『アヤカシ通信録:ch雪女』KAC2022#14

 手の平に乗る正方形のノートの切れ端。

 裏と表に書かれた一言のやり取りがきっかけだったのかもしれない。


 隣の席に座る黒髪の女子・ひいらぎ美月みづきのことを意識的に目で追ってしまうようになったのは――それからのことだった。


『気になる?』

『別に』


 たったそれだけのやり取り。毒にも薬にもならない会話だが、その紙を筆箱にしまっているあたり、俺は相当、気になっていると言えた。


 気になる? なんて聞かれたということは、以前から俺は彼女のことを見てしまっていたのだろう。隣の席だから、ではなく、たぶん無意識に。

 教室に限らず、どこだろうと目で追ってしまっていたのかもしれない……、男子からもそう指摘された。


 ただ、急かされることはなかった。

 柊は大人びた雰囲気で、所作の一つ一つが洗練されている。茶道の授業では、教えられなくとも満点だと先生に褒められていたくらいだ。

 習っていたのかもしれないが、茶道のような丁寧な所作が普段にも表れている……。クラスが盛り上がった時、一緒にはしゃいだりこそしないが、一歩引いてみんなを見守ってくれている姿は、鼻につかない。

 一人だけ同級生とは思えないほどの大人な感じなのだ。比べることがバカらしいと思えてしまうほど……。だから女子が柊を除け者にすることはなかった。困った時は『頼りになる柊さん』へ話がいくようになっている。


 男女ともに人気を集めるクラスメイト……それが柊美月だった。


 人気があるということは好意を持つ男子も多いわけで……だけど誰も告白をしていなかった。

 たぶん、後ろめたさがあるのだろう……。

 あの子の隣にいるべき技量を自分は持っているのか? と。


 誰に止められたわけでもなく、告白を辞退した男子が多い……だからこそ、柊へ好意を持つ俺の行動を止める男子がいなかったのだろう。


 どうせ寸前になってやめるのだろう、と予想しているはずだ……でも――、



 放課後、教室に一人で残る柊を確認する。……ちゃんと待っていてくれたんだな。窓際の自分の席に座り、ノートを広げて視線を落としている。

 彼女を教室へ呼んだのは俺だ、手紙を渡して……この場を作ってもらった。


 柊美月へ告白をするためだ。


 俺なんかが釣り合うわけがない、と誰もが言うだろう……、成績も中の下、容姿だって悪くはないが特別、優れているわけでもない。

 運動神経もそこそこ、打ち込んでいるものがあるわけでもなかった……それでも。


 仮に釣り合うことが最低条件だったとして、先払いである必要はないだろう? 釣り合う男へ後々、なっていけばいいだけの話だ。

 それに、決めるのは柊である。勇気が出ない情けない自分の隠れ蓑に、分かっていますよの顔で『釣り合わない』を利用する気はない。


 だから俺は扉を開けた。

 耳にかけていた髪が落ち、柊が顔を上げた。




「――うぇーんっ、どうしよう助けて神谷かみやくーんっっ!」


 ……整理しよう。

 俺の腰にしがみついているのは、柊である。


 あの柊美月ではなく、だ。


「えー、っと……」


 さっきまで柊が視線を落としていたノートを見てみる。そこには同じ筆圧で、まったく別の文字が書かれている……片方は丸みを帯びた女子高生らしい字……、片方は、跳ね、止め、払いを丁寧に書いている、お手本のような文字だ。

