を殺すことができるのか。

 罪の意識の薄い男の言動を思い出す。俺は瞳を閉じ、唇を噛んだ。窓枠に置いた手に力を込める。

「お疲れ」

 背後から声がした。

 振り返ると、田村が缶コーヒーを投げて寄こした。慌てて俺はキャッチする。

「危ないだろ」

 せめて少し間をおけ。

「そんな鈍いのか、お前」

「失礼な」

 田村をにらみつけ、俺は缶コーヒーのプルタブに手をかける。

「まぁ、これからよろしくな」

 コーヒーを口に含んだと同時に田村が言った。田村を見ると、ふっと少しだけ口角が上がった。

 ――笑った。

 俺は一瞬驚き、ゆっくりと唇から缶を離す。

「おう、よろしく」

 悔しいが、なんだか少しだけコイツとっやっていけそうな気がした。……ほんの少しだけ。

 俺はふっと肩の力を抜いた。

 

 俺の初めての事件は、こうして終わった。


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