第64話 電話

 初めて見る雪宮の表情に、思わず黙ってしまった。

 可愛い。こんな顔もするのか、雪宮って。



「あ、あー……今日はもう休め。疲れてるなら、寝た方がいい」

「そうね、そうさせてもらうわ」



 と言いつつ、雪宮は椅子から立ち上がろうとしない。

 立ち上がる気力が湧かないくらい疲れてるのか?

 肘をテーブルについたまま動かないが……どうしたんだろう。



「雪宮? おい、雪宮?」

「……すぴぃ……」



 寝てる!?

 今の今で寝落ちした、だと。

 疲れてるにしても、限度があるだろ。

 それか、一気に飯を食いすぎて眠気が勝ったとか。

 どちらにしろ、ここで寝られると困るんだが……。



「雪宮、起きろ。ここじゃなくて、自分の部屋行けよ」

「すぅ……すぅ……」



 ダメだ、まったく起きない。

 このまま放置するのはまずいし、鍵を漁って勝手に部屋に入るのもまずい気がする。

 定期的に部屋にお邪魔してるけど、デリカシー的な問題で。

 どうしたら……ん? こんな時に電話が……。



「……誰だ?」



 知らない番号だ。こういうのは出ない方がいいと思うけど……一応出るか。



「……もしもし?」

『八ツ橋さんか? 私だ、是清だ』

「……是清さん?」



 雪宮是清。雪宮のお父さんで、雪宮とついこの間までバチバチに気まずかった相手。

 甘々肉じゃが事件のおかげで、雪宮と是清さんは何とかお互いに歩み寄ることができた。

 が。



「あの、なんで是清さんが俺の電話番号を知ってるんですか?」

『雪宮家は割と万能でね』



 こわっ。雪宮家こわっ。

 今の一瞬で着信拒否したくなったわ。



『この番号は私の私用の携帯番号だ。後で登録しておいてくれたまえ』

「はぁ……わかりました」



 有無を言わさない圧。まさしく是清さんだ。



「それで、いったいどうしたんですか?」

『うむ。そこに氷花が来ているだろう』



 疑問ではなく、断定。

 なんでわかったんだ? やっぱり親だからか? それとも発信機が……?

 色んなことが脳裏を過り、思わず言葉に詰まったが、なんとか声を絞り出した。



「来てないですね」

『嘘はつかなくていい。疲弊した氷花が助けを求めるのは、君だと思ったから電話を掛けたのだ』



 是清さんの直感怖くない?

 けど、ここまで信頼しきった断定をされたら、今更変に言い訳をするよりは認めた方がいいか……。



「……すみません、来てます。ご飯食べ終えたところで……」

『なるほど。安心して寝てしまったわけか』



 ひぇっ……! 怖い怖い怖い! 直感というかストーカーレベルだよこれ!



『すまないが、今日は起こさないでやってくれ。ゆっくりさせてやってほしい』

「そう言われても……」

『ただし、手を出したら沈める』



 沈める!? どこに!?

 頭に、バイオレンスな映画やドラマのワンシーンが流れる。

 しない自信はあるけど、万が一のことがあったら……俺、生きていけない。



「だ、出しませんよ。そもそもそんな仲でもないですから」

『ならいい』

「ところで、疲弊しきったって……今日何があったんですか?」

『む? うむ……』



 言いづらいことなのか、是清さんは珍しく言い淀んだ。

 雪宮から概要は聞いたけど、是清さんのこの感じ……なんかヤバそう?



『美乃……うちの妻は、雪宮家の発展のために尽力してくれている。秘書時代でも私を支えてくれて、家庭に入ってもそれは同じだ』

「……はぁ……?」



 なんか突然惚気られた。どうしたんだろうか。



『我が家は元々、一般的な家庭だった。それは前にも話したね?』

「はい。事業が軌道に乗って、大企業になったんですよね」

『そう。つまり我が家は、いわゆる成り上がりというものだ。社交界というものも知らなくて、マナーを覚えるのにも一苦労したよ』



 ──なるほど、なんとなく全貌が見えた。……気がする。



「つまり、奥さんはそれが許せない、ということですか?」

『……察しがいいな、八ツ橋さんは。その通りだ。妻は雪宮家のために、氷花へ強く接している。氷花も、元は一般家庭の娘だから』



 それは……なんとも身勝手というか、納得がいかない。

 雪宮は好きでご令嬢になったわけじゃない。

 なのに、それを強いるのは……あまりにも可哀想だ。



『私としては、氷花には自由に生きてほしいと思っている』

「……俺は、何をしたらいいですか?」

『今は、氷花の傍にいてやってほしい。妻の方は私がどうにかする』



 では、と言い、是清さんは電話を切った。

 嫌な話を聞いた気分だ。はらわたが煮えくり返るというか、抑えきれない感情が口から出そうになる。

 とりあえず深く、大きく息を吐いて気持ちを落ち着けると、雪宮を起こさないように抱き上げた。

 いわゆるお姫様抱っこだが……軽いな、こいつ。軽すぎる。



「……お疲れ様、雪宮」

「すぅ……くぅ……むにゃ……」



 そのまま俺のベッドに寝かせて、起こさないように寝室を後にしたのだった。

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