元奴隷とエルフの恋物語
長岡更紗
第1話 出会い
古びた扉を開けて、その人は入って来た。
「いらっしゃい」
ディーナがそういうと、その人は……いや、そのエルフはディーナに一瞥をくれただけで、店内を見て回っている。
こういう客には必要以上に話しかけてはいけないことを、ディーナは理解していた。聞かれたことにだけ答える。困っている時にだけ話しかける。この店の主人……ディーナの祖父に、そう教わっている。
「これは、何の羽だ?」
不意に話しかけられ、ディーナはその矢を確認した。
「ああ、グリフォンだよ。鷲や白鳥と違って手に入れにくいんだ。その分高価だけど、飛距離は伸びる」
「この矢とこっちの矢では、羽根の付き方が違うようだが……」
「ああ、
「……」
お客が黙ってしまったので、ディーナも目を手元に戻した。なめした革を型通りに切っていく。するとエルフがその作業を覗き込んで来た。どうやら興味がある様だ。
「これはカケだよ、ユガケ。弦を引くときに手が痛まない様にするやつさ。グローブで代用する奴が多いけど、親指の付け根に溝を作ってあるのはユガケならでは。エルフの世界には、こういうのは無いかい?」
「無い。皆、素手だ」
「まぁ、その弓じゃ必要なさそうだもんね」
ディーナはエルフの背中に携えている弓を指差した。 単弓と呼ばれるそれは、森の中での狩りに一番適した物だ。戦争で使われる弓とは全くの別物。
森と生活するエルフならではの武器と言えるだろう。
「うちではその手の矢は売ってないよ。どうしてもっていうなら、二、三日待ってもらうことになるけど」
「いや、いい。この国の弓の事を教えて欲しい」
「ああ、いいよ」
ディーナは長身のエルフと同じくらいの長い弓を手に取ると、彼に渡した。
「これは和弓。重さは三十キロだ」
「そんな重さはない。二キロもないはずだ」
エルフに言われ、ディーナは笑った。
「はは、すまないすまない。三十キロってのは引きの強さの事さ。ちょっと引いてみな」
ディーナに言われるがまま、エルフは弓を引いた。ギシギシ、という音を立てて弓がしなる。
「どうだい?」
「重い、な。私の弓とは比べ物にならない」
「その弓は、もっと後ろまで引くんだ。そうそう、耳の後ろまで……」
その瞬間、バチンと音がして弓が形を取り戻した。エルフの手から、弦が離れたのだ。
「大丈夫かい? 強い弓だろう?」
「射程は……?」
「この弓なら、六十メートルくらいなら狙い打てるよ。単純に距離だけ伸ばすなら、二百は行く。完全に遠的用さ」
「利用目的は……?」
「平地での狩り。空飛ぶ獲物の狩り。それと、戦争では後方からの支援になるね。この弓は強いから連射が効かない。もう少し前線で活躍するのは、十二キロから十六キロの弓ってところだ。これくらいの強さだね」
もうひとつ別の和弓を手渡すと、エルフは先ほどよりも簡単に引いていた。
「これでは少し軽い。それにこの和弓という物は長過ぎて、移動が困難だ」
「お客さん、目的はなんだい? それが分かれば、見合った物を出せるんだけどね」
「ミハエル騎士団への入団だ」
「……へぇ」
ディーナは素直に驚いた。どう見ても森から出てきたばかり、という風体のエルフがミハエル騎士団へ入団志望とは。
「じゃ、ボウガン、コンポジットボウ辺りが主流だね。こっちがボウガン、これがコンポジットボウ」
二つを見せるも、エルフはボウガンの方には見向きもしなかった。弓の様に縦ではなく、横という形状が気に入らなかったのかもしれない。
「コンポジットボウは、職人の腕に大きく左右される武器でね。同じ名前だからと言って、使い勝手が同じだと思うと痛い目に合うよ。性能の良いコンポジットボウの威力は凄まじいし、連射も効く。肘程度まで引くだけで五十メートル飛ぶし、ユガケを使って耳の後ろまで引けば五百メートルも飛ぶって話だ」
「五百……これが、か?」
エルフは、グッと力を入れて弦を引いた。コンポジットボウは強く反発するものの、彼の力によって文字通り弓なりになる。
「これはそんなに飛ばないよ。言ったろ? 職人の腕に左右されるって。複合弓ってのは、強く作るのが難しいんだ」
「だが、これは持ち手が良い。引きも重過ぎず軽過ぎない。……これがいい」
「そうかい。それも悪くない品だよ。あたしが作ったんだからね」
自分の作った物を褒められるのは嬉しい。ディーナは満面の笑みをエルフに向ける。
「けどそうなると、矢が特注になるね。お客さん、背が高いから既製品じゃ短かすぎるんだ。ちょっと測らせてよ」
ディーナはメジャーを手に取り、エルフの左の指先から右の肩までの長さを測った。思った通り今置いてある矢では、一番長い矢でも十センチ以上足りない。
「お客さん、身長いくつ?」
「一九八センチだ」
「わお。間違いなく、今までで一番の長身だ」
ディーナより四十センチも背が高い彼を見上げ、大仕事になりそうだとワクワクした。
「シャフトと羽根の素材はどうする? これがサンプル。好きなのを選んでくれ」
「……お勧めは」
