episode5

「は?!」

「いや、だからさ。もしかしたら俺、赤井のこと好きだったのかなぁと思って、さ」

 俺の顔をまじまじと見つめる三人。俺はたまれなくなり視線をらした。

「なるほどね。告白されたあとに、そういう夢を見たんだ」

 俺の向かいに座る伊集院が興味深げに俺を見ている。恥ずかしさのあまり顔を伏せ、小さくうなずくと、秋山が腹を抱えて笑い出した。

「おっ前、おっもしれぇ!」

 隣でテーブルをバンバンと叩きながらバカ笑いする秋山。伊集院の隣に座る柊を見ると、なんとも言えない表情で俺を見ている。逃げ出してしまいたい。……だから、言いたくなかったのに。思わず、笑いすぎて咳き込んでいる秋山の頭を小突こづいた。

 そもそも、何故こんな状況になっているのか――。

 ラウンジで問い詰められた俺は、観念かんねんして秋山に中庭でのことを話した。夢の話はもちろん伏せて。

「なんだよ。俺のいない間にそんな面白いことがあったのか。――で? 振ったお前が何故落ち込む」

 落ち込んでなんていない、と否定したが秋山はしつこかった。

 なんなんだお前は。前世はスッポンだったのか。それでもかたくなに否定し続けると、「じゃあ、今日お前ん家に行くから」と秋山が宣言した。

「なんで?」

「くくく、柊邸でみんなでお前に尋問じんもんしてやるのさ」

 秋山が声色を変え、芝居がかった口調で言った。

「一人で飯食うのが寂しいだけだろ」

「それもある」

「柊さんに迷惑だろ」

 文句を言う俺に不敵な笑みを浮かべたスッポンは、おもむろに携帯を取り出した。なにをするつもりなのか。

「あ、柊さん。今日飲みに行ってもいいですか? 祐一を一緒に尋問じんもんして遊びませんか?」

 どんな遊びだ。というか、いつの間に携帯番号を交換したんだ。呆れる俺に秋山がVサインを作ってみせた。

「じゃあ、またあとで」

 柊もその遊びに乗ったらしく、秋山は満足そうに携帯をしまった。そして秋山に連れられて柊の家に行くと、柊だけでなく伊集院の姿まであった。

「面白そうだから呼んどいた」と柊。

 夕食の焼肉――伊集院が土産として持ってきた肉――を堪能たんのうした後、俺は三人からの質問責めに屈して夢の話をし、今に至る。

 三対一なんてズル過ぎるし、この三人に勝てるわけがない。

「でも、夢の奴は赤井じゃなかったんだろ?」

 落ち着きを取り戻した秋山が、テーブルの上の缶ビールを手に取った。

「そうだけど。……お前、飲むなよ。弱いんだから」

「こんなおもろい話、飲まずにいられるか」

 秋山は「ひひ」と笑い、ビールを口に含んだ。

「その時、近くに誰かいた?」

 しばらく考え込んでいた伊集院が口を開いた。

「え? ああ、柊さんがいましたよ。ね?」

 伊集院の隣で黙り込んでいた柊に相槌あいづちを求めると、「ん? あ、ああ」とうなずいた。

「ふぅん、隼人かぁ」

 伊集院がちらりと柊を見てから俺に向かってニッコリと笑い、「まぁ、赤井さんて女の子は関係ないと思うよ」と言った。

「そう、ですか?」

 伊集院がなにを根拠にそう言うのか分からなかった。納得しかねる俺に、「その彼女が別の男と歩いている姿を見て君はショックだった?」と伊集院。

「え?」

 俺はさっきの早瀬と彼女のことを頭に浮かべる。

「……別に、かな? 拍子抜けしたっていうか」

「だろ? 君の抱えている悩みや不安が人やものという形で夢に出てきただけだと思うよ」

「……なるほど」

 そうなのか? でも確かに、赤井と早瀬が一緒にいる姿を見てもなにも思わなかった。……改めて考えると、告白してきた女の子が別の男と一緒にいる姿を見てもなにも感じないということは、紗織のことは抜きにしても、俺は赤井のことなんとも思ってないんだな。赤井も俺のことを本気で好きだとは思っていないだろう。それを分かっているから、彼女に好意を持てないのかもしれない。

