第73話 我慢の限界
さっきまでの優しい笑顔はどこへやら。
お姉さん……美乃さんは鋭い眼光と厳しい顔で、雪宮を見つめていた。
睨んではいないと思う。けど、そう勘違いしても仕方ないような、きつい目だ。
案の定、あの雪宮が萎縮してしまっている。
俺は雪宮の盾になるよう、さりげなく美乃さんの方に体を向けた。
「あなたが、雪宮のお母さんだったんですね」
「ええ。正確には義理の母ですが……それは、是清さんから聞いているのでしょう? 八ツ橋葉月さん」
チッ。やっぱり俺の名前も知られてたか。
さっきの会話。どこかで会ったことあるかという言葉は、多分写真か何かで俺のことは事前に見ていたんだと思う。
それにしても、社長秘書とか娘が生徒会とか……話の節々にそれとなくヒントはあった。
それに気付かないなんて、馬鹿か俺は。
とにかく今は、雪宮をこの人から守らないと。
雪宮の手を強く握り、美乃さんへ視線を向ける。
「……初めまして。改めて、八ツ橋葉月です。雪宮……氷花さんにはいつもお世話になっています」
「初めまして、雪宮美乃です。……娘がお世話、ですか。確かに学業だけは優秀ですが、私生活面ではあなたがお世話をしているのでは?」
……見透かされてる、か。そりゃそうだ。俺と雪宮の関係だなんて、ちょっと調べればすぐにわかる。
けど、雪宮を責めるような言い方だけは、我慢ならん。
「最初は、ですね。最近は雪宮のスキルも上がってますし、生活にはなんら問題ありませんよ」
「……あなたが白峰に来たのは今年の四月。今は五月中旬。……それより前はどんな生活をしていたのか、気になりますね」
……しまった、俺が墓穴を掘った。
ごめんて、雪宮。だから脇腹つねらないで。
「……まあいいです。それはもう過去のこと。私、過去にはこだわらないので」
「そうしてくれるとありがたいです」
「ですが、別の問題が発生していることに気付いていますか?」
……別の問題? そんなこと、今までなかったが……。
当然、雪宮もまったく覚えがないのか、少し首を傾げている。
そんな雪宮に、美乃さんが視線を向けた。
「氷花さん、あなたは雪宮家の長女です。今や世界的大企業になった雪宮家の看板とブランドを背負っている。わかっていますか?」
「は……はい」
「生活力の向上、マナー、社交場でのふるまい。まだまだ改善すべき点は多いですが、それは少しずつ身に着けていけばいい。……ですが」
今度は俺へ視線を向ける。
俺より全然小さく、小動物の威嚇みたいな視線だ。
「高校生にして、男性との半同棲。これは看過できることではありません」
「は、半同棲なんて……!」
「してない、と言い切れますか?」
「っ……」
そう言われると……俺たちは何も言い返せない。
事実として、俺たちがやっていることは半同棲に近い。ほとんどを俺の部屋ですごしているし、たまに雪宮の部屋に掃除に行って、そこで飯を食うくらいだ。
これを半同棲と言わず、なんと言う。
しかもそれが高校生となると、美乃さんの言うこともわかる。
もしも間違いが起こったら。そう言いたいのだろう。
俺と雪宮に限ってないとは言え、美乃さんは俺と雪宮の関係を知らない。
何を言っても、美乃さんには届かないだろう。
「今なお急成長中の雪宮家。そんな大事な時期に、一人娘が高校生にして男性と半同棲……世間体は最悪と言っていいでしょうね」
「……世間体?」
「ええ、世間体です。もしあなたの行動が世間に知られたら、雪宮のブランドがどうなるか……わかるでしょう?」
美乃さんの言葉に、つい反応してしまった。
世間体。文字通り、世間に対しての体裁。
文字面だけ見たら、なんてことのないことだろう。世間体なんて、どこの家庭にもあることだ。
けど、今だけは……俺の沸点が、振り切れた。
「そんなクソみたいなもののために、雪宮を責め立てるんじゃねーよ!!」
…………………………………………あ、やっちまった。
「……やはり高校生ですね。ここでは静かにしなさい」
「ごもっともで」
うん、今のは俺が悪い。他の客もこっち見てるし。このままだと、警備の人が来ちゃう。
でも美乃さん、あんたちょっと涙目になってない? 脚も少し震えてるけど。
「きょ……今日は帰ります。氷花さん、また後日」
美乃さんはそれだけ言い残すと、脚をもつれさせながら出ていった。
俺らも行かないと、追い出されかねない。
「雪宮、俺らも行くぞ」
「は……はぃ……」
やけに従順な雪宮を連れて、その場を離れる。
いやぁ……やらかした。てへ。
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