第16話 経理担当

 ディーナがトレインチェに戻った翌々日、ケビンがヴィダル弓具専門店に現れた。


「あれ、ケビン、どうしたんだ?」

「ウェルスさんからお金を預かって来ました。大金ですので管理には気を付けて下さいね」


 ケビンは大きく膨れ上がった封筒を渡してくれた。ディーナはそれを大事に受け取る。


「わざわざケビンが持って来てくれたのか。ありがとう」

「いいえ、仕事で中央官庁に来たついでですから」


 そう言って書類の入った鞄をポンポンと叩いていた。官吏という者はいけ好かない奴らばかりだと思っていたが、彼は人の良さが滲み出ている。


「ああ、それと、経理を担当する方が決まったそうです。ロレンツォさんの親戚なので、身元はしっかりしているとの事です。コリーンと言う名の女性ですよ。今日辺り訪ねて来るかもしれませんので、そのつもりで」

「うん、何から何までありがとう!」

「お礼ならウェルスさんにどうぞ」

「うん!」


 ケビンは彼らしく優しく微笑むと去って行った。

 しばらくすると、今度は女性が現れる。年の頃は、ディーナよりいくつか若いくらいだろうか。


「いらっしゃい!」


 するとその女性は深々と頭を下げた。


「初めまして。私はコリーンと申します。ロレンツォ様より紹介を受けて参りました。今後、このお店の経理を担当をさせていただきたいのですが、宜しいでしょうか」

「ああ、あんたが! よろしくコリーン、あたしはディーナだ!」

「よろしくお願いします。勤めるのは初めてですので、至らぬ所もあると思いますが、一生懸命頑張ります」


 ディーナはコリーンに、弓矢の製作過程から販売までの順序をざっと教えた。

 それから実際に買い付けに行き、一本当たりの単価を出してもらう。

 彼女は頭の回転も早く、勉強熱心だったので経理担当にはうってつけだった。これならライズ同様、買い付け、集金、帳簿を任せられそうだ。

 コリーンの登場で、ヴィダル弓具専門店は再稼働を始めた。ウェルスに借りたお金は、いつかちゃんと返すつもりだ。ディーナは毎日一生懸命に働いていた。


「なぁなぁ、コリーンはいくつなんだい?」


 ディーナはシャフトを削りながら、帳簿を付けているコリーンに聞く。


「誕生日が来れば二十六になります」

「あれ、あたしより年上じゃないか。ハタチくらいに見えたよ」

「そうですか? ありがとうございます」


 そう言いながらコリーンは手元の帳簿に目を戻した。


「高校どこ? セントラル? それとも士官学校?」

「いえ、私は色々あって、中等部も高等部も出ていません」

「へぇー。それなのに計算出来るってすごいね!」

「基礎は小等部で修めましたから。あとは独学ですね。毎日図書館に通って、勉強していました。つい最近まで」

「ふーん……そんな勉強好きなんだ」

「好きというわけではないんですが、言われたからやっていたまでです」

「言われたって、誰に?」


 コリーンはその質問には答えず、手を止めてディーナに向き直った。


「ディーナさん、文字を覚えませんか? 私で良ければ、教えてあげます」

「え!! いいよ、あたしバカだし」

「自分で可能性を潰しては駄目です。……まぁ今の言葉は受け売りですが。もし学びたいと思った時には、声をかけて下さいね」

「う、うん、思ったらね……」


 そんな日は一生来るまい、と思ったディーナだったが、彼女の親切心をちょっとだけ心の隅に置いておいた。


 月末になり、そろそろ家賃を支払わなければならなくなったその日、一人の役人のような人物がヴィダル弓具専門店に現れた。


「こんにちは。ディーナさんはいらっしゃいますか?」

「ディーナはあたしだけど」


 製作していた弓を置いて立ち上がると、その青年の前に歩を進めた。


「こちら、『ウェルスオリジナル』の特許権で発生した料金です。お納め下さい」

「とっきょ? 何それ、何で金くれるんだ?」


 とか言いつつも封筒を受け取り、中を確かめるとかなりの額のお金が入っていた。今月の家賃くらいは払えそうだ。


「申請されたでしょう?」

「何を?」

「ですから、特許を。ここに受け取りのサインをお願いします」


 ディーナも学んだ。うまい話には裏がある。気軽にサインなどしてはいけないことを。


「コリーン、ちょっと来て! とっきょ、って何? 金くれるって言ってんだけど、この人詐欺師?」

「詐欺師って……」


 目の前で詐欺師呼ばわりされた青年は、明らかに顔を曇らせていた。


「特許、ですか? 特許は、有用な発明をなした発明者またはその承継人に対し、その発明の公開の代償として、一定期間、その発明を独占的に使用しうる権利を国が付与するものです」