「あるだろ? 若いんだからひとつやふたつ、悩みや不安が」

 伊集院がビールを手渡してきた。俺は我に返り、ビールを受け取りながら「そりゃもう不安だらけですよ。もうすぐ試験もあるし」と肩をすくめてみせた。

「欲求不満なだけかも」

 秋山が意地悪く笑った。

「うっさい」

「にしても、君は面白いね」

 頬杖をつき、俺を見ながら伊集院がクスクスと笑う。

「やっぱり言うんじゃなかった」

「いやいや、今どき貴重だよ」

 両手で持った缶ビールの飲み口を口につけ、「嬉しくないですよ」と俺は不貞腐ふてくされる。

 いい歳して夢に振り回されるなんて、ほんと恥ずかしい。たまれない思いでビールをあおり、深く溜め息をついた。

「お前もそう思うよな。なぁ、隼人」

 伊集院が柊に同意を求めた。

「そうだな」

 柊がぎこちなく笑う。さっきから様子がおかしい。

「柊さん、どうかしたんですか?」

 のぞき込むように柊の顔を見ると、「いや、なんでもないよ」と柊がスッと目をらした。

「でも、今日気分悪そうでしたよ」

「そうなのか?」

 伊集院は、缶ビールを口元に運びかけていた手を止める。

「いや、大丈夫だ。本当になんでもない」

 柊は空の缶を何本か手に取ると、キッチンへ入っていった。柊のうしろ姿を見ていた伊集院が「ねぇ、三澤くん」と手招きをして顔を寄せる。

「その時、隼人はどんな様子だった?」

 俺は口の中のビールをのどに流し込むと伊集院と同じように顔を寄せ、「遠くから見ただけですけど顔色が悪かったです」と小声で答えた。

「ふぅん」

 伊集院は椅子にもたれかかり、顎をさすりながら考え込む。

「ところで、君その時なにしてた?」

「俺ですか? カウンターで本を借りてました」

「秋山くんと?」

「いえ、赤井とです」

「なるほど、ね」

 伊集院がひとり納得したようにうなずく。

「なにか分かったんですか?」

 ひとりで納得する伊集院にれったくなり、テーブルに身を乗り出して急かすようにたずねた。満足げな伊集院は美味そうにビールを口に含み、「ん? ああ、隼人なら大丈夫だよ。いつもの貧血だ」と答えた。

「そう、なんですか?」

「アイツ、よく貧血になるんだ。長いのに細いだろ? もっと食えって言ってんだけどね」

 両手を使ってジェスチャーしながら説明する伊集院。医者の彼がそう言うのなら、大丈夫なんだろう。俺はホッと息をついた。

「なに話してるんだ」

 柊が、茹でたアスパラガスを皿に盛って戻ってきた。なかなか戻ってこないと思っていたら、つまみを作っていたようだ。

「学校の話だよ」

 伊集院は手元の箸を掴むと、テーブルに置かれた皿の上のアスパラガスを口の中に放り込んだ。柊は、ほんとかよ、と疑いの眼差しで伊集院を見ている。

 そんな柊を無視して「なぁ、なんか観ようか」と伊集院は立ち上がり、DVDのコレクションの前に立った。いくつか品定めをしながら、「三澤くんなに観たい? 君が決めていいよ」と振り返る。

「え、でも」

 秋山を見ると、頬杖をつきながら器用にバランスをとって眠っている。静かだとは思っていたが、回を重ねるごとに眠りに入るのが早くなっていないか。

「可愛いねぇ。結構早い段階で夢の世界にいってたよ、彼」

 壁に寄りかかり、伊集院は肩を揺らして笑った。

うらやましい酔い方だよな」

 柊も、くっくと笑っている。二人が楽しそうに笑うものだから、俺もつられて笑ってしまった。

 誰かを不快にさせるわけでも、傷つけるわけでもなく、楽しみながら眠りにつくという酔い方は、いかにも秋山らしかった。

「あ、コレ懐かしいな」

 伊集院が一枚のDVDを手に取り、目を細めた。

「これを観たあと、初めてのキスをしたんだよね。俺」

 伊集院が『がために鐘は鳴る』と書かれたDVDを俺たちに見えるように向けながら言った。俺は思わず声を出しそうになる。

「俺もだ」

 柊は短く答えると、箸で摘んだアスパラガスを口に放り込んだ。

「えっ」

 俺は声を上げる。

「あれ、三澤くんも?」

 クスクス笑いながら伊集院が俺を見た。

「あ、いえ」

「ああ、それで」

 柊が納得したようにうなずく。俺は照れ臭くなりうつむいた。秋山が寝ていてよかった。

「三澤くん、別に恥ずかしがることないよ。可愛いねぇ」

「あの場面は秀逸しゅういつだからな」

 柊が呟いた。俺は顔を上げ、ぼんやりと遠くを見ている柊を見る。

 当時のことを思い出しているのだろうか、と柊を見つめながら、俺はあの日の記憶をよみがえらせる。


 ――キスをする時、鼻は邪魔にならないのね。


 俺の部屋で一緒にDVDを観ていた紗織がそのセリフを聞いて、「そうなのかな」と呟いた。俺は高鳴る胸の鼓動こどうを抑えながら、「……試してみる?」と彼女の肩に手を添えた。

 幸せだった時間。

 もう戻らない関係。

 終わったことだと俺は顔を伏せ、小さく首を振る。ふと視線を感じて顔を上げると、柊が俺を見ていた。心の内を見透みすかされているような気がして俺はたまらず視線をらした。

「でも、これは素面シラフの時に観たいよね」

 DVDを一旦棚に戻し、軽い足取りでキッチンへと入っていった。そして冷蔵庫を開ける音が聞こえたかと思うと、「隼人、ビールがもうないぞ」と声が聞こえてきた。

「向かいのコンビニ行って買ってきて」

 柊がキッチンに向かって言うと「俺が?」と伊集院が不満そうに戻ってきた。

「お前が」

 即答する柊。

「俺は客だぞ?」

「客だと思ったことなんて一度もない」

「じゃあ、今から客ってことで」

「お断りだ」

「あ、じゃあ俺が」

 立ち上がろうとする俺に伊集院は人差し指を立て、「ノンノン。ここは、ジャンケンだ」と宣言した。

「いい大人が言い出すことか?」

 柊が呆れた顔をする。伊集院は「ふふん」と鼻で笑い、「これほど公平な決め方はないよ。ねぇ、三澤くん」と俺に同意を求めた。

「え、あ、はぁ」

 俺を味方につけて満足げな伊集院に、柊は肩をすくめてみせた。

 伊集院も酔ってるのだろうか。やっぱり自分が、と言い出そうとした時、「ハィ、三澤くん。じゃーんけーん」と伊集院がかけ声をかけた。

「ほいっ!」

 俺は慌てて手を出す。

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