第21話

「まだ新しいな」

 後部席に座る若林がシートをさすりながら言った。

「ちょうど二年くらいですかね」

 若林が俺の車に乗りたいと言った為、俺の運転で現場まで行くことになった。ビートルにするか、ミニクーパーにするか購入時に迷ったのだそうだ。

 彼は車に乗り込みざっと車内を見回すと、やっぱりビートルにして良かったと聞き捨てならないことをのたまった。きっと負け惜しみだろう。

「じゃあ、彼女と別れたあとに買ったのか」

「ちょっ、若さん?!」

 ルームミラーに目をやると若林が意地悪そうに笑っている。

「あ、悪い悪い。つい、ツルッとね」

「……警部に似てきましたね」

 げんなりしながら赤信号で車を停止させる。助手席を見ると田村は目を瞑ったまま動かない。寝ているのか考え事をしているのか判らないが相変わらず協調性のない奴だ。

「それは困るな。――で、今は?」

「何がですか?」

「彼女」

「いませんよ」

「なんで?」

 若林は首をかしげる。

「そんなの俺が訊きたいですよ。ていうか、なんでこんな不規則な仕事してるのに器用に何人も付き合えるんですか?」

 猪又も彼女いるし。それとも俺が不器用なだけなのか。田村を見ると相変わらず目を閉じたまま動かない。前にコイツに訊いた時はいないと言っていたが今はどうだろう。いるようには見えないが。

「お前、モテるだろ?」

 俺の質問に答えることなく若林は話を進めていく。そこが知りたいのに。

「モテませんよ」

「なんで?」

 若林は首をかしげる。

「……知りませんよ」

 喧嘩を売っているのだろうか。

「おかしいな。修平、本部でも結構人気あるのに」

「そうなんですか? そんな素振り、一切感じたことないですけど」

 というか、どこからそんな情報を仕入れてくるのだろう、この人は。

「お前が鈍いだけじゃないのか? おかしいな。じゃあ、イベントとかにドカンと来るかもな。女の子ってそういうの好きだし」

「少し前にバレンタインってのがありましたけどね」

 俺は肩をすくめてみせる。

「ああ、あったね。そっかぁ、みんな奥手なのかな」

「遠慮しないでいいのに」

「ほんとにね。なんか、ごめんね」

 若林の顔が、にやけているように見えるのは俺の被害妄想か。

「……若さん、乗車拒否していいですか?」

「悪かったよ。傷心の君に今度コンパを開いてあげよう」

 若林が苦笑いを浮かべる。俺はニッコリと笑い、「傷心は余計です。でも、お願いしますね」と念を押した。

「はいはい、青信号だぞ」

「了解」

 俺はアクセルを踏み込む。

 国道一号線を超え、緑区みどりく内の基幹路線である県道諸輪線もろわせんに向け北上する。静まり返る住宅街を走り抜けると市民病院が見えてきた。交差点を右折し、しばらくはひたすら道なりに走り続ける。交通量の多いこの道は、この時間になってもかなりの車が走っていた。

 ふと隣に目を向けると田村が寝息を立てている。なんでこんな時に寝るかな。ルームミラー越しから若林を見ると、彼は物憂げに窓の外を眺めていた。

「若さん」

「ん?」

「若さんは、さっきの話どう思いますか?」

 思わぬ展開となり、肝心の若林から意見が聞けていなかった。

「整合性のある推論だと思うよ。だが、どうもしっくりとこない。水島の人間性と合わないんだ」

 ルームミラーには唇に人差し指を当てて考え込む若林の姿が映っている。それが妙に色気があり、女性はこういう仕草に弱いんだろうなと思った。

「人間性、ですか?」

「水島は繊細で真面目過ぎるほど真面目な人間だ。倒れている美奈をそのままにして逃げたことに激しく自分を責め、出頭するほどに。もし本当に美奈を殺してしまったのなら自首するはずだ。それに、唯一の家族である美奈は水島の支えでもあった。馨から存在を否定され、独りになることを何よりも恐れていた水島が、自らの存在をも脅かす行為をするとは思えない」

 俺はルームミラー越しに若林を一瞥いちべつしてから、「一課に配属されたばかりの頃に田村に言われました。自分たちの仕事は感情から最も離れた仕事であり、被害者の恨みを晴らす訳でも遺族のカウンセラーでもないって」

「田村らしいな」

 若林が苦笑する。

「どんな人間でも感情をコントロールできなくなったその瞬間、大切な家族や友人を殺してしまうことがあります。罪を絶対に犯さないと言い切れる人間なんていないんだと、この仕事に就いて嫌というほど思い知らされました。犯人は捕まらないように必死に嘘をつき、あざむき、罪から逃れようとします。だから――」

