episode5

「さっきの女の人、柊さんの彼女ですか?」

 秋山が食器棚から皿を取り出しながら遠慮なしに尋ねた。

「友達だよ」

「綺麗な人ですね」

「今度、彼女に言っておくよ。きっと喜ぶ」

 柊はニコリと笑い、カレーをよそった皿を俺に手渡した。流れ作業の最後に置かれた俺は手渡された皿をダイニングテーブルまで運ぶ。

「柊さんってモテますよね。身のこなしとかスマートだし、女性ってそういう人好きだし」

 背中越しに聞こえてきた秋山の声。何気なにげに失礼な気もするが、柊はそんなこと気にしていない様子で「はは」と乾いた声で笑った。

「そういう女性は大抵たいてい外見がいけんしか見てないものだよ。ブランドバッグを持つようなもんだ」

「ブランドバッグ?」

虚栄きょえい。いかに自分はセンスのいいものを持っているか、と周囲にアピールしたがる。その見本が――」

「ブランドバッグですか」

 納得するように秋山が呟いた。

「そう。だから男も、ね」

 柊はクスリと笑う。自嘲じちょうを含んだ笑いにも見えた。

 俺はさっきの女性を思い出す。ブランドバッグに多分ブランドもののワンピース。それを一生懸命着こなそうとしていた女性。あのエレベーターで見た彼女の表情こそ、素の彼女だったのかもしれない。前に見た女性もどこかそんな感じがする。

「うーん、深慮しんりょだ。俺も気をつけよ」

 秋山が腕を組みながらうなった。

「はは、大袈裟だな。でも、女は魔物って言うからね。気をつけてね」

「怖いなぁ」

 秋山は大げさに身震いをしてみせた。

「さぁ、おしゃべりはあとに取っておいて食べよう」

 柊の一声で俺たちは席に着くとカレーを食べ始める。柊はカウンター前に置かれていた椅子を、秋山の隣に運び席に着いた。

「美味い! レトルトのカレーが食えなくなる」と秋山。

「ほんとだ、おいしい」

 色々なスパイスの味が口の中に広がる。辛さもちょうどいい。バクバクとカレーを頬張る俺たちを見ておかしそうに笑いながら、「それで、レポートは書けたのかい?」と柊が聞いてきた。

 俺たちは顔を見合わせ首を振る。

「本は読んだんですけど、まだ」

「そう。学生は大変だね。勉強もバイトも忙しくて」

「そうなんですよ! ほんと、大学ってもっと楽だと思ったのに。彼女作る暇もないですよ」

 秋山は、嘆かわしいとばかりに額に手を当てて首を振った。えらく芝居がかっている。

「誰か狙ってる子でもいるの?」

 柊が尋ねると、「みんな、もう相手いるんすよねぇ」と秋山は溜め息交じりに肩をすくめた。

「みんなって……何人いるんだよ」

 思わず呆れる俺に秋山は恨めしげににらみながら口をへの字にする。

「あのね、お前と違って俺みたいなのは数撃かずうたないとなかなか当たんないんだよ。だからいつもいってんだろ? もっと有効に使えって。つーか、その顔くれ!」

 秋山が俺の頬を思い切り引っ張った。

「痛い、痛い」

 俺たちの様子を目を細めて見ていた柊が、「その子たち、男見る目ないんだねぇ」

「柊さんだけっすよ。そんなこと言ってくれるの」

 感激する秋山。そんな彼に俺は肩をすくめてみせる。

 バイトが忙しくて、それどころではないのは分かるが、それでも人当たりがよく話のうまい秋山は、彼が言うほどもてないわけではなかった。俺にないものをたくさん持っているのに、うらやましがられてもあまり喜べない。

「はいはい、秋山くんはいい男ですよ」

「お、イケメンの余裕か?」

「余裕なんてあるか」

「へん、棒読みでも嬉しいもんね」

 秋山が舌を出した。小学生か、お前は。

「コーヒーブレークしよう。君たち法学部だろ? 将来はどうするの?」

 キッチンに入っていった柊が、コーヒーカップを乗せたトレーを持って戻ってきた。しゃべりすぎてのどが渇いたのか、水を飲んでいた秋山が俺を見る。答えろ、ということらしい。

