第2話
早速ハプルを飼い始めた。僕の部屋は建物の二階部分で広さは十畳余り。
一人でする貧乏暮らしにしては十分すぎる部屋だった。それゆえハプルの置き場所にも対して困ることはなかった。
ハプルは全部で十三匹いた。赤が六匹、残りが白といった割合。僕のそもそもの目的は新種の作出であるので、最初は十三匹すべてを一つの水槽で育てていく。
突然変異の固体の誕生を狙うのである。赤と白とをペアにする方法も考えたが、それで何か新しいハプルが生まれるのであれば、もうとっくにどこかしらで誕生しているはずだからやめにした。何より、ペアにしてしてしまうと残ってしまう白の一匹がかわいそうである。
ただ待つだけではあまりに悠長というか、運任せで時間がかかるだろうと思うかもしれないが、幸いこのハプルという魚は一週間に一度繁殖するらしい。
寿命が約五年であるのに対してこの繁殖スパンはもはや配合のためにある種族と言っても差し支えないだろう。
一週間経つと、早速二世代目が誕生し始めた。特段変わった個体は見られなかったが、だからといっていちいち落胆していてはキリがない。なんせこれで一気に三十匹まで数が増えたのだから。
言うまでもなく、ハプルの数は多ければ多いだけ、突然変異の可能性は高くなる。だからそのうち、きっと生まれてくれるはずである。
三世代目が生まれてから四十日が経とうとしている。ここまでハプルの話しかしていないので誤解されているかもしれないが、僕は決してこれだけを一ヶ月間し続けていたわけではない。
僕にだって食事も必要だし、家賃を払わなければならない。つまりは、お金が必要であった。
しかしまあすぐに仕事が見つかるわけもなく、僕はただいまフィリムの厚意に甘えて、彼女の雑貨屋でバイトさせてもらっている。ちょうどこの前最初の給料日を迎えた。
五十日の労働で十万イデをいただいた。優しいフィリムはもっと払うと言ってくれたのだが、それは申し訳ないので必要最低限の額を受け取った。
どうやらこの国では何事も五十日を区切りとしているようであるから、僕も早くこれに慣れなければと思っている。
さて、話をハプルの件に戻すが、八世代目にしてなんと初の突然変異個体に恵まれた。僥倖というか、はっきり言って奇跡だと思う。
当の変異個体なのだが……ツノが生えていた。思っていた変異の仕方とはだいぶ違っていた。僕は変異するとしたら体色が変わると思っていたのだが、この個体は、色は赤のままで、代わりに頭部から悪魔のようなツノが二本生えていた。
しかしせっかく生まれてくれた待望の変異個体なので、今度はこれを固定化していかなければならない。見たところこの個体はオスだったので、別の水槽を用意して、こいつと、他のメスたちを入れた。
一週間ほど経つと早速ツノの子供たちが生まれてきたが、その中に三匹だけツノ持ちの子供がいた。これは思っていたより順調に進んでいる。
同じ変異種が複数匹誕生すれば、あとは近親配合していくだけである。親と子を配合するのは普通血が濃くなりすぎて危険であるが、ハプルくらい小さな生き物になってくると、その限りではない。
子供たちのうち一匹がメスだったのが助かった。三週間の間で、瞬く間にツノハプルは数を増やしてくれた。
しかし、誕生した新種をどうしたものかと思っている。好きだから夢中になって取り組んでみたはいいものの、いざ新種が誕生したからと言ってここからどうしたらいいかが分からない。
そんなことを考えて途方に暮れつつも歩いていると、一軒の店が目に止まった。
ちょっと暗い雰囲気の店ではあったが、客は数人いた。店内には水槽が所狭しと並べられており、それぞれが照明で淡く照らされているので、幻想的だ。
水槽にはいろいろな魚が泳いでいたが、一番奥の一際大きな水槽には大量のハプルが泳いでいた。値段は一匹三百イデ。
僕もようやく相場に慣れてきたから分かるが、結構安いだろう。ちなみに分かりやすく言えば、イデの数字を半分にしたら大体日本円に換算できる。以後もこう考えていけば金勘定も問題なくできるだろう。
