第14話 金が必要

 ライズが金を持ち逃げした。

 信用していた人物に裏切られた悲しみはさざ波のようにディーナに押し掛け、やがて飲み込んだ。

 金はポケットの中に小銭がいくらかあるだけ。どこか集金できる所はないか探したが、ご丁寧に全ての集金を終わらせてから持ち逃げしたらしい。

 しかも食料庫にあった保存食も全て消えていた。残っていたのは、保存のきかない野菜が少し。


「飢え死にしろってのかよっ」


 悲しみがピークに達すると、今度は怒りが溢れ出した。

 こんな仕打ちをするくらいなら、最初から優しくなどしないで欲しかった。そういえば、彼は稼げ始めたらがっぽり貰うと言っていた。最初からそのつもりだったのかもしれない。

 ディーナはこれからの事を考える。

 とにかく家賃を払う金を調達しなければならない。以前滞納し過ぎたせいで、今度滞納する事があったらすぐに出て行けと言われてしまっている。

 では、どうやって金を作るか。

 前回のように貸金を頼って元手を借りるか。しかし、あれはライズがいたから出来た芸当だ。ライズが返済計画を作り、低利息で借りられるように交渉してくれたから何とか返すことが出来た。字の書けない、しかもまともに読めもしないディーナが交渉すれば、高い利息で契約してしまっても気付かない。そうなれば、返すどころか借金地獄だ。


 ふと、お腹が空いたなと立ち上がる。外は暗く、今から狩りに出ようという気分は起こらなかった。

 ふらふらと露天の並びを歩いていると、いつか食べたおでんのいい香りが漂ってくる。ディーナはつられる様に暖簾をくぐった。


「らっしゃい! どれにするね!?」


 威勢のいい声が聞こえて、ディーナはおでんを見回した。そして、こんにゃくを見つけて指を差す。


「へい、こんにゃくね! 他は!?」

「それだけでいいよ、金がないんだ」


 そう言ってポケットから五十ジェイアを取り出した。それを渡すとこんにゃくが容器に入れられて出てくる。


「これは、オッチャンの奢りだ!」


 そういうと露天のオヤジは、容器にタマゴも入れてくれた。


「こんにゃくもいいけどよ、栄養もカロリーもほとんどねーからな! その点、タマゴはいいぞ! 栄養満点で腹も膨らむ!」


 ガハハと豪快に笑われ、つられてディーナも笑みを見せた。


「ありがとう、オッチャン」

「おうよ!」


 ディーナはこんにゃくとタマゴの入った容器を手に、ベンチに腰掛けた。

 ウェルスと一緒に食べたおでん。ひとくち食べると、懐かしさが込み上げた。出し汁を少し飲むと、その温かさが体全体に染み渡る。


「ふ……うう……」


 ウェルスもこんな気持ちだったのかもしれない。愛する者に裏切られた時、彼はあの後どこに行ったのだろうか。同じ様にここでおでんを食べて泣いたのかもしれない。


 おでんって、泣ける食べ物だったんだな。


 そんな事を思いつつ、ディーナは涙を流した。

 ウェルスを裏切った事を、激しく後悔しながら。



 次の日、ディーナはコンポジットボウを完成させて、アルバンの街に向かった。

 今回はウェルスに直接渡すつもりだ。ディーナはコンポジットボウと請求書を握り締めて兵舎に入ったが、あちこちとウェルスを探し回るも、そう簡単に見つかるはずがない。

 騎士には幾人か出会ったが、ウェルスはどこだと聞く気は起きなかった。用を聞かれて弓の納品に来たと言えば、渡しておくと言われかねない。かと言って、騎士以外に知り合いはいない。誰かに呼ぶよう伝えるにも、誰に頼めばいいか分からなかった。

 ウロウロしていると、目の前からいつかの人の良さそうな男が歩いてくる。名前は確かケビンだったか。この人なら知っているだろうか。話しかけようか迷いながらチラチラ見ていると、男は「おや」と声を上げて、笑いながらこちらに向かって来た。


