第13話
ローブはご満悦だった。
「やだー、なにこれ! そこまで甘くしろなんて言ってないわよー。」
そう言いつつも彼女はパクパク食べ続けた。
「これなら満足よ! でもまさか本当に作っちゃうなんてね。どうせ無理だと思っていたわよ。」
村長にも報告に行った。村長はほんのり赤い桑の葉を怪訝な顔で見ていた。それが普通の反応だ。無警戒でばくばく食べる方がおかしいのだ。
村長は恐る恐る葉の先をちょっとかじると、途端に目を丸くした。
「こりゃ驚いた。本当に甘い! 」
みんな一辺倒な反応だと面白くないな。激辛の桑でも作って混ぜておけばよかったか?
ともあれ村長はこの桑の栽培を許してくれた。ローブを村長と引き合わせて、話をすると二人とも合意してくれた。ローブが軽く絹製品を一つ二つ作ると、村長はまた驚いた。
「いやあすごいな。驚きすぎて寿命が縮まったわ。」
悪い冗談だ。
ともかく、できるだけフェアな条件にはできたと思う。ソナリ村は畑で毎年この極甘な桑と普通の桑を混ぜながら畑で栽培し、ローブに提供する。そしてローブは絹製品を作ってそれを村に提供する。その絹がソナリ村の特産品になるという仕組みだ。
まだ土が痩せている問題が解決していないじゃないかと村長から指摘があったが、そこは問題ない。そもそもこの問題が解決しなかったのは、ソナリ村の経済規模では他の土地から土寄せできなかったからだ。
しかし、絹が売れるとなれば話は別だ。昨晩絹の相場を経済課の人たちに聞いておいたのだが、これがなかなか高級だった。ローブが着ているような服一着で大体12万イデだという。
最初に官庁の金融課に融資してもらって土寄せすれば問題ない。次の年から速攻で返済できるはずだ。これで問題解決である。
村長は満足げに何度も頷いていた。
「なるほど、よく出来た仕組みだ。融資の話は官吏の君に任せてもいいかね?ハセガワくん。」
「ええ、わかりました。」
「あとそれとね。」
「まだ何かあるんです?」
「いや、今日ちょうどよくジョシュア伯がソナリ村に視察にお越しになるんだよ。」
へえ、聞いてなかった。アイラが来るのか。
「そろそろお越しの時間だから、お迎えにあがらなければ。君も来るかい? 」
せっかくなので村長と一緒に村の入り口まで向かった。ローブは興味ないとのことで、同行しなかった。
湿地のずっと彼方先に影が見えた。影はどんどん大きくなって地響きが伝わってきた。シルエットが明らかになってくると、影が馬を駆るアイラだということはすぐに分かった。
正装のアイラはもちろん変わりないのだけれど……あの馬はなんだ? ウイングレーじゃなかった。翼が見当たらない。あれ、でもじゃあなんで湿地を走れているんだ?
凄まじい速度でアイラは近づいてくると、村の入り口のところで手綱を引いて止まった。馬は群青の外殻に覆われた体をしていた。……思い出した! この馬、ギャロップマリンだ。化けシャコと配合して生まれた馬だ。しかしこの馬は確か気性が荒すぎて乗れなかったはずだ。僕は挨拶も抜きに思わずアイラに聞いてしまった。
「どうしてその馬に乗れるんだ? 言うこと聞かないだろ? 」
「あら、この子? ちょっと躾けたら大人しくなったわよ。」
彼女は馬のたてがみを撫でた。
アイラは下馬して村長に挨拶した後で、馬を縄で柵に繋いだ。その間も彼女の馬は大人しかった。
彼女は付き添いを誰も連れていなかった。彼女曰く、大人数で来ると村人たちを怖がらせてしまうからということらしい。僕と村長とアイラの三人はまた村長の家に向けて歩き始めた。
僕は一応ここまでの事情を彼女にも話した。せっかくだから完成した極甘の桑の葉も食べてもらった。一口食べた彼女は顔をしかめた。
「何これ。とんでもない甘さね。これがいいだなんて趣味の悪い魔族ね、その人。」
思いの外辛辣な答えが返ってきた。当の悪趣味な魔族はすでに帰っているらしかったが。
家につくと、息をつくまもなく村長とアイラは事務的な話を始めてしまった。僕は彼らの話を脇で聞いていたが、あまり面白くなかったので、外の景色を眺めていた。
窓越しの空は今日も快晴だった。陽で頬が火照っては風がそれを冷やしというのを何回も繰り返した。何回目のそよ風が吹いたときだっただろうか。僕はうとうとしてしまった。
意識が途絶えようとしたそのときだった。静寂は暴力的に破られた。