「これだ!」と思った。僕には幸い在庫が大量にある。しかもここであのツノハプルの出番だ。
町のどこを見ても赤と白以外のハプルは見かけなかったし、今のところこの種は僕しか持っていないはずである。これはきっと成功する、そんなことを考えると僕は珍しく浮足立ってきてしまった。
しかし、表通りから外れた僕の家は随分と不利なので、店は別のところに開くことにした。ちょうどフィリムの店の横がテナントを募集していたのでそこを借りる。条件は五十日で四十万イデで、これを後払い。
かなり高額で、ギャンブルチックになってしまったが、僕にも自信と勝算があったので迷うことなく借りてしまった。
店の準備をするにあたっては三日を要した。小規模の店なのでこれくらいで済んだものの、普通の店なら途方もない準備が要るのだと思うと日本で普段使っていたお店にも頭が下がる思いだ。
水槽は三つほど、普通の赤と白のハプルのためのものが一つ、ツノハプルのためのものが一つ。後の一つは予備である。ポンプ等の機材に関しては、貧乏くさくはあるが、水草で代用することにした。
フィリムは突然ハプル屋を始めると言い出したこのおかしな隣人を温かく見守ってくれていた。いよいよ開店の朝、彼女は祝いとして花束を送ってくれたのだ。この文化は日本と変わらないようで少々驚いた。
いざ開店してみると、大通りというだけあって往来の目にとまるよう。実は全然誰も来てくれないのではないかと心配もしていたのだが、そんな不安を吹き飛ばすように人々は足を止めてくれた。
記念すべき最初の客は、小綺麗な格好をした初老の紳士だった。
「おや、こんなところに新しい店かい。」
「ええ、僕はハプルを育てるのが趣味なのでいっそこれを商売にしてみようと思ったんですよ。」
紳士もハプルを愛好しているようだった。彼は早速ツノハプルに目をつけた。
「お前さん、こいつはなんだね?」
「それ、突然変異で生まれたやつを頑張って増やしたんですよ。」
紳士は大いに驚いたようだった。
「にわかには信じ難いが、確かに角が生えておる。いやこれはすごい。いくらだい?」
「一匹八百イデいただいております。」
メダカのちょっと珍しい種類くらいに考えて値段設定しておいたが紳士は
「いやいや、お前さん。安売りしちゃいけないよ。なんせ初めての赤白以外のハプルなんだから。オスメスのペアで二万イデ出すよ。きみもこれからこの値段で売るといい。」
と半ば捲し立てて一万イデ硬貨を二枚渡してきた。
遠慮したものの押し切られる形で硬貨二枚を受け取った。言い値より多く受け取ってしまった罪悪感は少しあったけれど、紳士は満足げだったからこれでいいのだろう。
紳士がちょうど客寄せになってくれたようで、客足が一気に僕の店に向き始めた。一匹250イデで売っていた普通の赤白ハプルもそうだが、何よりツノハプルが大人気だった。
なんせ見たことがないツノの生えたハプルだから物珍しさに愛好家たちは惹かれて、一匹一万イデの高額も惜しむことなく払っていった。
本日売りに出していたハプルは全部で六十匹だったが、その全てが午前中のうちに完売してしまった。
予想を遥かに上回る大成果だ。届くか届かないかを心配していた四十万イデには一日だけで到達してしまったのだから。
しかし、心配なのは在庫である。この調子で売ればツノハプルがいなくなってしまう。明日からはもう少し数を少なくして売ろう。
昼下がりに店を閉めた。全て片付けて家に引き上げるとフィリムに会った。
「ああ、ちょうどよかったわタイセイ。渡したいものがあったのよ。」
そう言った彼女が抱えていたのは細長い箱。長さは六十センチはあるだろうか。
「これね、また近所の人から貰っちゃったんだけど、やっぱり育てないから……あなたなら育てるかなと思って。」
彼女はそう言うと箱を僕に差し出してきた。
「なんですかこれ?」
と、箱を上から覗くと、赤黒い鱗がびっしり生えているのが見えた。ゾクっとしたところでフィリムが答えた。
「サラマンダーよ、小型種のね。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます