第5話
教室に入り自分の席まで行くと、不意に後ろからがばっと肩に腕を回された。突然のことではあるが毎日されていては流石にこっちも慣れてくる。今更驚くこともなく、僕は冷静に回された腕を払いのける。
「毎日毎日しつこいなぁ、平川は」
「おっす奥路~昨日は辛気くさい顔してたから心配したぞ~。今日は元気そうでよかったわ~」
「なんだ、心配してくれたのか。めずらしい」
「何を~!? こう見えても後輩には面倒見がいいって言われてるんだぞ~!」
部活の後輩に慕われている平川の姿を想像する。なるほど、確かにしっくりくる。こいつのように明るく気の利く女だと、後輩もやりやすいだろう。細かい気配りが出来るというのも先輩ポイントが高い。本人の言うとおり、いい先輩なのだろうと思う。
だがそれとこれは別。僕はあくまで平川の友達である。後輩では無い。友達と後輩では求められるポイントが違う。いくら友達だからといっても許せないラインというものが存在する。
「一年の頃から言ってるけど、やめてくれないかな……それ」
「無理だな、これはもはやあたしの日課だ~!」
「だから、人の胸を触るのを日課にするなって言ってるんだけど」
「いいじゃないか、あたしとお前の仲じゃないか~!」
「親しき仲にも礼儀ありって言葉知ってるか?」
「知ってる、部活の先輩にもよく言われる~」
「駄目じゃない、それ……?」
どうやら平川は「いい先輩」ではあっても「いい後輩」では無いようだ。案外年上からするとこの距離感の近さは評判が良くないのだろうか。でも平川なら年上にも上手く馴染めそうな気はするのだが……。部活に入ったことがないから、先輩後輩という間柄に詳しくない僕には想像しか出来ないが。
「よし! いつも通りの奥路だな!」
「平川……」
もしかして、昨日落ち込んでいた僕のためにわざと明るく接してくれたのか。昨日といい今日といい心配させてしまい、申し訳なく思ってしまう。
やはり平川は僕にとって大切な友達だ。改めてそう感じる。
「いつも通り、張りのある胸~!」
「くたばれ…………」
前言撤回。やはりこいつは許されない。誰が大切な友達だ、ただの変態ではないか。部活内では「いい先輩」だろうが「いい後輩」だろうが、僕にとってはこいつは「悪い友達」だ。なぜ毎日同じことを繰り返すのだ、触られるこっちの身にもなってほしいものだ。いや、僕がこいつのを触りたいという意味ではないのだが。
「…………」
平川の腕から逃れていると、どこからか視線を感じた。
「ん…………?」
振り向いてみるけど、僕らのすぐ近くにいる者以外にこちらを向いている生徒はいなかった。
「気のせいか……?」
何だか釈然としないがチャイムが鳴り朝のホームルームが始まったため、次第に視線のことは忘れていったのだった。
「……………………」
放課後、校門を出て歩いていると後ろから腕が迫り来る。こんなことをしてくるのは平川くらいのものだろう。僕は相手の腕を掴み、勢いよく振り返る。
「ついに放課後まで触ってくるようになったか、この変態め――え?」
だが掴んだ手はいつも振り払っている平川の手よりも小さく、柔らかい。それもそのはずだ。僕に迫ってきた腕は平川のものではなかったのだから。そこにいたのは、あちゃぁと声を漏らして苦笑いを浮かべる綾瀬姫乃だった。
「失敗しちゃった、てへ☆」
「これは何の真似だ?」
「ほら、真ちゃんってば毎朝平川さんと楽しそうなことやってるじゃない? だから平川さんの真似をしてみたの」
「真似した元ネタのことは聞いてないんだけど?」
僕が綾瀬に問いたいのは、どうして平川の真似などやったのかだ。もっというと何故寄りにもよって
「もしかして真ちゃん、怒ってる……?」
「……はぁ。別に怒ってないよ、ただ喜んでもいない」
「そうなの? だって毎日平川さんといちゃいちゃしてるから、てっきりそういうプレイなのかと思ってたわ」
