第14話 ベランダの歌姫

 食器を洗う前に、ベランダに出て空を見上げる。

 春真っ只中だけど、上着を羽織ってないと薄ら寒く感じた。

 それにしても……この二日間で、劇的に生活が変わったな。

 というか、雪宮とこんなに接することになるとは思わなかった。

 友達とは違うし、学校の仲間とも違う。当然、恋人なんて甘酸っぱいものじゃない。

 例えるなら、隣人。

 いやまんまだけどさ。

 まあ、そのくらいの距離感が丁度いいんだ、俺たちは。



「はぁ……ん?」



 隣から出てくる音が……あぁ、そうか。雪宮が洗濯を干すって言ってたな。



「ふんふんふーん♪ らららんらーん♪」



 相変わらずご機嫌だな。綺麗な歌声で歌ってるし。

 ……そういや、壁越しじゃなくてこうやって聞くのは初めてだ。

 月を眺めつつ、雪宮の歌に耳を傾ける。

 それに、桜の残りが風に乗って夜空を彩る。

 こういう夜も、いいもんだな。



「ターオルーをさーおにーほーしまーしょおー♪ ティーシャツハンガーさーげまーしてー♪」



 おー、替え歌もよー歌っとる。

 雪宮の歌声って、不思議と聞き惚れてしまうというか、耳を澄ましてしまうんだ。

 歌詞はへんてこりんだけど、まるで俺のためだけに開かれたコンサートみたいで……すごく、ゆったりとした気分になる。



「パンツにブラシャーるるるらら〜♪」



 ……パンツにブラジャー? まさかとは思うが……えっ、雪宮の?

 と、思い出してしまった。雪宮の部屋で見てしまった、黒くセクシーなパンツ。

 それにさっき見た、ピンク色のブラシャー。

 そして連動して思い出される、綺麗な縦線の入った腹筋とヘソ。

 諸々を考えてしまい思わず前かがみになってしまう。

 くそ、何考えてんだ俺……! せっかくゆったりした気分になってたのに!

 と、とりあえず夜風に当たって頭を冷やそう。

 ベランダの縁に腕を乗せ、夜風を頬に感じる。

 あぁー……気持ちいい。



「あ」

「え? ……あ」



 声がした方を振り向く。

 ……雪宮と、目が合った。それはもう、ばっちりと。

 呆然としている雪宮。

 徐々に顔が赤くなり、口元があわあわとなっていく。



「……何も聞いてないから」

「それ明らかに聞いた人が言うセリフよね」



 ごもっともで。

 雪宮は恥ずかしそうに俺を睨むと、ふんっとそっぽを向いて洗濯物の続きを始めた。

 互いに無言の時間が進む。

 気まずい。そこはかとなく気まずい。

 俺は無言に耐えきれず、何か話題がないかと雪宮へ話しかけた。



「えっと……う、歌、上手いんだな。驚いた」

「……よりによってその話を蒸し返すのね」

「あ……すまん」

「……はぁ。いえ、気にしないで。もう聞かれたのだし、今更言い訳するつもりはないわ」



 いや、腹の虫が鳴っためちゃめちゃ言い訳してたよね、あなた。

 まあ、腹の虫と替え歌は全然違うってことなのかもしれないけど。

 雪宮は洗濯が終わったのか、ベランダの縁に手を付いて空を見上げた。



「……お母さんが、歌が好きだったの。よく色々と聞かせてくれたし、一緒に歌ってくれたわ」

「へぇ。いいお母さんだな」

「ええ。本当に……」



 ……あれ? 雪宮の方から声が聞こえなくなったな。

 衝立越しに雪宮の方を見る。

 別にいなくなった訳じゃなく、ちょっと物思いに耽てる感じだ。



「……雪宮?」

「……ぇ、あ。な、なんでもないわ。気にしないで頂戴」

「……あいよ」



 あの感じ、踏み込んで欲しくないって感じだ。

 昨日雪宮も同じことを言ってたっけ。踏み込んで欲しくないところには、踏み込まない。

 今回の雪宮が、まさにそんな感じたった。



「あ、それより八ツ橋くん。明後日には金曜日よ。忘れてないわよね、例の親睦会の件」

「ああ、生徒会室でみんなで飯食うってやつな。当然忘れない」



 弁当のメニューはもう決まってる。明日の夜から作り始めても間に合うだろう。

 ま、弁当はいつも作ってるから、特に気合いを入れる必要はないんだけどさ。

 ……ん、あれ? 弁当?



「そういや雪宮、お前弁当どうするつもりだ?」

「…………」



 衝立の向こうで、雪宮がそっぽを向いたままこっちを見ない。

 おい、まさか……。



「何も考えてない、てことは……」

「か、考えてるわよっ。……お惣菜買って、お弁当に詰め替えようと……」



 あぁ……まあ、うん。なんとなく想定していた回答が返ってきたな。

 ただお惣菜かどうかって、見る人が見れば一発でわかる。

 はぁ……仕方ない。



「俺が雪宮の分の弁当も作ってやろうか」

「いいの!?」



 予想通り、食いついてきた。わかりやすいなぁ、雪宮。

 さて、そうと決まったら少し多めに材料を準備しないとな。

 でも何を思ったのか、すぐに顔を引きつらせて咳払いをし、顔を引っ込めてしまった。



「や、やっぱり悪いわよ。夜ご飯も作ってもらってるのに、その上お弁当もなんて……」

「一人分も二人分も変わんねーよ。心配すんな」

「でも……」

「安心しろ。しっかり弁当分の金は請求する。それならウィンウィンだろ?」



 というか、料理って一人分を作るより、二人分を作った方が楽だったりする。

 弁当用に作った残りは、休日の昼飯にしてもいいしな。

 衝立を挟んで、雪宮はおずおずとこっちを覗いてきた。



「……じゃあ、お願いしようかしら……? よろしく、お願いします……」

「おう、任された。その代わり、好き嫌いは言うなよ」

「大丈夫。私、嫌いなものは納豆しかないから」

「なら今度は納豆料理を振舞ってやるよ」

「えっ」

「冗談だよ」

「……八ツ橋くん、嫌いよ。ふんっ」



 雪宮はぷりぷりしながら、直ぐに部屋の中へ戻って行った。

 あらまあ、怒らせちゃったか。

 ただ、いつも俺を振り回してるお礼だ。にしし、今度マジで納豆料理食べさせよ。意外と美味いんだぞ、納豆料理。

 それにしても……衝立越しに話したからか、いつもより素直な雪宮の一面をしれた気がするな。

 今後は、色んな話をする時はベランダで話すのもいいかも……なんてな。

 さて、俺も食器を片付けて、寝るとするかね。

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