「これはいつかのお嬢さん。貴女が書いたファンレター、ちゃんとウェルスさんに渡しておきましたよ」

「ああ、ありがとう」

「ウェルスさんはとても喜んでいました」

「ほんと? だったらあたしも嬉しいや」

「このファンレターを書いた人が現れたら、会わせて欲しいと頼まれていたんです。今お時間はありますか? ウェルスさんを連れて来たいんですが……」

「う、うん! 是非頼むよ!」


 棚ぼた的にウェルスと会える事になり、ディーナはホッとした。


「探さなければいけないので少し時間がかかるかもしれませんが、ここで待っていて下さい」

「分かったよ」


 ディーナはケビンを見送り、近くにあった椅子に腰を下ろした。そして足元に置いてある新聞を手に取り、何となく広げてみる。

 読めないがぼーっとしているのも暇なので、イラストを中心に目を走らせた。すると『ウェルス』の文字が飛び込んで来て、ディーナは噛り付く。


「ウェルス……こい、び、と……」


 恋人だ、と分かると、顔が引きつった。ディーナは急いで続きを読む。


「……ウェルス、えがおを……」


 ウェルスが、女性に笑顔を見せた、と言う所を読むことが出来たディーナは、ガクガクと震えながら涙を流しそうになった。

 あのウェルスが、ディーナ以外の女性に笑顔を向けている。ディーナ以外に知り得なかったあの笑顔は、もう別の人の物なのだ。


「二人は、……れん、あい…………を…………」


 ウェルスは、良い人を見つけていたのだと思うと、嗚咽が漏れそうになった。

 しかしいつウェルスが来るかも分からないこの場では泣けない。もう別れてから三年も経っているのだ。そんな人が現れていてもおかしくはない。そう自分に言い聞かせてグッと涙を飲み込んだ。


「ディーナ」


 後ろから声を掛けられ振り向くと、そこにはウェルスがいた。


「ウェルス……」

「読んだのか?」


 ディーナは新聞を持っていたのだから、読んだのか気になるのは当たり前だろう。ディーナはコクリと頷いた。


「そうか。記事の通りだ」


 ウェルス本人から肯定の言葉を聞くと、目眩がした。


「へ、へぇー……そうなんだ。良……」


 ウェルスを祝福する気持ちが起こらない。良かったな、なんて口が裂けても言えそうになかった。自分はこんなにも心の狭い人間だったのだなとディーナは痛感する。


「あの、これ、出来たから持ってきた」


 コンポジットボウを受け取ったウェルスは、それの感触を確かめる様に弓を引き分けている。


「……うん、いつもの弓と同じだ。ありがとう、ディーナ」

「い、いや……」


 お礼を言われる必要はなかった。今からディーナはウェルスに、吹っ掛けるつもりなのだから。


「請求書を」


 ウェルスに促され、ディーナは恐る恐るそれを渡した。その金額は、コンポジットボウ分の代金に、今月分と来月分の家賃、さらに鏃と矢筈、それにシャフト用の木を五セット買い付け出来るだけの金額を上乗せした価格。以前ウェルスに売ったコンポジットボウと比べると、十倍以上の値段になっている。

 しかしウェルスはその請求金額を確認しても、顔色ひとつ変えなかった。無表情、そのままだ。


「わかった。今は手持ちが無いが、近いうちに誰かに届けさせよう」


 いくらなんでも、請求金額がおかしい事には気付いているはずだ。何も言われずにホッとすると同時に、悲しみと怒りが沸き起こる。


「……何で、何も言わないんだよ……どう考えたって、高すぎるだろ!?」


 ウェルスはそれでも顔色を変えたりはしなかった。


「この弓にはそのくらいの価値がある。この弓がなければ、私は戦場で生きて行かれないのだから」

「違うっ!! ぼったくってんだよっ!! あたしは、ウェルスの人の良さにつけこんで……っ」


 ウェルスの胸をどしんと叩き、そのまま崩れる様にディーナはその場に頭をつけて土下座した。


「金を……、金を、貸して下さい……っ」


 こんな風に頼む人間を無下にするほど、ウェルスは冷たくはない。またウェルスの優しさを利用してしまっている自分が嫌になったが、それでもこれが今の自分にできる精一杯の誠意だ。