「プレイ言うな。僕は毎日やめろって言ってるのに、あいつが聞かないだけだ。別に楽しんでいるわけじゃないよ」
綾瀬が突然こんなことをしてきた理由。実は一つだけ心当たりがあった。まさか本当に実行するとは思わなかったが。彼女が慣れない行為をする理由、それは今朝のことが関係しているのだろう。
『私たち、やり直しましょう!』
『それって、友達からやり直すってこと?』
『ええ、私たちの関係がゼロに戻ったのならゼロからまた築き上げればいい。真ちゃん、私とまた友達になってください!』
今朝学校に行く前に綾瀬から呼び止められ、僕たちの関係をやり直そうと言われた。有から無へと変化していった過去を、今度は無から有へ変えていこうと。
彼女の言葉はとてつもない魔力を秘めていた。ここで僕が「うん」と言えば、それだけでまた友達に戻ることが出来る。たった一言でこの歪な関係を無かったことに出来るのだ。
しかしそれは僕の内に眠る嫉妬心、後ろめたさを切り捨てることが出来ない呪いも秘めていた。もし再び友達に戻れば、きっと僕はまた綾瀬に劣等感を抱く。ゼロからやり直しても、辿り着く結果が同じでは意味が無い。
それでも、目の前に現れた好機に引きずり込まれてしまいそうになる。僕の心は誘惑と忍耐の間で激しく波打っていた。
『う――』
『そして友達に戻ったらお互いの理解をもっと深めて、最後にはきっと結婚しましょう!』
『ん――は?』
ケッコン? ナニイッテルンダコイツ?
『元の関係からやり直す……つまりよりを戻すのよ!』
『よりを戻すって……はぁ? え、ちょっと待って……えぇ?』
『そのために、まずは真ちゃんのことをもっともっと知り尽くすからね。真ちゃんも私のことなら何でも聞いていいよ、恥ずかしい秘密でも真ちゃんだったら私……いいよ?』
『………………無理』
せっかく人が悩んでいたのに、結局こいつの頭の中は僕と付き合うだの結婚するだのといった実現不可能な絵空事を浮かべていたのだった。もはやツッコむ気すら失せてしまい、綾瀬を置いて一人学校に向かったのだった。
「で、平川の真似をしたのは僕と仲良くなりたいからだと」
「友達からやり直すんだから、真ちゃんの友達を参考にしてみたというわけよ。いい考えでしょう」
「奇想天外な発想すぎて逆に感心するわ」
「褒められちゃった、えへへ♥」
いや、これっぽっちも褒めてない。むしろ皮肉で言ったつもりなのだが……。
「そもそも僕は朝の返事をしてない。勝手に話を進めるな。綾瀬のそういうところが――」
――嫌いなんだよ、と口に出してしまいそうになり、慌てて口を紡ぐ。
彼女と距離を置くのなら、別に言ってしまってよかったのに。どうして躊躇してしまったのだろう。それとも嫌いという言葉を綾瀬に浴びせることを無意識に拒否してしまったのか。ありえない、僕は綾瀬から嫌われても構わないと決心したのだ。今更怖じ気づくことがあろうか。
「なーに? 私のそういうところが…………好き? きゃ~! 真ちゃんったら大胆~!」
「違う。綾瀬のそういうところが、き……き…………」
「き?」
「き……気になるん……だよ」
言えなかった、嫌いという言葉が……。どうやら僕は自分が思ってた以上に臆病らしい。
「気になる、かあ。それっていい意味で捉えていいの?」
小悪魔的に首をかしげながら、綾瀬は僕に問う。その仕草と僕を見上げる上目遣いは優等生の綾瀬がするようなものではなく、僕にだけ見せるまさに小悪魔の仕草だ。僕は逃げるように彼女から視線を逸らし、相づちを打つ。
「勝手に、すれば……」
「そっか。うん、そっかぁ……」
どうやってもグイグイ攻めてくる幼馴染に、僕は抵抗するだけで精一杯だった。せめてのも反撃として綾瀬の家とわざと反対の道を通って帰るも、綾瀬は何故か僕の家まで着いてきてそれから自分の家に帰っていったのだった。
僕は抗えるのだろうか、この恐ろしい幼馴染を相手に。
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