第31話 偉い
◆◆◆
翌日。なんとか形になるくらいには教えることができた。
雪宮も必死に覚えてたけど、大丈夫かな。
一応、雪宮が一人で料理をするって前提だけど、そもそも雪宮一人に料理をさせたことがない。
不安だ……果てしなく不安だ。
朝イチで買い物に行ったから、冷蔵庫には肉じゃがの材料が詰まっている。
雪宮の家の冷蔵庫にこんなに食材が入ってるの、初めて見たな。
「雪宮、大丈夫か?」
「だだっだっだだっ、ダイジョーブ……!」
全然ダメそう。
緊張している雪宮と一緒に、部屋を掃除したり猫グッズを飾っていく。
殺風景で寂しかった部屋が、一気に華やかになっていった。
「ほぅ……こうして見ると、俄然女の子の部屋っぽいな」
「元から女の子なのだけど」
「そうかもしれないけど、そうじゃない」
あんな殺風景な部屋で女の子の部屋って言われても、誰も信じないって。
猫型の時計を見ると、もう十時近くになっていた。
準備は万端。あとは親父さんが来るのを待つだけだ。
「コーヒー飲むか? ちょっと一息つこうぜ」
「ひ、一息つく余裕がないわ」
「だからその余裕を作るためだよ。ほら、席座れ」
雪宮を席に座らせると、コーヒーを淹れてリビングに持っていった。
本当はミル挽きコーヒーを試してみたいところだけど、調べてみたら沼にハマりそうだから断念した。
まあ、俺も雪宮もこのメーカーのインスタントコーヒーは好きだから、問題ないけど。
「コーヒーの香りにはリラックス効果がある。それに言わずもがな、眠気覚ましにもなる。親父さんが来るまで、ゆっくりしてよう」
「……いただきます」
マグカップを持ち、香りを胸いっぱいに入れる。
うん、いい香りだ。この匂いが結構好きだったりする。
雪宮も同じなのか、香りを嗅いでそっと息を吐いた。
……いや、まだ手が震えてる。相当緊張してるみたいだ。
「そんなに怖いのか? 親父さんは」
「いえ。怖いというより、苦手なの。……もう七年もまともに話してないわ」
「七年……」
てことは、雪宮が十歳のときか。
確かにそんなに話してなかったら、苦手意識を持つのは仕方ない、な。
「父が義母と再婚したのもその頃。父の会社の秘書だった人よ」
「ああ、お前のことが嫌いっていう……」
「ものすごくきつく躾られたわ。本人は料理もしない。家事もしない。全て家政婦任せ。作法とか、仕草とか、姿勢とか……自分は口出しをするだけ。怒鳴られなかった日はない。全てはあなたのためとか、父の会社を継ぐとか……本当、嫌になる」
毎日怒鳴られるのか。
それは……確かにきついな。
株式会社ユキミヤほどの大会社にもなると、会社のことだけじゃなく、外部の人間とも関わることが増えるだろう。
下手な仕草や、品格の劣る行動を取れない。
だから義理のお袋さんは、厳しく躾を……。
「それが本当に嫌でね……去年の暮れに我慢の限界が来て、父に直談判したわ。社会勉強のために一人暮らしをさせて欲しいって。本当の理由は、逃げたかっただけ。……幻滅する?」
「いや、別に」
即答すると、雪宮がぎょっとした目で見てきた。
な、なに? 怖いぞ。
「……しないの?」
「まあ、うん。俺だって似たような環境なら、逃げるだろうし」
「でも、今まで偉そうにしてたのよ、私」
「関係あるかそれ? お前が偉そうでも、そうじゃなくても、それが雪宮だろ」
何をそんなにビビってんだか。
幻滅なんて今更しないって。
「それより、俺はお前を褒めたいね」
「……褒めたい?」
「七年もそんな環境にいたんだろ。我慢できたのも偉いし、歪まず真っ直ぐ育ったのも偉い。苦手な親父さんに直談判して、一人暮らしを始めたのも偉い。俺は雪宮氷花という女の子を、手放しで賞賛する。何度でも言うぞ。……偉いよ、雪宮」
「────」
ふぅ、言えた。すっきり。
今のは俺の本心だ。嘘偽りのない言葉だ。
だってなぁ。俺が毎日そんなふうに怒られてたら、普通にグレるぞ。
雪宮も、つらい人生を歩んできたんだな。なんとなく似たもの同士なのかも、俺……ら!?
「ちょっ、雪宮っ、涙! 涙!」
「……ぇ……ぁ……」
無表情のままポロポロ涙を流す雪宮。
慌ててティッシュを渡すと、ゆっくり涙を拭いた。
「す、すまん。何か踏み込みすぎちまったか……?」
「ち、ちがうわっ。確かに踏み込んできたけど……全く、嫌な気持ちじゃないわ」
そう言ってくれると、ちょっと安心。
いやぁ、焦った。なんで急に泣き出したんだよ……女心、わからん。
そのまましばらく待っていると、少し目を充血させた雪宮が、真っ直ぐ俺を見つめてきた。
「もう、大丈夫。すごく心が軽くなったわ」
「そうか? まあ、ストレスが掛かってたんだ。涙が出るのは仕方ないさ」
「泣いてしまったのはあなたのせいだけどね。一生の恥よ」
「俺なんもしてないけど!?」
「……ばーか」
こ、いつ……!
くそ。やっぱこいつ、気に食わんっ。
ニコニコと罵倒してくる雪宮から視線を逸らし、コーヒーをすする。
と、その時。玄関のチャイムが、鳴った。
雪宮を見ると、さっきまでの緊張は消えてリラックスしていた。
もう大丈夫そうだな。
どちらともなく頷き、雪宮は客人を迎え入れるべく立ち上がった。
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