「伝令! 伝令! 緊急事態です! ジョシュア伯にお目通り願いたい! 」
伝令兵はかなり慌てており、息を絶え絶えにここまで駆け込んできた。
「何事かい? そんなに慌てて。」
「は! 蛮族襲来、ホルンメランが侵攻されています! 」
「……!!…………分かったわ、連絡ありがとう。私はすぐホルンメランに戻るわ。」
アイラは驚いてはいたが、あまり混乱している様子は見えなかった。むしろ僕が混乱した。ホルンメランが攻められているという事態を、字面だけじゃにわかには信じられなかった。
彼女は村長に軽く挨拶だけすると、僕の方を向いた。
「君もホルンメランに戻った方がいい。官吏が壁の外にいるのは危ないから。」
アイラはいまだ事態が飲み込めない僕の手を取って町の入り口に向けて走り出した。
入り口にいくと、大問題の発生に気づいた。馬ソリがないのだ。どこを見回しても影すら見当たらなかった。
「どうしたの? 」
「乗ってきたソリがないんだよ! 」
「ああ、帰っちゃったんだろうね。車夫だって民間人だから仕方ないよ。」
いやいやまずいだろう。それじゃあ帰れないじゃないか。
アイラはすでに上馬していた。
「もう、仕方ないわね。ほら。」
彼女は馬上から僕に手を伸ばした。一瞬意図を理解できなかったが、彼女は強引に僕の体を引き上げた。
僕はアイラの後ろに乗せられた。馬に直接乗るのなんて初めてだったから緊張した。
「ねえ、掴まらないと危ないよ。」
そうは言われても……。緊急時とはいえ女性の腰に掴まるのは抵抗があった。
「なに? 遠慮してるのかしら。こんなときだから気にしなくていいのよ。早くして。」
言われるがままに僕はアイラにしがみついた。
……硬かった。すごくゴツゴツしていた。いや、期待していたわけじゃないんだが、にしても予想外だった。
アイラは服の下に鎧を着ていた。長い上着の裾を捲り上げると、剣まで腰に帯びていた。
「この事態、予想していたの? 」
「いや、そういうわけじゃないんだけどね。もしかしたらとは思っていたよ。私がホルンメランを留守にするこのタイミングだからね。」
アイラは気合をつけて馬をおした。
アイラのギャロップマリンは一直線に駆け出した。気性が荒く制御不能というだけで身体能力自体は凄まじく高いので、ウイングレーよりも断然速かった。
「おそらく蛮族どもは動きやすい森側に回り込んでいるはずだよ。そちら側の壁は頑強だから突破されることはまずない。だから私たちは手薄になるだろう湿地の方から戻ろう。」
アイラは言葉通りに湿地のど真ん中へと馬の頭を向けた。
―だが、蛮族はひしめいていた。
「どうしてよ!? 」
理由は分からないが、蛮族たちは動きにくいはずの湿地帯に集結していた。
彼らはすぐに僕たちに気づいた。
「おい! 見つけたぞ。ジョシュア伯爵だ! 」
蛮族たちは一斉にこちらへ走ってきた。
「あれ、もしかして私目当てだったのかしら。」
多分そうだろう。蛮族たちはみんな血相変えて集まってきているのだ。
「ごめん、やっぱり君は一人で帰したほうがよかったかもね。」
「いやいや、今さらだろ。それより逃げないとヤバいって。」
「分かってるってば。ここから引き返しても追いかけられるだけだし、全速力で正面突破するよ。しっかり掴まっててね。振り落とされても構ってられないから。」
アイラは全力で手綱を押し始めた。
呼応した彼女の馬は力強く地面を蹴った。さらに加速していく馬上だったが、僕はアイラの陰に隠れて前がよく見えなかった。
「逃げたぞ! 追え。」
「いや、速すぎる。追いつけない。」
蛮族たちは自らの足で走っているので、勿論動きが遅い。彼らの間を縫うように行けば、突破は容易かと思われた。しかし……
僕の頭上をフッと何かが凄い速さで通り抜けた。
「矢だ。奴ら、矢を射てきたよ。」
殺る気満々じゃないか。矢はそれからもどんどん飛んできた。捕まえるのが不可能であると悟った蛮族たちが一斉に矢を放ち始めたのである。正直生きた心地がしない。
行き交う矢の下で必死に走り続ける中での一瞬だった。ふと顔をあげた僕の目には、今まさに僕の喉元に迫り来る矢の先端がはっきりと見えてしまった……。
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