第10話 続・脱処女

 勢いよく飛び出したは良いものの、どこでそれをすればいいのだろうかと考える。

 あちこちウロウロと回って、誰かが声をかけてくれると良いのだが、のんびり待っている暇はない。やはりカールの言う通り、紙に目的を書いた方が良さそうだ。

 ケイティは紙とペンを借りる為、一軒の店に入ろうとすると、中から従業員らしい女性が出てきた。ケイティはその人物を図書館で何度も見かけた事がある。名前は確かコリーンだったか。

 以前は片言の言葉しか話せていなかったように思うが、今はどうだろうか。


「あ、すみません。もう閉店なんです」

「ごめんなさい、買い物に来たんじゃないの。紙とペンを貸して頂けるかしら」

「いいですよ。少々お待ち下さい」


 コリーンは店に戻ると、紙とペンを持って来て渡してくれた。

 ケイティはその紙に『私の処女を貰って下さい』と走り書く。それを見ていたコリーンが怪訝そうに眉を寄せていた。確かにこんな事を書いている人がいれば、ケイティだって眉を寄せるに違いない。


「ペンありがとう」

「…………いいえ」


 明らかに蔑まれていて、ケイティは苦笑した。それでもこれはスティーグの為だと言い聞かせて、その紙を持って歩く。


 一言で言うと、その行為は恥ずかしくて死にそうだった。


 クスクスと笑う者、顔をしかめる者、茶化すだけ茶化して貰ってくれない者。

 すぐに誰かが貰ってくれると思っていたが、中々現れない。四十歳手前の女など、誰も興味はないのかもしれないと思うと、絶望した。

 紙をぎゅっと掴んだまま塞いでいると、カツンと音がして、目の前に影が現れる。顔を上げると、そこには……


「おや、ケイティ嬢でしたか」


 騎士隊長の一人、ロレンツォだった。


「ロレンツォ様! 良かった、探してたのよ!」

「俺も探していました。売春をしている者がいるという通報がありましたので」


 そこでケイティは初めて気付く。自分のやっていた行為は犯罪だったという事に。


「ち、ちが……っ、私、お金を取るつもりはなくて、その……っ!!」


 ケイティは青ざめて言い訳る。クーオールの家に泥を塗るなんてものじゃない。教員免許の剥奪、懲役刑、スティーグとはもちろん、他の貴族とも結婚も出来なくなってしまうだろう。人生お先真っ暗だ。

 そんなケイティの胸中を知ってか知らずか、ロレンツォはケイティの手を取った。


「とりあえず、騎士団本署までご同行願いますよ。話はそこで聞きましょう」


 ケイティはカールを恨んだが、こうなってはもうどうしようもない。ケイティはトボトボとロレンツォの後ろを付いて歩く。

 騎士団本署が見えてくるとより一層気が重くなった。今から聴き取りが始まるのだろう。


「さて、どうしてこんな事をされたのか、理由をお聞かせ頂けますかな」


 しかし連れて来られた所は聴取部屋ではなさそうだ。初めて入ったが、おそらくロレンツォの執務室で相違ない。

 ロレンツォは身に付けていた騎士服を脱ぎ始めている。


「レディの前で失礼。俺も仕事が終われば早く帰りたい性分でして」


 彼は苦笑しながらも脱ぎ進めていて、ケイティはくるりと回れ右をした。


「あの、ロレンツォ様、聴取は……」

「街の者の手前、ああは言いましたがね。ここから先はプライベートなので、純粋な好奇心から聞きますよ。とりあえずはうちにおいで下さい。その服を着替えた方が良さそうです」