 いつの間にかディーナの目からは涙が溢れ、目の前の床を濡らし続けている。


「ディーナ……何があった」


 ウェルスは跪くようにディーナの前にしゃがみ、ディーナの顔を優しく上げさせた。

 ディーナの涙は止まることを知らず、ヒックとしゃくり上げながら愛しい人の顔を見る。


「ライズが……ひ、ひっく。金を、持ってった……全部、持ち逃げ、ひっく、さ、された……」

「……ディーナ」

「ひっ、うう……いい気味、だろ……ひぃっく……あた、あたしは、ウェルス、を、裏切った、ひっく、罰が、当たったんだ……っひ、ひっく」

「ディーナ!」


 ウェルスはディーナを強く抱き締めてくれた。彼には恋人がいるのだから、こんな事をさせてはいけない。そう頭の隅で思ったが、久々に抱き締められる居心地の良さに、そんな考えはどこかに吹っ飛んで行った。


「心配しなくていい。ライズは指名手配しよう。必ず捕まえる。お金も店が立て直せるくらいの資金はある。経理担当が必要なら、こちらで信用出来る人材を用意する」

「ひ、ひっく……」

「だから泣くな、ディーナ。ディーナが泣くと、私も悲しい」

「ウェ、ルス……」


 ウェルスの言葉に甘えるようにディーナは抱き付いた。ウェルスは何も言わず、ずっと抱き締めてくれている。

 あの時に戻れた様な気がした。

 理解し、理解され、互いが一番大切だと思っていたあの時に。

 でも、今はもうウェルスには……。

 ディーナはゆっくりとウェルスから離れた。


「迷惑かけてごめん、ウェルス……必ず金は返すから、心配しないでくれよ」

「気にしなくていい。困った時はお互い様だと、昔ディーナが言っていたではないか」

「うん、でも……ごめん、本当にありがとう、ウェルス」


 ホッと一息つくと急にお腹が空いて来て、ディーナのお腹が派手にぎゅるると鳴った。


「っあ」

「食べていないのか」


 ディーナは顔を赤らめながら頷くと、ウェルスはいつも首から下げている巾着を取り出した。

 そしてそこから五千ジェイアを取り出してディーナに握らせてくれる。


「私は今から軍議があるので一緒には食べられないが、これで当面を凌いでくれ。明後日には、まとまったお金を用意出来ると思う」

「うん、ありがとう……ウェルス、何か落ちたよ」


 お金を取り出した際にひらりと落ちた紙を拾い上げる。


「すまない、大切な物だ」

「へぇ、何?」

「ファンレターだ」

「……それって……」


 ウェルスはその紙を開くと、ディーナに見せてくれた。

 そこには下手な字で『ウェルスすごい』と書かれている。


「ディーナだろう? これをくれたのは」


 ディーナは素直にコクリと頷いた。ウェルスから、嬉しそうな笑みが零れる。この笑顔、三年ぶりだ。


「常に持ち歩いてお守りにしている。私の宝物だ」

「ウェルス……ありがとう、嬉しいよ」


 今すぐにでも飛び付いてキスしたい。力の限り抱き締めたい。

 しかし何とか思い止まった。ウェルスの彼女が見ていないとは限らない。

 それに元奴隷と浮き名を流したとあっては、ウェルス自身もどうなるか分からなくなる。


「また連絡する」

「うん、待ってるよ」


 ウェルスが去って行くのをディーナは愛おしい瞳で見送った。

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