「そうだね、ファレンテイン人は鉄製を好むけど、それが良いとは必ずしも言えないと思う。矢は消耗品だから、長時間の戦闘に備えることも考えて、重い鉄より木製を推奨するね。こっちの樫の木のシャフトは他の木製より少し重いが、一番硬度が高い。もしくはこれ、栗の木のシャフトだね。雨の中での戦闘でも強度を保ったままだし、腐りにくい」
「栗の木の方にしよう」
「戦争で使うつもりなら鏃は鉄製の方がいいが、どうする?」
「そうしてくれ」
「じゃあ矢筈も鉄製にするよ。そうしないとバランスが悪いんだ。羽根はどうする? 七面鳥、白鳥、鷲、鷹、ハナハク、グリフォン……」
「グリフォンだ」
「グリフォンね……在庫がないから少し待ってもらうことになるけど、構わないかい?」
ディーナの問いにエルフは首肯した。
「オーケー。あと矢の長さだけど、近的用と遠的用と両方いるかい?」
「ああ、欲しい」
「じゃあ矢筒もいるね。近的用は腰巻き、遠的用は背掛けで作っておくよ。遠的も使用するならユガケはあった方がいいが、作るかい?」
「お願いしよう」
ディーナはエルフの右手を取ると、紙の上に乗せた。そして鉛筆で手型を取って行く。大きな手だ。これほど大きなユガケを作るには、思った以上に革を使う。
「お客さん……矢は何本作る? 全部の予算はどれくらいだい?」
エルフは首にかけた紐を引っ張り、胸から小さな巾着袋を取り出した。ジャランと小銭の音がし、ディーナは嫌な予感がする。
エルフにその巾着袋を渡され、恐る恐る中を確認したディーナは溜め息を漏らした。やっぱりだ。
「お客さん、これじゃあコンポジットボウも買えないよ」
大きな仕事だと思ってしまったのが間違いだった。その風体を見ればすぐわかりそうなものだというのに、今の今まで気づかなかった自分が嫌になる。
エルフは、ずっと手に持っていたコンポジットボウをディーナに返してくれた。彼の表情は変わらなかったが、何となく寂しそうだ。
「あの、さ……あんた、この街は初めてだろう?」
エルフはコクリと首を縦に下ろす。
「どこか、泊まる当てはあるのかい?」
今度は首を横に振った。
「事情は知らないけどさ、その格好……森を出て来たんだろ? その……立ち入る気はないんだが、エルフの里に戻るつもりはないのかい?」
エルフは首を縦にも横にも振らずにじっとディーナを見た。彼の顔には『戻るつもりはない』としっかり書いてある。
エルフには、人間嫌いが多いと聞く。そんなエルフがミハエルの騎士を目指すのだ。何か、よほどの理由があるに違いない。
「あのさ、泊まって来なよ!うちは狭いけど、じーちゃんしかいないから気兼ねしなくていい」
「…………しかし」
「いいから! なんか、事情があるんだろ!? 聞きゃあしないよ。いいから、泊まって行きな!」
「…………」
エルフは黙り込んでしまった。彼には理解出来ないのだろう。ディーナが何故、こんなにも親身になってくれるかを。
「ほら、中に入りなって! おーい、じーちゃん!」
エルフの手を取って引っ張り込もうとした時、ディーナの袖から黒いものが零れた。ディーナはエルフの視線に気づいて、慌てて袖を下ろす。そして誤魔化すように少し笑って彼を見上げた。
「そういや、あんたの名前は?」
「ウェルス」
ウェルス。綺麗な響きの名前だ。確かエルフ語は、リンリンと鈴が鳴る様な言葉だと聞いた事があるが、ウェルスと言う名は耳に心地いい、正に透き通る鈴の音の様だ。
「あたしはディーナ。騎士になるつもりなら、あたしの話を聞いて行っても無駄にはならないよ。今日は泊まっておいで」
強い語勢から一転、優しく宥める様に話しかけると、ウェルスはコクンと頷いた。
ファレンテイン貴族共和国のトレインチェ市内にある、ヴィダル弓具専門店。ヴィダルとは、ディーナの祖父の名前である。
トレインチェには武器屋は多数あるものの、弓具専門店となるとヴィダルの店しかない。弓に関する品揃えならどこにも負けないと、ヴィダルは自負している。
ディーナがウェルスを連れて家の中に入ると、そのヴィダルは鏃をこさえていた。
「じーちゃん! じーちゃん!」
「聞こえとる。なんじゃ」
ヴィダルは振り向くと、椅子に腰掛けたままウェルスを見上げた。
「誰じゃ?」
「ウェルスってんだ。行くとこないみたいだから、泊まってもらうことにした。いいだろ?」
「ああ、好きにするとええ」
あっさりと許可をもらえた。そのことにウェルスは少なからず驚いている様だ。表情に全く変わりはなかったが。
「ウェルス、あたしのじーちゃんのヴィダルだ。後遺症で耳が悪いから、話しかける時は大きな声で頼むよ」
「ふん、唇くらい読めるわ。気にせんでええぞ、若いエルフ」
「ウェルスだってば。聞こえてないんじゃないか」
「分かっとるわ! 言うてみたかっただけじゃい!」
二人のやりとりをよそに、ウェルスは「世話になる」と頭を下げていた。
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