「彼は弁護士を目指しています」

 俺がそう言うと、柊は「君は?」と尋ねてきた。

 俺は迷った末、「俺は……検察官です」と答えた。その言葉に、柊は少し驚いたような顔をした。

「三澤くんはカフェオレでよかったよね」

 柊が俺の前にカフェオレの入ったコーヒーカップを置いた。前と同じ甘い香りが鼻孔に届いた。

「おこちゃまだな」

 秋山が鼻で笑う。

「うるさいよ」

「ところで、三澤くんは検察官になりたいんだ」

 席に着いた柊が興味深そうに尋ねてきた。

「……はい」

「てっきり弁護士を目指してるのかと思ったよ」

 俺はテーブルに視線を落とし、「いえ。俺は弁護士には向きませんから」と呟くように答えた。あまりこのことには触れてほしくない。俺はそのまま口をつぐんだ。

「どうして?」

 俺の気持ちを知ってか知らずか、柊はまっすぐ俺を見る。

「ど、うしてって……」

 言葉に詰まっていると、秋山が横から口を挟んだ。

「弁護士って被疑者を信じてなんぼ、じゃないですか。嘘つかれることだってあるし、ゆるせない人間だっている。でも担当弁護士に選ばれたなら、その被疑者のために尽力じんりょくしなくちゃいけない。――祐一は、信じる自信がないんですよ」

 秋山の最後の言葉に、俺は初めて秋山と言葉をわした日のことを思い出す。

 秋山とは、彼の落としたノートを俺が拾ったことがきっかけで知り合った。その場で意気投合いきとうごうした俺たちは、ラウンジで他愛もない話をしているうちに、将来についての話になった。

 彼はすでに弁護士になることを決めていた。俺が検察官になることを決めたのは、その一ヶ月ほど後になる。その時、彼に今と同じ言葉を言われた。

 傷ついたが、事実だった。

 身近な友人でさえ信じることができない時があるのに、見ず知らずの、しかも罪を犯している可能性のある被疑者を信じることが自分にできるとは思えなかった。その人間の人生を背負って裁判に挑む自信はなかった。――だから俺は検察官という仕事を選んだ。

 浅はかなのは重々承知じゅうじゅうしょうちしている。本当は自分みたいな人間が法律家になるべきではないということも。

 それでも、目を輝かせながら夢を語る秋山や他の仲間たちを見ていたら、自分も目指したいと思うようになっていた。

 そんな俺を、秋山は厳しい言葉とともに肯定してくれた。

 ――今、急いで答えを出す必要はないんじゃないか? 人の人生に関わる仕事だ、生半可なまはんかな覚悟ではやっていけないぞ。けど、卒業までの四年の間にお前の中の常識や認識が大きく変わるかもしれない。暫定ざんていとして検察官にしといて、一緒に法律家を目指すってことでいいんじゃないか?

 俺はその言葉に救われた。だから秋山と一緒にいることを選んだ。

 俺はチラリと秋山に視線を向けた。

 彼は俺の視線には気付かず、滅多めったに飲めないきたてコーヒーを存分に堪能たんのうしていた。

 秋山の話を真面目な顔で聞き入っていた柊が、「でもそれは、君が他人ひとときちんと向き合ってないからじゃないか?」と俺に問いかけた。俺は顔を強張こわばらせる。

 高校の卒業式前日、いつも一緒にいた友人たちが『壁を感じて踏み込めない奴』と俺のことを話していた記憶が蘇る。彼らと距離を取っていたつもりは毛頭もうとうなかったが、そう思われていたことにショックを受けた。紗織のこともあり、自分には人付き合いは向いていない、ひとりで生きていこうと思っていたところに秋山と知り合った。そして、俺が彼らと向き合おうとしなかったことを秋山に指摘された。

 なにも答えられないでいると、「キッツイですね。事実だけど」と秋山が苦笑くしょうした。

「だからこの四年、たくさんの他人ひとと付き合うんだよな。他人ひとを知るために」

 秋山のフォローに俺はうつむいたまま小さくうなずく。うなずくことしかできなかった。俺はカップの中に入ったカフェオレをじっと見つめた。

「じゃあ、俺も手伝ってあげるよ」

 柊が頬杖をつきながら言った。

「そうして下さい」

 柊と同じように頬杖をつきながら秋山はそう言うと、フッと真顔に戻った。

「でも、コイツをからかって遊ぶのはやめて下さいね」

 柊は意外そうな顔で秋山を見ると、ニッコリと笑みを浮かべ、「もちろん」と答えた。

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