第14話

 死を予感した流れ矢は、瞬きの次の瞬間にはもう僕の前から消えていた。代わりに目の前にあったのは、光り鋭い白銀の刃だった。


 いつの間にか腰の剣を抜き去ったアイラは僕たちに迫る矢をことごとく叩き落としてしまったのだ。


「大丈夫だよ、そんなに縮こまらなくても。」


微かに僕の方を向いたアイラの瞳は心強かった。


 行く手には待ち構えている蛮族たちもいくらかいた。彼らはオノや槍などを構えていた。だがアイラは彼らにかまうことなく突っ切っていく。蛮族たちも馬上のアイラ目掛けて武器を振るうが彼女は全てを打ち払ってしまう。


 蛮族たちは今度は馬を狙い始めた。「将を射んとする者は先ず馬を射よ。」とはいうが、無駄なことだった。ギャロップマリンは親のシャコ譲りの硬い外殻に覆われているので、蛮族の攻撃くらいでは傷一つつかないのである。蛮族たちは結局剣先ひとつたりとも僕たちに当てることはかなわなかった。


 逃避行はその後も続いた。かなりの数の蛮族どもを抜き去ってしまったらしく、矢は後ろからしか飛んで来なくなった。それでもアイラは器用に避けたり払ったりするからすごい。


「あと少しだから頑張って頂戴よ。」


励まされてばかりで情けなかったが、実際僕は神経をすり減らしていた。それに対してアイラは余裕綽々という様子。一体彼女は今までどんな人生を送ってきたのだろうか。


 前が完全に開けたと思ったら、今度は蛮族とは明らかに違う、秩序だった集団が見えた。全員が銀色の鎧に身を包んでおり、馬に騎乗していた。集団のところどころには、月白色の下地に紺の八角星を浮かべた旗が揺らめいていた。


 あれはホルンメランの紋章だ! 彼らはすでに迎撃態勢を整えたようだった。矢が僕たちに飛んでこなくなって、初めてアイラは完全に振り返った。


「よく頑張ったわね。普通の人間なのに凄いじゃない。どう? 自分が作った騎馬団に守られる気分は。」


「もう何も考えられないよ。……でも、悪くはないかな。」


僕たちが近づいていくと、軍団の真ん中がモーセのごとく割れた。


 アイラは軍の一番奥までたどり着くと、手綱を引いてスピードを緩めた。中央の一番奥に控えていたレイナス大佐を見つけたので、アイラはそこで馬を止めて下馬した。僕も彼女の手に引かれて馬から降りた。最も立派なウイングレーに騎乗していた大佐はアイラを見ると慌てて下馬した。


「ジョシュア伯! よくご無事で。」


「いや、大したことはないよ。でも私がはっきり狙われていた。」


「それはまた気味の悪い話ですね。」


しかし実際アイラを逃した蛮族たちは、それ以上深追いしてくる様子を見せなかった。


 アイラと大佐は再び馬に乗った。僕はというと、あらかじめ用意されていた馬車に案内された。僕のことまで気遣ってくれるのだからありがたい。


 迎撃のために隊列を組んでいた騎馬軍団だったが、徐々に撤退していく蛮族たちを追い討ちにすることはなかった。






 その後一旦帰された僕だったが、戦闘に巻き込まれたということで、その日の晩に軍施設に呼び出された。集まっていたのはホルンメラン分団の将官全員とアイラだった。ランプ一つが真ん中にあるだけの暗い部屋だったので、全部で何人いるのか、どれが誰なのかはアイラ以外はよく分からなかった。


 「皆の集合感謝する。招集の理由はもうすでに分かっているだろう。今日の昼のことだ。」


アイラは力強く堅めの口調で話しだした。


「蛮族どもの侵攻は今回が初めてではないし、大して珍しいことでもない。ただ今回は奇妙だった。」


「奇妙というと? 」


そう尋ねたのは、スキンヘッドがランプの灯を丸く照り返すチャロッサ・メイデン少将だった。僕はすでに彼とは何度か顔を合わせており、軽い顔馴染み程度にはなっていた。


 「まず一つは私を狙っていたことだ。いや、狙うこと自体は特段不思議じゃないな。私とてこのホルンメランの首長なのだから。しかし『狙うことができた』ことがおかしいのだ。どうして私が今日ホルンメランから離れると予想できたのか。」