「へ? なんだって? よく分かんないけど、それをコリーンは申請したのか?」

「してませんよ、ここに来たのは最近ですし。特許による利益を受け取るには、もっと以前に誰かが申請していたはずです」

「誰かって……じーちゃんかな。でも、じーちゃんがそんな知識持ってたら、もっと早く……」


 あ、とディーナは思い当たった。ライズだ。

 彼はいつも店仕舞いの後、色々な策を練ってくれていた。その中に特許がどうという話もしていた様に思う。ディーナは理解出来ずに聞き流してしまっていたが。

 ライズはウェルスオリジナルのまがい物が出回っている事に憤慨していた。それで特許を取ろうと言う話になったのだ。矢羽根の付け方から長さ、太さ、鏃の大きさ、シャフトの太さや筈巻の長さまで、細かく規定を作って公開し、規定通りの物だけをウェルスオリジナルブランドとして商標を付けて販売すべきだと。

 ディーナにはどういう理屈でお金が手に入る事になるのか分からなかった。ウェルスにさえ本物のウェルスオリジナルを届けることが出来れば良かったので、正直どうでも良かったのだが、まがい物が出回るとヴィダル弓具専門店の商品も疑われかねないと言われて承諾したのだ。


「それにしても、思い切った事をしましたね。申請時にはかなりのお金がかかったはずですが」

「そうなのか?」

「ちなみに特許権を維持するにも、毎年お金がかかります」

「えっ!! じゃあこんな金いらないよっ」


 青年に突き返そうとした封筒を、横からコリーンが奪って行く。そして中身を確認して首肯した。


「大丈夫ですよ、ディーナさん。毎月これだけの額が入って来るなら、十分な黒字になります。特許権を放棄するのは、売れなくなってからで良いでしょう」

「うーん、今月の売り上げは落ちてるのに、お金が入って来るのっておかしいと思うんだけど」

「他店でウェルスオリジナルが売れている証拠ですよ」

「他の店で売れて、何であたしんとこに金が入ってくるのかがよく分かんないんだなぁ……まぁいいや。これにサインしても大丈夫って事だろ?」


 コリーンは受領証明書にざっと目を通して頷いた。


「大丈夫です。何も問題はありません」


 コリーンの承諾を得たディーナは拙い字でサインを書き、青年はようやく貰えたサインを見てほっとしている。


「あ、あのさ」


 ディーナは帰りかけた青年に向かって声をかけた。


「これ、もしライズの……別の奴の名前で登録されてたら、どうなった?」

「もちろん、その人の所に支払いに行きますよ」

「そいつが行方不明だった場合、どうなる?」

「あまり前例はありませんが、特許権が切れるまではこちらでお金を預からせて貰うことになるでしょう。特許権が切れても現れない場合、国のお金になります。それがどうかしましたか?」

「いや、なんでもない。ありがとう」


 どうしてライズは自分の名で登録しなかったのだろうか。登録しておけば、お金を取りに来るだけでかなり稼げたはずなのに。


「ねぇ、コリーン」

「何ですか? ディーナさん」

「人がお金を持ち逃げする理由って、なんだ?」

「そうですね。根っからの悪党か、お金に困っていたからじゃないでしょうか」

「何か、理由があったのかな……ライズって、悪党って感じじゃなかったんだよ。狩人特有の粋みたいなのがあってさ」

「私はライズさんという方は知りませんが、そういう方ならここを出る時、置き手紙のひとつでも書いて行きそうなものですけどね」

「……うん」


 もしかしたら、ライズは手紙を書きたかったのかもしれない。しかしディーナはまともに読めないので、書いても無駄と思ったのだろう。


「コリーン、あたしに字を教えて貰えるかな……覚えたいんだ」


 コリーンはニッコリと笑って、勿論ですと答えてくれた。


 そんな事があった三ヶ月後の事だ。ディーナの元に、ライズが捕まったという情報が入って来たのは。

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