「警察は冷静に状況を把握し、情報を分析して事件を見なければいけない」若林はルームミラー越しの俺に視線を向ける。「解ってるよ、修平。俺はね、温かい心と冷たい頭脳を持つことが刑事には必要だと思っている。そして、それを実践してきたつもりだ」

「アルフレッド・マーシャルですね。俺も同感です」

 若林は頷く。

「だからこそ、自分の目で確かめに行くんだ」

「……すみません。出過ぎたまねをしました」

「ふふん、いいさ」

 若林は気にした様子もなくシートにもたれ掛かり、窓の外へ視線を移した。

 俺が言える立場でないことは重々承知のことだ。ただ若林がいつもと様子が違うのがずっと気になっていた。けれど、若林の方が一枚上手だったようだ。触れられたくないことなのかもしれない。――藤堂のように。

「若さんの様子がおかしいから、恋しちゃったのかと思いました」

「ははは、面白いこと言うな。さっきの仕返しか?」

「はい」

たくましくなったね、君も」

 若林が目を伏せて、頭を掻いた。


 現場に車を乗りつけると、さっき来た時よりも一層深い闇があった。

 焼け落ちた家を車のライトが照らし出している。その背後には巨大な黒い影が、ザワザワと恐怖心を掻き立てるような音を立てながら風になびいている。

 空にはいびつな形の月が浮かび、無数の星が輝いていた。ふと、俺たちは夜の底にいるのだと思った。光の届かない暗い底に。俺は淋しいと思うと同時に息が詰まる思いがした。

「暗いな」若林が車から降りるなり小さく呟くと県道を目で追う。「あの先に本当に住宅街なんてあるのかって思いたくなるな」

 若林の視線の先には薄暗い光が点々と浮かんでいる。街灯の明かりだ。じっと眺めていると人が踏み入る場所ではないように思えた。背筋にゾクリと悪寒が走る。

「ですね」俺は腕時計を確認する。「今、午後十時五分です。事故が起こった時刻より一時間ほど早いですけど、この暗さだと竹林の中に隠れられたら見つけることは難しいですね」

「そうだな」

 背後から急に声がした。ギョッとして振り返ると田村が立っている。

「驚かすなよ。起きたのか」

「寝てないさ」

「嘘つけ。寝息立ててただろ」

「空耳だ」

 田村がふてぶてしく言い放つ。

「お前ら、相変わらずだな」若林は俺たちに懐中電灯の明かりを向け、「警部たちも待ってる。急ごう」

 風になびいて耳障りな音を立てている規制線を越え、先に敷地内に入っていった若林のあとを俺たちは追う。

足跡そくせきは残ってなかったんだよな」

 敷地を取り囲む竹林を懐中電灯で照らしながら若林が言う。

「ええ、消化活動でここ一帯水浸しでしたから」

 田村が焼け落ちた家に近いていくのを尻目に、俺は道路の向こう側の竹林を懐中電灯で照らした。

「事故直後に隠れるとしたら、あの辺りですね」

「そうだな」

 照らし出された竹林は、ぽっかりと俺たちに向かって口を開けている。さすがに足がすくみ、落ち着く為にゆっくりと深呼吸をする。「......少し、奥を見てきます」

「気をつけろよ」

 道路を渡り、アスファルトと竹林の境界部分の地面で足を止める。

 騒ぎを聞きつけて集まった野次馬に踏み荒らされ、この辺りも足跡そくせきが取れなかったらしい。竹林に火が燃え移れば大惨事だ。駆けつけた彼らの気持ちも解らなくはない。

 俺は気を取り直し、竹林に足を踏み入れる。その時、背後からガシャンッと何かが倒れる音がした。ギョッとして動きを止める。

 若林が音のした方へ懐中電灯の明かりを向けると、水島が顔を引きらせて立っていた。足許には自転車が倒れている。

 水島は顔を強張らせ、今通ってきたであろう暗闇の中へ駆けて行った。

「なんで彼がここに? 今日はバイトは休みのはずなのに」

「若さん! 追いかけなくていいんですか?!」

 慌てて俺が叫ぶと、若林は信じられないといった顔で俺を見た。

「この道を? 一人で? お前は鬼か!」

「でも逃げられたりしたら。それに、なんか早まったことするかもしれないですよ!」

 若林は舌打ちして駆け出した。

「くそっ、俺は女の子の為しか走らないって決めてるのに!」

 どんな決めごとだ。

「これを車に積んだらすぐ追います」

 自転車を起こしながら俺は若林の背中に向かって叫ぶ。

「頼む!」

 若林は暗闇の中へ消えていった。

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