最終話 対世界へのトランスレーション

「店員さん!」


 私は店員さんを怒鳴どなりつけました。


 何もかも問い正さねばと思いつつも、あまりの奇妙な事態に、すぐに言葉が出てきません。どうしても、どもってしまいます。


 店員さんは九十度に腰を折った姿勢を崩しません。

 その状態のまま、店員さんのほうから私に話しかけてきました。


「おやおやおや! お客様。もしかして、あちら側の人でいらっしゃいますか?」


 あちら側?

 いったい何の話をしているのでしょうか。


「あちら側とは何ですか?」


 私がたずねると、店員さんは上体をグイっと起こし、姿勢を正して私の方を見下ろしてきました。


「あちら側の人は痛みに弱いので、当店の料理はお口に合いません。こちら側の人は痛みに強く、食事にはノドゴシを重視しておりますので、こちら側の人にとっては当店の料理は程良い刺激で心地良いのです」


 何を言っているのか分かりません。

 のどと喉の奥が痛くて思わずますが、そのせいで余計に痛い思いをしてしまいます。


「だから、あちら側とか、こちら側とか、いったい何なんですか⁉ まるで別の世界があるようではないですか!」


「ありますよ。パラレルワールドと言うらしいのですが、世界は二つ存在します。あちら側の世界にもこちら側の世界にも同様に人間はいますが、両者で互いに人間の体質も見た目もまったく異なります。人間以外についても、同じものを見ても目に映る景色はまったく異なります。お互いの世界の人間は、別の生物と言えるほどに異なるのです」


「しかし、私にはこちら側の人間というのが普通の人間にしか見えませんよ」


「そうは言われましても、私にはあなたが普通の人間には見えなくなりました。さっきまでは普通の人間に見えていたのですが。おそらく、あなたは二つの世界をまたいだ中途半端な存在になっているのでしょう。だから、普通と異常が曖昧あいまいになっていて、見え方というのが少しずつ変わってきているのです」


 店員さんはそこまで言うと、少しかがんでテーブルの下に手を伸ばしました。

 何をしているのかと様子をうかがっていると、何か金属の部品のようなものを取り出しました。


 そしてなんと、それを勢いよく私の首に押し当ててきたではないですか。



 ――ガシャコン!



