『地上世界のプロテクターズ』KAC2022#13
今の子供たちは本物の空を見たことがない。
太陽の光を浴びたことも当然のようになかった。子供たちが見ているのは朝、昼、夜の景色に変わる、天井の映像だ。
幼い頃からそれが当たり前だと思っている子供たちの体内時計は、変化する映像に合っている。大人は生活リズムを変えるのに苦労したらしいが、今の子供たちは苦労を一切しなかった。
以前を知らない幸せ者たちである。
「ねえ、アルっ、今日の夜、部屋から抜け出せる!?」
桜色の髪を肩まで切り揃えた十三歳の少女が、こそこそと内緒話をしている。彼女に耳元でそう囁かれているのは、同じく十三歳の少年だ。
耳が見える長さで整えた黒髪の少年は、少女・ラティアナとは幼馴染の仲である。
自然界の光を一切届かせない、ここ『地下世界』で生まれた子供たちの二人……。
ドーム型の広い空間の中に収まっている小さな町の風景。町、とは言ったが、簡易的なテントを敷き詰めているだけで、過去のような建造物などなかったが。
町と言えるのかどうか……これでは避難所である。
その呼び方も、間違いではなかった。
「抜け出せるけど……、どうかしたの?」
人類は地下へ避難してきたのだ。地上世界には、かつて『昆虫』と呼ばれていた生物が棲息している……、手の平サイズで、単体では脅威に思えなかった生物が、今では人間よりも一回り、二回りも大きくなり、単体で力を持つ生物になってしまった。
原因は分からない。突然変異と言われてしまえば否定もできない……なにも分からないまま人類の約八割が犠牲になったのだから……。
偶然かもしれないが、突然変異した生物を解明できる頭脳を持つ人間が、優先して殺されていたような……。
役職も肩書きも分からないはずの昆虫が、人類を観察し、危険度が高い者から殺していったのだろうか……? 後回しにされていた残り二割の人類は、とにかく早急に避難場所を求めた。
それがここ――地下だった。
地上に出てきた昆虫たちが、太陽の光を求めたのは、これまで地中に潜むしか生きる術がなかったから……(地中も危険だが、地上を『歩いているだけで潰される』人間相手と比べればまだマシだった……)隠れる必要がなくなった今、昆虫たちは地上世界を闊歩している。
――立場が逆転したのだ。
人間が地中に潜む、昆虫が地上世界を支配している……、地上世界を歩く巨大な生命体を見上げる景色は、まるで以前までの昆虫の目線と同じで――。
避難してきた地中を根城にする昆虫がいなくて助かったと言うべきだ。
もしもいれば……、この避難所だってとっくのとうに壊されている。
地中さえも危険だった昆虫と比べれば、かなりイージー・モードだろう……、昆虫の敵は人間だけじゃなく、鳥類や爬虫類だってそうだった――だけど今の人類の敵は、突然変異した昆虫だけだ……、鳥類や爬虫類、両生類は姿を消している。
どこかに潜んでいるのかもしれないが、少なくとも発見はされていない。
元々、数だけは膨大で、地球は昆虫の惑星とも呼べたが……、
地上の支配者が巨大化した昆虫になった今、本当にここは、昆虫の惑星だ。
人類の兵器など、役に立たない……。
そんな技術も道具もないのが現状だが。
かつてを知る大人たちは、地上を探索し続けている……多くの犠牲者を出しながら。
そのことを、地下世界で生まれた子供たちは知らないのだ――。
「本物の太陽の光、浴びにいこうよっ!」
ラティアナの提案に、アルブルが乗っかった。
午前零時を回った頃、既に地下世界は完全消灯時間だ。天井の明かりは消されており、薄っすらとアルブルたちを照らしているのは星、というものらしい。
無数に見える点々が天井に留まっている……、電球なのだからそりゃそうだろう。
実際の星は、動いているらしいけど――と、アルブルは人から聞いたことがある。
「どうやって地上に出るの?
扉は頑丈にロックされてるし、見張りの人だっているはずだけど……」
「小さな隙間を棒でほじくっていたら、わたしたちくらいの大きさなら通れるくらいまで広がったの。そこから温かい光が入ってきて……、しかも涼しい風も!
