第36話 歌

   ◆◆◆



 図らずも雪宮家の事情に踏み込んでしまった日の夜。

 なんとなく眠れず、俺はベランダに出て満月を見上げていた。

 もう時刻は二時。今日、月曜日なんだけど。

 普通に学校もあるから、寝ないといけないのはわかってるんだけどなぁ……残念ながら、全くと言っていいほど眠気がない。

 授業、少しでも寝るとめっちゃ怒られるんだよな。でもサボると普通に授業についていけなくなるし。



「はぁ……まさか、こんなことになるとは」



 今更、雪宮に関わるのをやめるなんてことはしないけど。

 でも是清さんが、なんか親公認みたいな空気出してたし……いや、別に公認ってわけじゃないと思うけど。

 それに公認って関係でもないし。

 あと……雪宮の義母についても、まだ終わってなさそうだし。



「これからも大変なことに巻き込まれそうだ……」

「巻き込まれるだなんて、失礼ね」

「いやいや、実際巻き込まれて……え?」



 今の声……。

 衝立からこそっと覗き見ると……やっぱりいた。雪宮だ。



「こんばんは」

「……おう。どうした。眠れないのか?」

「そんなところよ。はい、コーヒー」

「……サンキュー」



 準備がいいな。もしかして、俺がいるって気付いてわざわざ淹れてきてくれたのか?

 てか、今から飲むと余計に眠れなくなるんだけど。

 でも受け取っちゃったし……飲むか。

 二人で並んで、ベランダでコーヒーを飲む。



「……うまい」

「よかったわ」



 いつもなら気まずさを感じるこういうやり取りも、ここでならそんな雰囲気にならない。

 これが俺らの距離感で、これがいい。いや、これでいいんだ。

 そっと息を吐いて月を見上げていると、雪宮が「そう言えば」と口を開いた。



「さっき出した宿題はわかった?」

「宿題?」

「信用と信頼の違いよ」



 その話、まだ続いてたの?



「……わからん。同じだろう」

「全然違うわよ。信用は、過去のあなたの実績をもとにして積みあがるもの。私は八ツ橋くんの過去なんて知らないし、この一週間で信用に足る人かを見極めてはないわ」



 ふむ……確かに、言えてる。まだたかだか一週間だもんな。



「でも信頼は、信じて頼るって書くの。過去のあなたじゃない。今のあなたを……八ツ橋葉月というあなたを、信じて頼るわ。だからこれからも、あなたを信頼する」

「――――ッ」



 衝立越しのそんな笑顔で、そんなこと言うの……ずるすぎるだろ。

 こんなことされると、うっかり好きになっちゃうからやめろ。

 顔を逸らし、「おう……」としか言えなかった。



「照れてるわね」

「照れてない」

「食い気味に否定するってことは、照れてる証拠よ。男子高校生ってちょろいのね」

「やめろ。全国の男子高校生を敵に回すな。ちょろいのは俺だけだから」

「自白したわね」

「……俺、お前嫌いだ」

「そう? でも私、あなたのそういうところ、好感持てるわよ」



 だからそういうことを言うなって。本気にしちゃうでしょ。

 まだ熱いコーヒーをグイッと飲む。この熱さが今は丁度いい。

 雪宮もこれ以上追求することはなく、無言でコーヒーを飲み進める。

 すると、雪宮の方から吐息が聞こえた。



「思い出したことがあるの」

「何を?」

「……歌」



 歌……?

 と……ゆっくりとした曲調の歌が聞こえて来た。

 美しい歌声で紡がれる、外国の歌。

 月光の下、雪宮が歌う歌は、聞きなれていないのにスッと頭の中に入ってくる。

 いや……まるで、純白の天使のようだ。

 さっきまでのことを忘れ、俺は雪宮の横顔を見て歌声に聞き入ってしまった。

 深夜二時とか、そういうのは関係ない。

 いつまでも聞いていたい……そう思ったんだ。

 最後まで聞き終えると、雪宮はそっと嘆息して目元拭った。

 多分、泣いていたんだろうか。



「……昔、お母さんが歌ってくれたの。子守歌替わりに」

「そうだったのか……」

「あなたのおかげよ」

「俺の?」

「今まで、家のことが嫌すぎてすっかり忘れていたわ。……でも、もう大丈夫。お母さんとの繋がりがあれば、私は」

「……そっか、よかったな」



 今の俺には、それしか言えない。

 それしか言えないけど……心の底から、よかったという気持ちが湧き上がる。

 俺たちは月明かりの中、日が昇るまでゆったりと語り明かした──。

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