第54話

「な、にを」

 目を見開いて固まる馨を美和は悲しげに見つめた。

「あなたは結局、最後まで気づかなかった」

 美和は沈痛ちんつう面持おももちでいる水島に向かって「黙っててごめんなさいね」と言うと若林に向き直り、「あなた方は、気づいていたんですね」と複雑そうな表情を浮かべた。

「あなたの書き込みがヒントになりました。Liberaはあなたですよね?」

「よく分かりましたね」

 美和は驚嘆きょうたんする。

「そんなに難しいことではないんですよ」

「そうなんですか。でも、ヒントって」

「書き込みでは、美奈さんが恋人に振られてひどくふさぎこんでいる、とありました。そして事件の前日には『赦せない』という書き込みも。私たちは始め、その別れた相手とあなた方の間で何かトラブルが起こったと考えました。けれど、どれだけ調べてもあなたが演じていた〈美奈〉さんと交際していた男性をみつけることはできませんでした。そこで視点を変えてみることにしたんです。ドイツに渡ったのが本物の美奈さんだったとしたら、と。そう考えると、すべてのことに説明がつきます。――美和さん、あなたは美奈さんを殺害したあと、彼女の持っていた携帯電話を使って佐伯さんに連絡を入れ、彼に遺体の確認をさせない為に家に火をつけた。違いますか?」

「……警察は、なんでもお見通しなんですね」

 美和は力なく笑った。

「この結論に行き着くまでに、多くの捜査員たちが昼夜問わず捜査に当たりましたから。それに、最初にあなた方の入れ替わりに気づいたのは彼です」

 若林は掌を田村に差し向けた。美和は俺たち――というか、俺の隣に立つ田村――に顔を向けると、ゆっくりと頭を下げた。

「ところで、Liberaというハンドルネームには何か意味があるのですか?」

「いえ、Liberaは私の好きなアーティストグループの名前です。どういうハンドルネームにしたらいいのか迷っていた時に、ちょうど彼らの曲を聴いていたのでそれを」

「そうですか。私たちの考え過ぎだったようですね」

 若林がそう言うと美和は首を振り、「いえ、多分、あなた方の考えは当たっています」と答え、「少しだけ時間をいただけますか」と続けた。

「どうぞ」

 そう言って、若林は俺に目配せをした。俺は肩をすぼめる。

「お祖母様。十年前、あなたが美奈に何を言ったか覚えていますか?」

 美和が静かに馨に問いかけた。

「そんな昔のこと覚えている訳ないでしょう」

 馨は不愉快そうに美和から顔を背けた。

 美和は悲しそうに目を伏せ、「そうでしょうね。そうだと思いました。――あなたは卒業式を終えた日の夜、美奈にこう言ったんです。『お前、暗いのよ。もっと社交性があれば私も鼻が高いのに。ピアノだけしか取り柄がないんだから。育て方、間違えたようね』、と。……両親を失った私たちにとってあなたは唯一の保護者であり、家族だった。逆らうことのできない絶対的な存在だったんです。私は途中からあなたの傲慢ごうまんさに我慢がならなくなって反発したけれど、美奈はあなたに認めてもらう為に人一倍努力してきたのに。放心状態のまま私の部屋に入ってきた美奈からその言葉を聞いた時、私はこの家を出ようと決心しました。心の底からあなたのことを嫌悪したからです。これ以上一緒にいるのは耐えられないと思った。……でも、すぐに私は自分の愚かさに打ちのめされました。美奈に言われたんです。『私はこの十年、あなたたちに殺され続けてきた。今度は、美和の番よ』、と。私は自分のことしか考えていなかった。目の前に深く傷ついている美奈がいるのに、私は……」

「ばかばかしいっ! 前から何を考えているか解らない子だったけれど、そこまでだったなんて……くだらない!」

 吐き捨てるように最後の言葉を言い放った馨を俺は睨みつけた。

「あなたが彼女を追い込んだんでしょう! 子供にとって親は唯一のどころなんです。だから美奈さんは、親代わりであるあなたの望む姿になろうと必死に頑張ってきたんじゃないですか。そのあなたに自分自身を否定された美奈さんがどれだけ傷ついたか」

「望月」

 若林が、感情的になるな、と目で制した。

「警察官は無礼な人が多いようね」

 馨はとげのある言い方をすると若林に視線を向ける。俺は、なおも何か言おうとする馨に「失礼しました」と素早く一礼し、美和に続きをうながした。出端でばなをくじかれた馨は「ふん」と俺を睨みつけた。

 これ以上みんなの足を引っ張るわけにはいかない。それに、新人だから刑事としての自覚が足りない、なんてやはり思われたくはない。俺は背筋を伸ばし、冷静さを取り戻す為に深呼吸する。

「気をつけろ。彼女はこの難局を乗り切る隙を狙っている」

 田村が小声で言った。

「すまん」

 美和は俺に小さく一礼すると、再び語り始めた。

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