この先に地上世界があるんだってすぐに分かったわよ!」
「地上世界……大人にならないと出られないって言われたけど……それって子供が吸ったら死んじゃう空気が蔓延しているからって言われなかった?」
「そんなわけないでしょ。もし本当だったなら、わたしが穴を見つけた段階で死んでるよね? 大人は『地上世界は危険だ』って言うけど、毎日、大人は地上に出て、調査をして生きて戻ってきているんだから、危険であっても、過ぎるってことはないと思うわよ」
ちょっと顔を出してすぐに戻るなら平気よ、と楽観的なラティアナに言われると、不思議と大丈夫かと思えてしまうアルブルだった。
二人の関係性などこんなものだ。手を引くラティアナと、理由を付けるも最後には折れるアルブル……――彼女のおかげで自分だけでは見ることができない景色を見ることができている……それ以前に、差し出されたラティアナの手を払えるアルブルでもなかった。
ほぼ同時に生まれた二人は並んで寝かされ、気づけば二人は手を繋いでいた――赤ん坊の頃から寄り添っている、親友を越え、家族同然の二人だ。
入り組んだ地下世界の通路を隅々まで覚えているのは、暇過ぎて探索していた二人だからこそだ。メモも取らずに脳内記憶……、地下世界の全体図をラティアナとアルブルで半分こして記憶している。自分が知らない道順は相方に聞けば分かるシステムだ。
そして、今いるここはラティアナの領分。
だからアルブルは抜け穴があるなんて気付けなかったのだ。
「これ。ちょっと坂道だけど、這って進めば先へ抜けられるはずだよ」
ラティアナの先導で、アルブルも這って進む。
穴の奥、光の先へ、顔を出すと――、
広がる世界があった。
閉鎖的なドーム型の生活空間で生まれ、過ごしてきた十三年間……、視界のさらに先まで広がる世界があるなど、想像もしていなかった。
目を閉じてしまいそうなほどの光量……、肌を刺激する熱さ……、髪を撫でる風――。
これが地上。
囲いがない世界。
感じたことがなかった開放感……そして初めてだ。これが、昼間……。
『夜中』は、似たような体験をしていたが、昼間は難しい。太陽光がない空間は作れるが、太陽光がある空間は作れない……、照明とは比べものにならない明るさだった。
「ラティ」
「ん? どうしたの、アル」
「地上ってさ、ここまでなにもないの?」
アルブルが見た地上世界は、視線の先まで一切の障害物がなかった。足下は、小さな石がたくさん転がっているだけ……、地下世界と同じ色がひたすら続いている。
空が青いだけで、太陽光があるだけで、地下世界と似たような世界ではないか――。
「わたしだって、初めて地上を見たから分からないけど……、
進んでみればなにかあるかもしれないね」
「軽く見てすぐに戻るって言ってたけど……、もしかしてガッツリ調査するつもりなの?」
「さすがに大人がいないから、そこまではしないわよ。
でも、さすがにもうちょっと進んでみたいと思わない?」
同じ景色が続くので、地下へ戻るための穴を見失わないようにしないと――、
注意しながら十歩ほど歩いたところで、太陽光が遮られた。
二人を覆う黒い影――それは、まるで山が落ちてきたような衝撃だった。
ドォ、ッッッッォォォォッッ!!
衝撃と共に地形が変わる。当然、二人が這い出てきた穴など既に分からなくなっているだろう……、そもそも、下敷きになった二人がまだ生きているとも思えず……、
だが、再び持ち上がった山の真下。陥没した地面の中に埋まっている異物があった。
内側から指で押したように、ぽんっ、と出てくる異物、二つ。その異物から複数の個体が、地を這って離れていった……。
散った個体に包まれていた人影は、アルブルとラティアナである。
巨大な山の下敷きになった彼らは、しかし一切の怪我を負っていなかった。
怪我どころか下敷きになった衝撃も受けていないようで……。
「なに、この子たち……」
二人の足下で動いている生物……堅い背中を持つ楕円形の生物だった。
かつてダンゴムシと呼ばれていた生物である。
ただ現在の姿は、形こそ変わらないが、しかし大きな瞳が体の前方についている。人間そっくりな目が不気味であるが、元々の姿を考えれば愛嬌があるとも言えた。
ダンゴムシたちが再びアルブルたちの体に貼り付き、
「なにを――」
上空から落ちてくる複数の落石から身を守ってくれた。
山のような大きさではないが、それでもアルブルよりも十倍以上も大きな岩である。二人が潰されていないのは、ダンゴムシが鎧となって保護してくれているからだった。
「君たちは、」
すると、地中から出てくる同じ姿のダンゴムシたち。彼らは自身の体を使い、集まり、並んで文字を作っていた。
喋れないが、それでも言語は理解できるらしい……、彼らは示した。
『我々はプロテクターズ』
『人類がそう名付けてくれた』
『地上を徘徊する「ムシ」のせいで、君たちは地下世界へ戻れなくなった』
言われてアルブルたちが気づく。……穴がない。どこにあるのか、分からなくなった!
さっきの山に潰され、地面が陥没し、穴も塞がってしまったのだろう……。
……もしかして、絶体絶命……!? 安全な地下世界へ、戻れない!?
『君たちの真夜中は、ムシにとっては活発になる時間だ……昼夜逆転。それを活かすために地下世界へ潜り、天井を操作して、体内時計を反転させたのではなかったか?』
それはアルブルたちが知らない、大人の戦い方。
地上世界の真夜中に調査を進めるため、生活リズムを狂わせた。
アルブルたちがこの時間に外に出たのは『最悪』だったのだ。
『生き残る方法がある』
『プロテクターズを使え。
我々は攻撃手段を持たない。だから、人間の知恵という矛を貸してほしい』
『さあ、自然界を生き抜く、共存といこうじゃないか』
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