 これは、まさか首輪でしょうか⁉


 私の首に極太のリングがはめられ、リングには大きくて長い鎖が伸びています。


「何をするのです!」


 私が思わず怒鳴ると、店員さんは姿勢を正して私を冷ややかに見下ろしながら、鎖の端を持った手を目の前まで持ち上げて見せつけてきました。


「あなたを管理局に引き渡します。あなたはあちら側の人間、すなわち、こちら側でのバケモノですから」


 店員さんのとんでもない物言いに、あやうく呆気あっけに取られて放心するところでした。


「はぁ⁉ バケモノはそちらでしょう? あんな……、あんな訳の分からないものをノドゴシィ、ノドゴシィ、などと喚きながら食べて。この……、この……バケモノめぇ!」


「いいえ、バケモノはまぎれもなくあなたです」


 店員さんはそう言って、ポケットから手鏡を取り出し、私に向けてきました。


 鏡には、私の顔が……、私の顔が映っているはずなのですが……。


「何ですか、これは……」


「あなたの顔ですよ」


 鏡に映っていたのは、たしかに私の顔でしたが、見覚えのある顔ではありませんでした。


 まるで酸をかけられたように、ただれてみにくくなっているではないですか。

 試しに右手で顔に触れてみると、鏡の中でも手が顔に触れています。

 あと、手もただれていました。


「うぐっ!」


 突然、店員さんに首輪の鎖を強くひっぱられました。

 店員さんは前置きもなく、鎖を引いてどこかへ歩きだします。


 私は椅子いすから滑り落ち、立つこともできずに首から引きずられます。


「何をっ、何をするのですっ!」


「管理局に引き渡すまでは、倉庫に拘束させていただきます」


 店員さんはこちらを見ることもせず、足を止めることもなく、ものすごい力で私を引きながら淡々と答えます。


「管理局とは何なのです! 私は何をされるのです!」


「それは存じません。あなたの世界でバケモノが現れたら、拘束した後にどうされるのですか? それと同じではないですか?」


 殺処分でしょうか。それとも研究のために生きたまま実験体にされるのでしょうか。


 分かりません。

 なんにせよ、悲惨な未来が待っていることは間違いないでしょう。


 喉も痛いのに、リングが食い込んであごも痛いです。

 段差があってもお構いなしに引きずられ、肩や背中も痛いです。


 私は店員さんに引きずられるままに、スタッフルームの隣にある倉庫へと連れてこられました。

 店員さんは私を倉庫に放り込むと、鎖のリングとは反対側の端を柱に一周させて、鎖の交差する部分に南京錠なんきんじょうをかけました。


 店員さんはもはや私を人間とすら思っていないようで、倉庫から無言で出ていってしまいました。


 倉庫は暗いですが、人が通れないほどの小窓が壁の高い位置に付いていて、そこから差し込む光でどうにか室内の状態を確認できます。

 さいわい鎖が長いので、入口の近くにあるスイッチにギリギリ届き、電灯をけることに成功しました。


 倉庫内を見渡すと、更衣室代わりに使われているのか、ロッカーの隣の壁に全身鏡が掛けてありました。


 私は全身鏡の前に立ち、自分の姿をまじまじと見て確かめます。


「これは……」


 信じたくはありませんでしたが、先ほど見た自分の姿は見間違いではありませんでした。


 皮膚ひふがただれてブヨブヨになった姿がそこにありました。

 顔や手だけでなく、首も、鎖骨も、服の隙間から見える部分すべてがそうなっています。

 この調子だと、服の下もすべて同様のあり様になっていることでしょう。

 まるで全身が大火傷で水ぶくれしているかのようです。


 これでは店員さんの言ったとおり、私がバケモノです。



 嫌です……。


 こんなの、嫌です……。


 元の自分に戻りたいです。


 元の世界に帰りたいです。



「…………」


 私はふとあることを思いつきました。


 私がパラレルワールドに踏み込んだのは、おそらく鏡の中の私の瞳の中の鏡の中を覗き込んだからに違いありません。

 あのとき、間違いなくトンネルをくぐる感覚がありました。


 もしあれがキッカケだったのなら、もう一度それを繰り返せば元に戻るのではないでしょうか。


 これ以上、事態が悪化することなんてあるはずがありません。


 あ、そういえば、店員さんは私のことを中途半端な存在だとおっしゃっていましたね……。


 もしも、もしもですが、鏡の中の自分の瞳の中を覗き込むことで私がいま以上のバケモノになってしまったとしても、もう一度鏡の中の自分の瞳の中を覗き込めば、きっと元の自分に戻り、元の世界に帰ることができるでしょう。


 私はもう進むしかないのです。


 それしか道がないのです。


 私は鏡に自分の顔をグッと近づけました。そして、鏡の中に映る自分の瞳に鏡を反射させ、鏡と瞳との反射の無限ループを発生させます。


「……あっ、あっ、あっ、あっ! きました!」


 あのときの感覚です。

 トンネルをくぐる感覚です。

 全身を不安のかたまりのような何かが駆け巡りますが、今度は途中でやめたりしません。


 吸い込まれます。


 感覚だけが吸い込まれます。


 昨日よりも強烈に引き込まれます。


 身体はそのままに、意識を乗せたリニアモーターカーが鏡と瞳を交互に連結したトンネルを全速力でくぐり抜けます。


 一瞬、息が止まりました。

 それでもやめません。

 踏ん張ります。


 抜けました!


「はぁ……」


 とっても清々すがすがしい気持ちです。

 私はいつの間にか目を閉じていましたが、そのまま天井を仰ぎ、大きく深呼吸をします。

 歯にひっかかったネギが取れたようなスッキリ感です。


 私は改めて鏡を見て自分の全身像を確かめました。


「…………」


 そこには、ゾンビ映画の終盤に出てくるような、とてつもなく不細工ぶさいくなクリーチャーが映っていました。

 服ははじけ、肉体は人間の原型をまったくとどめていません。



 完全なるバケモノとなった私は、濃縮ヘドロのような汚くよどんだ眼をしていました。



    ―おわり―

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