 前者が今の柊、後者が俺たちが見てきた柊の字だと分かる……。


 ノートの内容は、交換日記みたいなものか。

 他愛のない話を交わしているが……恐らくは柊(今)の中では既に過ぎたことだからこそ重視していないのだろう……が、しかし待て、初見の俺は気になって仕方がない。


 今の柊と交換日記を続けているのは……、『ユキさん』とノートの中では何度も出てきているが、こいつ、妖怪・雪女だろ。


「神谷くんもユキさんと知り合いなの? ……よく字だけで分かったね」


「いや……、まあ、すれ違ったことはあるかもな。面識はないよ。ただ内容がさ、思い切り妖怪であることを明言してるし――」


 隠す気がないとも言えた……まあ、こんなノートを見られたところで内容を信じる人がいるわけないしなあ……、ふざけて書いた交換日記で納得するはずだ。


「でも、神谷くんは信じた……」

「俺んち、そういう家系だし」


 妖怪にはちょっと詳しいんだ。俺よりも、じいちゃんが、だけど。


「で、俺に助けを求めたお前はなにで困ってんだよ……柊……でいいのか。そうか今までの柊が雪女だったってわけで……はぁ」


「ねえ、その溜息はなに!? 本来の私がこんな性格でガッカリしたの!?」


 そうじゃない。お前は俺たちを騙していたわけじゃないし……、今まで見せていた柊の顔が雪女の顔だっただけで――柊自身はなにも変わっていないのだ。


「あ、そっか、ユキさんに告白しようとしていたんだっけ?」


「なんでそれを――って、そっか、日記で意思疎通してんだよなあそりゃあさあッ!!」


 どうやら片方の意識しか起きていないらしい。


 つまり雪女が顔を出している時、柊の意識はなく……逆も然り、だ。


 だからこうして交換日記を利用し、現状の把握、記憶の引継ぎをおこなっているのか。


「ユキさんモテモテだねえ……、でもこうして告白しようとしてくれたのは神谷くんが初めてだって書いてあるけど……なんでだろう?」


「さあな。告白するほどの『好き』じゃなかっただけなんだろうな」


「じゃあ、神谷くんはそれくらい好きなんだね」

「…………」


「妖怪ってことを知っているからかな……妖怪ってところに嫌悪感がなかったり?」


「他の生徒は雪女だってこと知らないだろ……雪女のことは、人間・柊美月としか思っていないよ。だから嫌悪感は抱いていないはずだ」


「あ、そっか」


 ……これまでの大人っぽい柊とは対照的だ。こっちが本物だから、これが本来の柊なのだろうけど……、出てくる機会が少ないどころか一回もなかったため、目が滑るように受け入れられない。一気に幼児退行したな……。まあ中身が雪女なら大人びていて当たり前か。大人というか、あっちは数百年を生きる妖怪だし。


 同じ見た目で言動が変わると、視界が歪んで見えて気持ち悪いな……。


「人の顔を見て気持ち悪いとかひどくない!?」

「お前、髪を結べ。ツインテールにしろ、それが似合う」

「え、そう?」


 満更でもなさそうにヘアゴムで左右の髪を結ぶ柊……うん、こっちの方がいいな。


 ぐっと精神年齢が幼くなって……、これなら柊の言動も受け入れられる。


「助けて、って言っていたけど、どう助ければいいんだ?」


「あ、それだよ! ユキさんが作った私のイメージが定着しちゃった今、この素の私のままじゃあ学園生活を送れないよっ!!」


「? 今まで通りに雪女に任せれば――」


 ……できるならやっているか。

 俺はノートのページをぺらぺらとめくり、見つける。

 雪女が、柊美月の体から出ようとしていることを――。


「……ちなみに、雪女が体内に棲みついたのはいつ頃だ?」

「えー、っと…………五歳とか?」


 そんな小さな頃からお前の顔は雪女が担当していたのか!? 全部、とまではいかないが、柊のこの素の顔が誰からも暴露されていないことを考えると、かなり昔から矢面に立っていたのは雪女だと言える。


 柊は日記で記憶を引継ぎ、雪女が作ってくれたアドバンテージで、これまでを生きてきた……恐らく学園生活は雪女、プライベートは柊本人だったのだろう。


 じゃあ、こいつは家の中の空間にいる時だけ表に出てきて、楽をしていたってわけか……?

 勉強や人間関係、人生経験を積むことなく十六歳になって……、


 どうしよう、と泣きつかれたが、このまま苦難へ放り込んだ方がこいつのためじゃないか?


「ええっ!? 今更この私の素を見せて、受け入れてくれるみんなじゃないよ!」


「それは雪女の対応が完璧だからか?

 それとも素のお前がダメ人間だという自覚があるからか?」


「ユキさんが完璧なの!! 私っ、ダメ人間じゃないし!」


 自覚がないならやっぱり一度、暴露して痛い目に遭ってみるべきだろ。


「や、やだよ……っ、みんなに嫌われたくない!」


「って言っても、お前はクラスメイトとそこまで面識ないだろ。ほとんど雪女が担当していたわけだし……、俺とだって初対面に近いんじゃないか?」


「初対面だよ」


 あ、そう……初対面の相手に抱きついてきたのか、こいつ……。

 追い詰められていたとは言え――俺が雪女へ告白することを知っていたとは言えだ。


「俺のことを信用し過ぎだ」

「ユキさんが信用しているから、大丈夫かなって」


「…………あ、そう」

「あ、喜んだっ、顔も赤いしユキさんに見せてあげよーっと!」


 スマホを出してカメラを起動する柊の手を掴む。……ノートだけじゃなくスマホでも意思疎通はできるわけだよな……、こんな真っ赤な顔を見られてたまるか。


「やめろよ、これ以上からかうならお前を無理やり舞台上へ放り出して――」



「あら、神谷くんが面倒を見てくれるの?」



 掴んだ手の体温が急激に下がった、ように感じた。

 柊の体温がなくなったわけじゃない……足下から上がってくる冷気がそう錯覚させたのだ。


「ひいら、ぎ……」


 俺がいつも隣に感じている柊そのもので……つまり、柊の体を借りた妖怪・雪女……。


「恋人でもない女の子の手を、そう強く掴むものではないと思うわよ?」

「え、あ――ごめんっ!」


 慌てて手を離す。

 すると、スマホを操作した彼女が、シャッターを切っていた。


「ぷーっ、くすくすっ、ユキさんと勘違いして顔を真っ赤にしてる神谷くんを激写っ! ちょっと口調を変えてみただけでまんまとはまるなんて私って結構演技が――」


「おいこのヤロウ」

「え、ちょ」


 壁際へ追い詰めて、スマホを持つ手首を掴んでやる。


「調子に乗るなよ……?」

「あらあら……目がちょーっと、マジだわよ神谷く……」


「目をぐるぐるにしながら取り繕っても無駄だからな!?」



 でもまあ、一瞬でも俺を騙したその演技力は認めてやろう。


 簡単な話だ――お前がユキさんになればいい。

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