それはそうだ。蛮族たちはアイラだけを狙い撃ちにしていた。現にホルンメラン自体の被害はゼロである。


 将官たちはざわついた。首長の暗殺未遂だったのだから、当然といえば当然か。


「しかし私の行き先までは分からなかったらしい。分かっていたらソナリ村を攻撃するだろうからね。だからホルンメランに裏切り者がいるわけじゃない。諸君にはそこは安心して欲しい。」


「ホルンメランには? 」


エデルハン中将が反応した。


「他の場所にはいると? 」


「うん、確かにいるはずだ。」


「どうしてそう思うのです。」


「遠目で見ていた君らには分からなかっただろうが、奴らの中には明らかに蛮族じゃない人間がちらほら混ざっていた。」


思わぬ展開にまた将官たちはざわついた。僕も当惑していた。あまりよくは理解していなかったが。


「それに引き際の鮮やかさも蛮族のそれではなかった。おそらく指揮していたのは蛮族ではないのだろう。」


 メイデン少将はまた口を開いた。


「それは本当かね、タイセイくん。君もジョシュア伯と一緒にいたのだろう? 」


彼は僕に振ってきた。


「いや、僕には何が何やら。」


少将は苦笑いを浮かべた。


「許してやってくれ。彼は一般人なんだ。」

中将がフォローしてくれた。


 アイラはまた話し始めた。


「あの蛮族は西の地方の部族だったはずだ。なら混じっていた者たちも西の人間だと考えるのが妥当だろう。他国の可能性はあまり考えられない。私の予定を知り得た国内の人間たちだろう。」


「西だと……パゴスキーくん、地図を持ってきてくれたまえ。」


 中将から名指しで呼ばれたのは、ピオーネ・パゴスキー准将だ。僕は彼女とは面識がないが、聞くところによると相当頭が切れるらしい。まあそうじゃなきゃ僕より明らかに若いのに将官になるわけがない。


 パゴスキー准将はすでに地図を用意していた。前に出てきて地図を広げると、ランプの灯が彼女の深緑の髪をほのかに照らしだした。


「こちらがホルンメラン以西の地図になります。」


そう言って准将は地図の端にあるボタンをおした。すると地図からホログラムが上に展開して、立体図に変化した。


「おいおいパゴスキー准将。まあ問題はないのだが、どうして立体図なんだ? 」


メイデン少将が尋ねた。


 「はい、首長閣下は国内の反乱者を疑っておられるが、そうなると候補が三都市ございます。一つ目はシャラパナ最西端のタバナです。しかしタバナは小都市であり、蛮族どもを動かせるほどの力はありません。ですから疑わしいのは残り二つです。」


「ニフラインとゴースだな。」

アイラが指さした。


 ニフラインとゴースは共にホルンメランの北西の都市だった。ニフラインは山脈の手前に位置し、ゴースは奥だった。


「この二都市を吟味するにあたって、立体図が有用です。ゴースはたしかにホルンメランの近くにはありますが、間に山脈が通っています。もし仮に反乱を起こすというなら、ホルンメランを狙うよりも北東の首都シャラトーゼを直接攻めてしまった方が手っ取り早いのです。少なくとも小官ならそうします。」


 確かに准将の言うとおりだ。ではアイラを狙った犯人は……

「よって蛮族どもをけしかけて閣下を狙ったのはニフラインのワイド伯爵でしょう。そしてホルンメランの首長を攻撃したのですから、反乱の兆候有りです。」


 将官一同は唸った。見事な考察である。アイラも准将の考えを肯定した。


 しかし犯人の目星がついても大問題が一つあった。

「証拠がなければ討伐できないからな。下手すればこちらが反逆者認定されてしまう。」


そうだ、どこまでいってもこれまでの話は憶測に過ぎないのである。


「セルギアン公にご報告したとして、征討の許可は降りないだろうな。」


アイラは頬に手を当てて考えていた。


 「情報を集めてはいかがですか。」


准将はアイラにそう進言した。


「しかし、どこから? 」


「ゴースからです。」


「なるほど、近所だしな。」


「しかもゴースの首長・ノース子爵はワイド伯と仲が悪いことで有名ですから、何か話してくれるでしょう。」


次から次に、本当に頭の回転が速いんだなこの娘は。後ろのおじさん一同はすっかり舌を巻いていた。


 ノース子がワイド伯と犬猿の仲であることは分かったが、だからといって、突然押しかけてなにかを教えてもらえるのだろうか? 


 そこも准将には考えがあるようだった。


「もちろんただゴースに行って何かを教えてもらえるとは思いません。ですからぜひともあなたの力を貸していただきたいのです、ハセガワ・タイセイさん。」

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