「服が何か?」

「何だかミルク臭いですよ。それじゃあ男も寄り付かなかったでしょう。不幸中の幸いでしたな」


 ケイティの顔がカアっと赤くなる。「カールめ……」と呟くと、着替えを終えたロレンツォが耳元で囁いた。


「カール殿が如何されましたかな?」


 ロレンツォの息が耳に当たり、思わず逆側に身を倒す。


「カ、カールが、私に牛乳を噴きかけて来たのよ!」

「……牛乳を?」


 プハっとロレンツォは吹き出し、その後口元を押さえてクッククックと笑いを堪えている。


「それは面白い話が聞けそうだ。では、行きましょう」


 ケイティはロレンツォにエスコートされる形で外に出た。向かう先はイーストドールストリート方面ではなく、ノースアイズストリートに通じる道だ。


「あら? ロレンツォ様の家は、イーストドールじゃなかったの?」

「ああ、あそこは騎士隊長になってから、面子を保つために仕方なく借りた家です。滅多に帰りませんよ」

「ロレンツォ様は女の家を渡り歩いてるから、家なんて必要無いって事かしら」

「別にそう思って頂いても構いません。出来れば今から行く家は、誰にも言わないで頂けると有難いのですが」

「分かったわ。女の子が大勢押しかけるような事があったら、大変だものね」

「ご理解頂けて助かります」


 ロレンツォはノースアイズストリートから中道に入り、小さなアパートへと入って行った。とても騎士隊長が住んでいるとは思えぬ家で、恐る恐るロレンツォに付いて行く。


「こちらですよ」


 ロレンツォが鍵も使わずドアノブを回す。扉は拒絶する事なく、家の主を迎えた。


「どうぞ」


 ロレンツォに促され、ケイティは足を踏み入れた。中からパタパタと小走りに駆け寄ってくる音がし、その人物を見てケイティは目を広げる。


「おかえり、ロレンツォ」

「ただいま、コリーン」


 そしてコリーンもまた、ケイティを見て驚いた様に目を広げた。


「お客様……?」

「そうだ。紅茶を淹れてくれ。一番いいやつだ」


 コリーンはコクリと頷いて奥へと引っ込んで行く。


「中へどうぞ」


 再びエスコートされ、そのまま歩を進める。部屋は二つあるようだったが、片方はどう見ても物置くらいのスペースしかなさそうだ。それにダイニングキッチンも、小さなテーブルしか入らない特小サイズの部屋と言っていいだろう。貴族であるケイティでなくたって、狭いという印象を受けるに違いない。

 ケイティが物珍しくて辺りを見回していたら、ロレンツォに声を掛けられた。


「で、どうして売春を?」

「違うのよ……」


 ダイニングテーブルに備え付けられた椅子に腰を下ろすと、ロレンツォはまるで『困った子だ』と言わんばかりの顔で尋ねてくる。


「スティーグ殿の為に、ファーストキスも処女も取って置いているのではなかったのですか?」

「そうなんだけど、そんな事を言ってはいられなくなってしまって」

「どうしたのです? 俺で良ければ力になりますよ」

「助かるわ」


 そこでコリーンが紅茶を出してくれた。少し落ち着くために、それを一口飲む。


「コリーン、お前の服でケイティ嬢に合うものを貸してやってくれ」

「うん、分かった」


 コリーンは二つある部屋のうちの一つに入って行く。服を探してくれるのだろう。


「ロレンツォ様、あの子は……」

「俺の親戚のコリーンですよ。彼女の事はお気になさらず」

「親戚? でもファレンテイン人じゃないでしょう?」

「何故そう思われるんです?コリーンは歴としたファレンテイン人ですが」

「彼女、よく図書館に来てたわ。最初の頃は、あまり言葉を話せている様子がなかったものだから」


 ロレンツォの顔から一瞬笑顔が消えた。しかしすぐに微笑みを取り戻す。


「彼女は病気で、まともな教育を受けられなかった事もありまして、言語が劣っていたのですよ。今はもう克服していますが」

「そうなの。ここで一緒に暮らしているの?」

「ええ、まぁ。親戚ですから」


 取って付けた様な言い訳に、ケイティは色々と聞きたくなったが止めておいた。あまり突っ込みすぎては、こちらも突かれそうだ。


「失礼します。こちらでよろしいですか?」


 コリーンが部屋から出て来て、着替えを渡してくれた。彼女が今着ている服とは段違いのいい服だ。それでもケイティにとっては普段着と言える程度の物だったが。

 コリーンはケイティの身なりを見て、一番良い服を貸してくれたのだろうという事が推察されて、礼を述べる。


「ありがとう、ごめんなさいね。必ず返すわ」

「…………いいえ、お気になさらず」

「コリーン、下がってくれ」


 コリーンは首肯し、再び部屋へと戻って行った。


「して、ケイティ嬢は何故、カール殿に牛乳を噴きかけられたのですかな?」


 期待の眼差しで問われ、ケイティは仕方無く答える。


「カールに、私を非処女にしてくれって頼んだら、噴かれたわ」

「っぷ! はははははははっ!」


 思いっきり笑われてしまい、ケイティは羞恥と怒りが入り混じる。睨むようにロレンツォを見ると、未だ笑いを堪えられない彼は、クックックと目の端に涙を溜めていた。


「非処女、ですか。それはいい。それで、カール殿に断られてあんな行為をしていたのですな」

「ええ、カールに言われたのよ。処女を貰って下さいって紙を持っていれば捨てられるって。それが犯罪なんて、考えもしなかったわ。私の人生、もう終わっちゃったわね……」

「そこまでして、何故捨てようとしたのです?」

「スティーグが、私が処女じゃなければ抱いてたって言ってくれたからよ」

「なるほど。では、俺が貰って差し上げましょうか」


 ロレンツォは、冗談とも本気とも取れぬ笑顔でそう言って来た。思わず喜んだものの、ケイティは首を傾げる。


「いいの? 犯罪の片棒を担ぐ様な真似をしても……」

「片棒を担げば、貴女の罪は見逃さざるを得なくなりますな。ケイティ嬢にはその方が都合がいいのでは?」

「そりゃ、もちろん!」


 処女を貰ってくれる上に、売春の罪科無しとくれば、ケイティとしては何の不服も無い。


「では、風呂に入って来て頂けますか。出来れば髪も洗った方が良い。ミルクの匂いより、俺は石鹸の香りの方が好きですから」

「そ、そうよね。分かったわ」


 ケイティはロレンツォに案内されるまま、風呂場に向かった。

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